兵庫県立赤穂高等学校
テンプレート:混同 テンプレート:日本の高等学校 兵庫県立赤穂高等学校(ひょうごけんりつ あこうこうとうがっこう)は、兵庫県赤穂市にある県立高等学校。西播学区に属する。また、姫路・福崎学区の姫路市立林田中学校地区からも通学が可能となっている[1]。愛称・略称は、「赤高(あかこう)」。
目次
概観
前身の赤穂実科女学校から数えると100年の歴史を有し、赤穂市内にある唯一、兵庫県南西端の高等学校である。
なお、長野県駒ヶ根市に同名の長野県赤穂高等学校があるが読み方は異なり「あかほ」である。愛称は同じく「あかこう」であり校歌でも「あかこう」と唄われている。
概要
旧制兵庫県立赤穂中学校と旧制兵庫県立赤穂高等女学校の流れをくみ、第2次世界大戦後の学制改革により変遷を経て現在の名称となり、「文武両道」の伝統は現在へと受け継がれている。
昭和56年に現在地へ移転される前は赤穂城本丸跡に、ドイツ人建築士により設計された、屋上部に胸壁を備えた中世ヨーロッパ城郭風の旧制兵庫県立赤穂中学校校舎を用いており、多くの生徒は赤穂城大手門を通って登下校していた。赤穂城が国の史跡になったことで現在地に移転した。
なお、旧制兵庫県立赤穂中学校の初代校長は、江戸時代に赤穂藩へ流刑された儒学者山鹿素行と同郷(会津)出身の旧大日本帝國陸軍少将武川寿輔である。
校歌は作詞竹友藻風、作曲信時潔。校歌の他に創立40周年を記念して、生徒により作詞・作曲された生徒歌がある。
校章は、赤穂の「赤」の字をのメージして、「ペンは剣よりも強し」という二本のペンが交差する慶応義塾の紋章を参考に、知、徳、体や真、善、美などを象徴するペン先を3本組み合わせ、人間形成の理想的な学園を目指す学校であることを願って、当時の美術担当教諭が考案したもの。
伝統的に自由な校風であり、勉学、校外活動においても生徒の自主性が重んじられている。
設置学科
- 普通科
- 普通科は7クラス中の1 - 6組。その中でも、文系の特進クラス(3組)と理系の特進クラス(7組)があり、理系の特進クラスについては、自然科学コース(総合科学探究類型)の生徒と普通科の生徒から構成されている。
- 自然科学コース(平成23年度に総合科学探究類型に改定)
- 自然科学コース(総合科学探求類型)は1クラス(7組)。自然科学コースは推薦入試のみ入学可能となっている。(推薦入学すると自動的に自然科学コースになる。)
沿革
旧制兵庫縣立赤穂中學校
- 1927年(昭和2年)4月1日 「質実剛健」を理念に建学する。
- 1928年(昭和3年)11月30日 赤穂城本丸跡に校舎を新設、移転する。
- 1948年(昭和23年)4月1日 学制改革で兵庫県立赤穂南高等学校となる。
旧制兵庫縣立赤穂髙等女學校
- 1912年(明治45年)4月1日 組合立赤穂実科女学校として開校する。
- 1942年(昭和17年)4月1日 県に移管、兵庫県立赤穂高等女学校と改称する。
- 1948年(昭和23年)4月1日 学制改革で兵庫県立赤穂北高等学校となる。
兵庫県立赤穂高等学校
- 1948年(昭和23年)9月1日 県立赤穂南、県立赤穂北の両高等学校を統合し兵庫県立赤穂高等学校となる。
- 1981年(昭和56年)9月1日 赤穂城本丸跡から現在地へ校舎を移転する。
- 1996年(平成8年)4月20日 同窓会館「青雲会館」竣工
校風
- 校訓は、「質実剛健」「礼譲敬愛」「自主創造」
- 校樹は、楠木(昭和54年7月1日指定)
所在地
出身有名人
- 江見康一 - 経済学者(一橋大学・帝京大学名誉教授)
- 鳥羽良明 - 東北大学名誉教授
- 森勝義 - 世界かき学会会長(東北大学名誉教授)
- 大橋弘明 - 大阪体育大学名誉教授
- 廣山尭道 - 日本塩業史研究の第一人者 文学博士(故人)
- 前田僖郎 - 元玉川大学工学部教授
- 小林太玄 - 書家 大徳寺塔頭黄梅院住職
- 安原昭夫 - 理学博士(東京理科大学)
- 豆田正明 - 赤穂市長
- 鍋島壽夫 - 映画プロデューサー
- 長安蘭銑 - 書家
- 友道康夫 - 競馬調教師
- 中村敏行 - 元プロ野球選手
- 増田里絵 - 女子プロ野球選手
- 高野純一 - プロサッカー選手
- 葛島崇繕 - サッカー選手