内竜也
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テンプレート:Infobox baseball player 内 竜也(うち たつや、1985年7月13日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。神奈川県川崎市出身。
目次
来歴・人物
プロ入り前
川中島小学校1年生の時に兄の影響で野球を始める。川中島中学校入学当初は川中野球部は坊主頭にしなければいけないというルールが嫌で、バスケットボール部に所属するも、2年秋の体育祭で応援団に推薦されて丸刈りになったのを機に軟式野球部に転部[1]。入部後、即エースとなり、3年生の時に川崎市大会で優勝。
川崎工業高校では、最速145km/hの速球と手元で鋭く変化するスライダーを武器に加藤幹典、吉田幸央と共に「神奈川公立三羽烏」と呼ばれた。3年生夏の県大会で5試合44回と582球を投げ、3試合を完封し、防御率0.61の記録を残すもベスト8で敗退している[1]。
千葉ロッテマリーンズからドラフト1位指名を受け入団。当時のロッテ二軍監督であった古賀英彦に「これほどの素質は見たことがない」と言わしめた。
プロ入り後
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- 一軍では高卒1年目から4試合全てで先発として登板し、首脳陣の期待を伺わせた。イースタン・リーグでは抑えとして10セーブを挙げ、新人としては珍しい最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
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- 初の開幕一軍入りを果たす。5月上旬まで一軍で中継ぎとして活躍し、防御率3.05を記録した。
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- 一軍出場はなかったが、二軍で抑えとしてチームトップの8セーブを挙げた。
同年8月に開催された北京プレオリンピックの日本代表に選ばれた。
同年11月に右肩を手術。術後の12月には自身初となるハワイでのウィンターリーグに派遣選手として参加。 - テンプレート:By
- リハビリでシーズン前半を棒に振るも、8月から戦列に復帰。二軍で5試合登板しただけで終わった。2年連続でウィンターリーグに派遣された。
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- 6月、3年ぶりに一軍昇格。7月2日の西武戦の延長12回、1点リードで1死満塁という場面で登板し、プロ初セーブを記録。この試合は5時間42分という、パシフィック・リーグ史上最長の試合であり、内が登板したのは23時半を過ぎてからであった。試合後にはプロ初となるヒーローインタビューも受けた。8月1日、楽天戦に3番手で登板し、プロ初勝利。
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- シーズンの大半を二軍で過ごし、一軍では主に敗戦処理としての登板が多かったが、9月28日、29日と好リリーフで二日連続の勝ち星を挙げ、雨で流れた後のシーズン最終戦である10月1日も成瀬善久の後を受けて好投し、ホールドを挙げた。この3連戦は負ければCS出場の可能性がなくなるという大一番であり、大舞台での強さを見せた。
- CSファーストステージでは初戦に打ち込まれてしまうものの(チームは逆転勝利)、2戦目に延長10回サヨナラ負けのピンチにリリーフして佐藤友亮を併殺打に打ち取り、11回の勝ち越しにつなげた。CSファイナルステージでも3試合に投げ、うち1試合で勝ち星を挙げるなどの活躍でチームを日本シリーズに導いた。シリーズでは4試合に登板し、計7イニング無失点13奪三振の好投で日本一に貢献し、優秀選手賞を受賞した。
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- 前年終盤の活躍から守護神候補として期待されていたものの、右足首痛の影響で春季キャンプ二軍スタートとなった。開幕後は勝ち試合を中心に中継ぎとして登板していたが、右肘痛を発症し7月2日に登録抹消。8月9日に同箇所の手術を受けた[2]。
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- 前年痛めた右肘痛で出遅れたものの、5月に一軍昇格するとそこから19試合連続自責点0と安定した投球を見せ、薮田安彦の不調もあり一時はクローザーも務めた。しかし,右足首を痛め7月29日に登録を抹消をされてしまう。9月に復帰するも再度足首を痛め2試合で抹消され、それ以降は一軍登板がなかった。
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- この年も前年の怪我の影響でキャンプ,開幕ともに二軍スタートとなった。その後4月11日に二軍戦でも足を痛めて途中降板しさらに出遅れたものの,7月24日に一軍昇格すると前年を上回る防御率1.05など安定した成績を収める。この年はシーズン終了まで二軍落ちすることなく一軍に帯同したものの、右足首の怪我を再発させてしまいシーズン終了後に再び手術を行うこととなった[3]。
プレースタイル
平均球速約146km/h[4]、最速154km/hの速球と二種類のスライダー(カットボールと曲がりの大きいスライダー[4])、フォークを投げる。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ロッテ | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 81 | 16.0 | 21 | 4 | 12 | 0 | 1 | 15 | 2 | 0 | 19 | 19 | 10.69 | 2.06 |
テンプレート:By2 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 89 | 20.2 | 19 | 2 | 7 | 0 | 1 | 15 | 1 | 0 | 8 | 7 | 3.05 | 1.26 | |
テンプレート:By2 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 6 | .750 | 112 | 26.0 | 25 | 3 | 12 | 1 | 1 | 29 | 4 | 0 | 18 | 18 | 6.23 | 1.42 | |
テンプレート:By2 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1.000 | 85 | 20.0 | 14 | 1 | 10 | 0 | 1 | 20 | 2 | 0 | 12 | 10 | 4.50 | 1.20 | |
テンプレート:By2 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 10 | .500 | 100 | 24.2 | 17 | 1 | 7 | 1 | 2 | 24 | 1 | 0 | 6 | 6 | 2.19 | 0.98 | |
テンプレート:By2 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 9 | .500 | 102 | 25.0 | 23 | 2 | 4 | 3 | 3 | 23 | 0 | 0 | 7 | 5 | 1.80 | 1.08 | |
テンプレート:By2 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 13 | 1.000 | 102 | 25.2 | 18 | 0 | 10 | 0 | 0 | 26 | 1 | 0 | 3 | 3 | 1.05 | 1.09 | |
通算:7年 | 139 | 4 | 0 | 0 | 0 | 8 | 4 | 7 | 42 | .667 | 671 | 158.0 | 137 | 13 | 62 | 5 | 9 | 152 | 11 | 0 | 73 | 68 | 3.87 | 1.26 |
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- 2013年度シーズン終了時
表彰
記録
- 初登板・初先発:2004年6月15日、対北海道日本ハムファイターズ13回戦(千葉マリンスタジアム)、6回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に小田智之から見逃し三振
- 初セーブ:2009年7月2日、対埼玉西武ライオンズ12回戦(西武ドーム)、12回裏1死に6番手で救援登板・完了、2/3回無失点
- 初ホールド:2009年7月19日、対福岡ソフトバンクホークス12回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表1死に3番手で救援登板、1/3回無失点
- 初勝利:2009年8月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス13回戦(千葉マリンスタジアム)、8回表1死に3番手で救援登板、2/3回無失点
背番号
- 21 (2004年 - )
登板曲
- ヨーロッパ「The Final Countdown」
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:千葉ロッテマリーンズ テンプレート:日本シリーズ優秀選手
テンプレート:千葉ロッテマリーンズ2003年ドラフト指名選手- ↑ 1.0 1.1 週刊ベースボール2003年11/17号 10頁「2003ドラフト完全ガイド "全国一の激戦区を唸らせた公立校の星"」より。
- ↑ ロッテの内が右肘手術 11日からリハビリ開始 - スポーツニッポン(2011年8月10日)
- ↑ ロッテ・内 右足首手術へ 来季開幕微妙に
- ↑ 4.0 4.1 変化球ラーニング カットファストボール編 内竜也『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、26-27頁。