佐々木宗綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 宗綱(ささき むねつな、宝治2年(1248年)? - 永仁5年9月10日(1297年9月27日))は鎌倉時代中期の武将。
概要
鎌倉幕府の有力御家人。佐々木氏支流京極氏の当主。佐々木氏信の4男で頼氏、範頼、満信の弟。子に祐信、時綱、貞宗、娘(佐々木宗氏室)。佐々木道誉は外孫に当たる。母は野尻時光の娘。京極 宗綱(きょうごく むねつな)とも呼ばれる。官位は能登守。
経歴
弘安10年(1287年)、幕府が朝廷に対し、大覚寺統の後宇多天皇から持明院統の伏見天皇への譲位を促した際にはその使者となっている。正応2年(1289年)には久明親王が8代将軍に就任し六波羅探題へ向かった行列に随行している。永仁3年(1295年)に父が死去し、別家を立てた長兄の頼氏、早世した兄の範頼、満信に代わり家督を継ぐ。
しかし、僅か2年後の永仁5年(1297年)9月10日に50歳で死去。長男の祐信は意に叶わなかったとされ、次男の時綱は早世していた為、3男の貞宗が後を継いだ。