佐々木 貞宗(ささき さだむね、弘安8年(1285年)頃 - 嘉元2年5月8日(1304年6月11日))は鎌倉時代中後期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。佐々木氏支流京極氏の当主。佐々木宗綱の4男で祐信、時綱の弟。京極 貞宗(きょうごく さだむね)とも呼ばれる。
永仁5年(1297年)に父が死去、長兄の祐信は父の意に叶わなかったとされ、次兄の時綱は早世していたため、家督を継ぐ。嘉元2年(1304年)5月8日に19歳で死去。嗣子が無かったため、従弟で姉妹の夫でもある宗氏が後を継いだ。また、宗氏と姉妹との間に生まれた甥の高氏が貞宗の養子となっている。
墓所は滋賀県米原市の徳源院。
史料
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