但馬飛行場
テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox 空港 但馬飛行場(たじまひこうじょう Tajima Airfield)は、兵庫県豊岡市にある飛行場。通称は但馬空港。コウノトリ但馬空港の愛称がある。
概要
新幹線や高速道路などがない高速交通空白地帯であった兵庫県北部(但馬地域)の交通インフラの整備を目的として兵庫県を事業者として1987年6月に基本建設計画が発表され、1994年5月に開港した[1]。
山間を切り開いて開設されたため、早朝の霧や荒天による欠航や出発空港への引き返しが比較的多かったが、2001年10月より兵庫県が計器着陸装置(ただし、ローカライザーのみ。空港には導入されているが、一般飛行場では異例)を導入したため、運航率は向上している。航空管制については、定期便は大阪国際空港航空管制官による遠隔指示(伝達は大阪レディオ航空管制運航情報官による。なお、航空管制運航情報官の業務は航空管制官が発出する管制指示を伝達するだけであり、航空管制官と異なり航空管制運航情報官には管制権はない)により行われ、それ以外については、空港に設置された管制室により行われている((財)航空機安全運航支援センターに委託)。
2014年5月現在、旅客定期便の運航は大阪国際空港線の1日2便のみであり、昼間は原則として全く離着陸がないので、貸切状態とすることもできる。モーターグライダーや、エアロックチームがシーズンオフのトレーニング等を行っている。
年間利用客数は、国内28,726人(2013年度)[2]。
歴史
建設費は当初計画では105億円であったが実際には約116億円。附帯施設・事業も含めると180億円。
建設が始まった当初の1988年10月に運航会社は朝日航空に内定していたが、朝日航空が子会社の西瀬戸エアリンクの経営難から1991年3月でコミューター事業から撤退、計画が白紙に戻ってしまった。兵庫県は日本航空、全日本空輸、日本エアシステムなどに運航を打診するも色よい返事が得られなかった。
開港が目前に迫った1993年9月、ようやく日本エアコミューター (JAC)が大阪国際空港線の運航を決定したが、JACには鹿児島県奄美群島の市町村が40%を出資しており、不採算路線に就航をすることには難色を示したため、兵庫県側からの積極的な財政支援が求められた。就航の決め手となったのは、使用機材のサーブ 340Bを兵庫県が14億円で購入し無償貸与するという異例の条件であった。[3]
1987年の基本建設計画では旅客数は開港予定の1993年度に47,000人、2000年度に53,000人としていた。[4]しかし実際には当初の就航が1日1往復であったこともあり低迷。1日2往復となった後も2003年度で24,665人と計画値を下回る状況が続いていた。また、兵庫県は維持に年間1億4400万円(2007年度予算)の赤字補填を行っている。[5]
搭乗率約60%と低迷する利用を何とか引き上げようと、飛行場近辺の自治体、豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町が空路を利用した住民に助成金を出す制度を設けている。2006年現在は年間7000万円前後が支出されているとされる。[6]また、兵庫県豊岡市と京都府京丹後市が府県を越えて共同でコウノトリ但馬空港の利用を促進し、特に首都圏からの観光客の呼び込みを強化する取り組みが行われている。[7][8]
このような努力もあって2006年度は過去最高の27,000人を突破、2007年上期の搭乗率は原油高の影響などで落ち込んだが、9月に初めて設定された但馬空港から行く東京ツアーによって搭乗率も急回復(前年度比115%)しており、10月、11月も同様の傾向が続いている事から今後の動向が期待される。[9]2007年11月27日には定期航空便の搭乗者数が、開港より13年6ヶ月で30万人を達成した。今後の東京直行便実現の足がかりとして、招致活動等に拍車がかかるものと期待されている。ただ、最近の利用者の半数は助成金を利用しない但馬外の利用(観光・ビジネス)であり、地元住民の利用は地域の人口減が著しい事もあり伸び悩んでいる。[10]
空港を運営する兵庫県は、大阪国際空港線のみでは空港のメリットが十分には活かせず、東京国際空港線の開設が必要との見地から、滑走路延長事業を計画しており2006年から基礎調査が進められている。この計画では現在の1200メートルから1500メートルに延長し、ジェット機材による東京国際空港線が就航できるようにする。地元との協議が調えば2012年から2014年度頃の運用開始を目指すというものである。事業費は約100億円を予定している。[11]2004年の台風23号の災害復旧事業により出た土砂を延伸工事に使う計画もあった。
2010年現在、東京国際空港直行便実現を目指して、地元での機運が盛り上がって来ている[12][13]。テンプレート:要出典範囲。
なお、神戸空港の開港に伴い路線就航も検討されたが、運航経費の財政負担を求められた豊岡市、養父市などで構成する但馬広域行政事務組合が2006年6月に「東京国際空港線の開設に具体的に寄与しないのなら神戸空港線は不要」と兵庫県に申し入れ、計画は棚上げされている。[14]
施設
会議室・多目的ホールを一般に貸し出している他、ターミナル横には兵庫県のパスポートセンター(兵庫県旅券事務所但馬空港窓口)がある。なお、日本エアコミューター(日本航空)のカウンター・運航支援業務を全但バスに委託している。ターミナル右側にはYS-11(11A-500R型/YS-11の103号機)およびエアロコマンダー式680FL型の退役機が展示されており、2010年9月現在、主翼の真下まで近づいて見学できる。
駐車場
無料。 テンプレート:節stub
路線
- 日本エアコミューター (JAC)
アクセス
他の交通機関との競合
空港から最も近い市街地にある西日本旅客鉄道(JR西日本)豊岡駅と大阪駅間には福知山線経由の特急「こうのとり」が所要時間2時間28~49分、播但線経由の「はまかぜ」が2時間35~57分、共に片道5,270円(通常期、運賃・特急料金込)で運行しており競合関係にある。
高速バスは全但バスが豊岡市街(豊田町バス停、豊岡駅から徒歩15分)と大阪梅田間を所要時間2時間23分~3時間9分、片道運賃3,450円で運行しており競合関係にある。2006年7月には北近畿豊岡自動車道が和田山インターチェンジまで開通し、豊岡市街から大阪梅田まで自動車での移動時間が約20分から30分程度短縮された。引き続き和田山インターチェンジから養父市八鹿町の間に和田山八鹿道路の建設が進み、2012年に開通した。これらの道路整備に伴い全但バスも豊岡市街・大阪梅田間が従来3時間超であったものが、一部の便を除いて2時間台へ時間短縮されており、高速バスの競争力強化にともない行政当局も但馬空港の利用者減が懸念されている。
このため、伊丹で乗り継ぎをする事で東京や福岡、出雲、仙台、松山、山形など全国から短時間で訪れることができるようになるという利用価値を見出そうと必死の努力が続けられている。[15]
おもな航空事故
- 2005年4月21日 エアロック・エアロバティックチームのリーダー、ロック岩崎がピッツS-2Cでのエアロバティック飛行の練習中に、滑走路東側の空港敷地内に墜落、死亡。
- 2006年5月3日 但馬空港内に拠点を置く「但馬飛行クラブ」の2人乗りモーターグライダーが離陸直後、滑走路終端に墜落。乗員2名死亡。事故の影響で、飛行場は5月5日16時30分まで滑走路閉鎖となった。[16]
- 2013年7月21日同日正午過ぎに福井空港を離陸後、鳥取空港に向かう予定だった3人乗りのセスナ機が緊急着陸に失敗し、滑走路を約100メートルオーバーランした後、崖(高さ約40メートル)から約60メートル先の林に落ちた。合わせて3人が重軽傷という。21日午後0時45分ごろ、小型機から「エンジントラブルで着陸させてほしい」と連絡があった後、緊急着陸に失敗した。[17]
これ以外にも、2003年5月4日には、但馬空港より飛び立った「但馬飛行クラブ」のアクロバット飛行機が京都府北部の日本海に墜落し、クラブ会長「昇雲」こと白石公男(航空自衛隊出身の全日本空輸元機長)と訓練生パイロットの2人が死亡する事故も起きている。[注 1][18]
その他
- 大阪国際空港線は、離島間路線を除けば国内線最短の空路であり、しばしば搭乗実績目的の俗にマイル修行僧と呼ばれる人々が利用することでも知られる。大阪国際空港から当飛行場まで搭乗し、すぐ折り返しの便で戻る行為は俗に「但馬修行」と呼ばれることがある[19]。
- 悪天候時に大阪国際空港を出発できず、折り返し便が欠航となった場合には、城崎温泉駅発豊岡駅経由但馬空港行き全但バスが、そのまま大阪国際空港までの運行にあたる事がある。ただし、これは(日本航空)が関与するものでは無く、全但バスの独自有料サービスである。また、2014年3月から5月までの実証実験として、大阪国際空港発の便が欠航した場合に、豊岡駅や但馬空港までの代替乗り合いタクシーが但馬空港推進協議会によって実施される(実際の運行は日本交通)[20]。
- 但馬空港のホームページがリニューアルされたことに伴い、空港ライブカメラが設置された。
- かつて、神戸ヘリポートとの間にヘリコプターによる旅客定期便が運航されていた。
脚注
注釈
出典
外部リンク
テンプレート:日本の空港- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 1993年12月4日付 日経産業新聞。但馬飛行場線以外で当該機体を使用する場合にはリース料を兵庫県に支払うというものであった。
- ↑ 1987年6月3日付近畿版朝刊 日本経済新聞
- ↑ 日本共産党兵庫県会議員団 第290回本会議代表質問
- ↑ 2006年6月3日付兵庫版朝刊 日本経済新聞
- ↑ 丹後・但馬の新たな未来への躍進に向けて
- ↑ 知って得する公共交通を利用した京丹後市へのアクセス
- ↑ 日本航空 9月末搭乗実績
- ↑ 神戸新聞 但馬―東京直行便へ機運
- ↑ 2006年6月10日付兵庫版朝刊 日本経済新聞、2006年6月19日兵庫県知事定例記者会見
- ↑ 日本海新聞 東京直行便早期実現へテンプレート:リンク切れ
- ↑ 日本海新聞 首都圏への翼 東京直行便実現に向けて
- ↑ 2006年6月3日付兵庫版朝刊 日本経済新聞
- ↑ 2006年7月13日付近畿版朝刊 日本経済新聞
- ↑ 北九州空港経由で長崎県の福江空港(五島列島福江島)へ向かう予定だった。死亡した2人は当時、兵庫県空港政策課主任と川西市教育委員会の部長だった。
- ↑ [1]
- ↑ 航空事故調査書テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ https://web.pref.hyogo.lg.jp/wd06/documents/tirasi.pdf
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