伊豆急行100系電車
伊豆急行100系電車(いずきゅうこう100けいでんしゃ)は、伊豆急行の電車[1]。
1961年(昭和36年)12月10日の伊豆急行線開業にあわせて東急車輛製造で製造され、2002年(平成14年)4月27日まで旅客営業運転に使用していた。
概要
伊豆急行線は、開業時より多くの列車が伊東駅から伊東線を経由して東海道本線と直通している。そのため、グリーン車を連結している東京方面からの普通列車と合わせる必要があったことと、沿線に別荘地が多く、需要が見込めることから普通車だけではなく、グリーン車も保有していた。
伊豆急開業までは東京急行電鉄東横線元住吉検車区に配置され、伊豆急の運転士の慣熟訓練と開業の宣伝を兼ね東横線内を連日走行した。
1963年には日本の私鉄として唯一の本格的な食堂車(サシ191)を製造し、同年4月27日から営業運転を開始した[2]。この車両は「スコールカー」と名づけられ、サントリーがスポンサーとして伊豆急に寄贈した車両で、同社のウイスキー「トリス」や、同年から製造販売を開始したビールなどの酒類・飲料などが販売された。しかし、国鉄伊東線内での飲食営業が認められなかったために運用効率が悪く、わずか数年で編成から外され、伊豆稲取駅構内の側線に留置された後、1974年にサハ191に改造された。サハ191は一段式下降窓を装備し、車内は転換式クロスシートを配置した。また改造当初より分散式冷房装置を搭載しており、後の更新車1000系への足掛かりとなった。また普通車としては伊豆急行初の冷房車となった。
伊豆半島の観光が人気を得ると輸送力増強に追われ、幾度か増備が行われた。1964年増備分から先頭車は高運転台車へとマイナーチェンジされる(低運転台車は写真のクモハ103を参照)などの変遷があるほか、1982年以降の中間車の先頭化改造や、後述のグリーン車(サロ)の格下げなどにより、バラエティーに富んだ形式区分となった。後年の冷房化では普通車には安価な家庭用冷房機を搭載し、冷房電源の関係から冷房使用時には元サロ車や1000系が連結された。1979年と1983年にクモハ110形・クハ150形各2両が1000系へと更新されている。1985年からは2100系に走行機器を流用するため普通車14両が廃車された。
テンプレート:Double image aside 1986年にはグリーン車を廃止し、普通車に格下げした。しかしグリーン車復活の要望が多く、代わりに翌1987年に特別車両「ロイヤルボックス」(サハ184→サロ1801)を、改造により登場させている。当初よりかつての普通列車のグリーン車扱いとは異なり特別車両として料金を課金されていた。この「ロイヤルボックス」は好評を博し、サロ1801の内装を元にして2100系「リゾート21」にも「ロイヤルボックス」が製造されている。サロ1801はその後、普通車に格下げされている(サロ1801→サハ1801)。
1998年には伊豆観光キャンペーンの一環としてキャラクターである「イズノスケ」を先頭車前面、中間付随車(サハ)の側面に描いた「イズノスケ号」として運転された。
外観・内装・車種構成
- 塗色は上半部をオーシャングリーン、下部をハワイアンブルーとし、境界にシルバーのラインを配している。
- 前面は中央貫通扉付きで、大半を占める初期型は低運転台、前照灯は中央上部に2灯。1964年以降の新製車6両(クモハ124 - 128・クハ160)と事故復旧車2両(クハ151・152)は高運転台となり、後年登場した国鉄12系客車などに類似するスタイルで、前照灯は窓下左右に2灯ずつ計4灯とし、電照方向幕を採用した。ただし1982年に行われた中間車4両の先頭車化改造(クモハ129 - 131・クハ161)では、同様の高運転台ながら切妻のままとした。
- 客用扉は、国鉄153系などと同様片開き式を車端寄りに備えた。普通車(サハ191を除く)の客室側窓は大型の2段開閉式を採用し、扉間の窓は運転台の有無に関わらず9個となる。グリーン車は定員64名(サロ181・182のみ60名)で、窓は座席2脚分に跨る横長の固定窓(サロ187のみ2連1段開閉式)であった。
- 車両全長は国鉄車両と同寸の20m。窓下を丸めた裾絞りの断面をもつが、車体幅は2800mmである。
- 普通車(サハ191を除く)の座席配置は、戸袋窓部分がロングシートである他は全席向かい合わせ固定クロスシートとした。
- サシ191は48人分のテーブル席を備えた食堂と、カウンターテーブルを備えたビュッフェを設置した[2]。
- 当初はサシ191を除き全車非冷房であったが、グリーン車は1970年以降国鉄タイプの冷房装置を取り付け、その他の普通車も15両が1991年以降簡易な装置を取り付けて冷房化された。
- 基本形式として1972年までにクモハ100形4両、クモハ110形18両、モハ140形7両、クハ150形10両、サハ170形4両、サロハ180形3両、サロ180形6両、サシ190形「スコールカー」1両の計53両が製造された。
- クハ150形のうち、1961年製のクハ155は1963年にクロハ155に改造され、1970年に再びクハ155に再改造されるまでの7年間、唯一の運転台付き半室グリーン車として運行された。このクロハ155はスコールカーことサシ191と同じ編成に組み込まれていた。なお、この車両はその後、1979年にさらにクハ1501に改造されている。
- サロハ180形は1970年と1973年にサハ170形に改造され、以降サハ170形は7両となった。なおサロ181・182は1970年製の2代目番号となる。
- 一部の車両のトイレには鉄道車両には非常に珍しくトラップの付いた一般用市販の汎用和式便器(TOTO製C75A型便器)が採用され、このトイレの給水方式も鉄道車両に珍しいフラッシュバルブ給水である車両が存在していた。
主電動機出力は120kW(端子電圧750V、電流180A、定格回転数1,860rpm、最弱め界磁率35%)、中空軸平行カルダン駆動方式で、歯車比は5.60であった。駆動装置は歯車が斜歯(はすば)ではなく平歯であったことから独特の駆動音が特徴であり、鉄道ファンからも注目されていた。更新工事の際にこの駆動装置は静かなものに変更され、歯車比は5.63に変更された。なお最後まで残存した未更新車はクモハ121である。
制御システムは抵抗制御で、旧・日本国有鉄道(国鉄)101系や153系で採用したCS12形を基本とした東芝製PE14形を使用している。ブレーキ方式は発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ(当初は中継弁付電磁自動空気ブレーキ、1982年-83年に変更)で、伊豆急線内に介在する連続急勾配区間に対応するため抑速ブレーキも装備する。また弾力的な編成運用をこなせるように、電動車は1両単位の1M方式を採用している。電動空気圧縮機(コンプレッサー)はDH25形を装備している。
台車は東京急行電鉄旧5000系のTS-301形を基本としたTS-316形で、軽量、かつ、保守費用の抑制が可能なシンプルな構造が特徴。
国鉄新性能電車[3]を基本としているため、加速度・減速度などの性能がかなり良く、乗り入れ先の伊東線での運転も全く問題なかった。
1000系
100系電車の車体更新としては前述の更新車サハ191の他に、普通車のみであるが車体載せ換えにより1979年に登場した1000系電車が存在した。サハ191の車体構造を踏襲しており、応荷重装置を新たに搭載している。車内は転換クロスシートを装備し、側面窓は2連式の下降窓となった。前面は貫通式で100形最終増備車と同じ高運転台だが、窓は側面まで回りこんだパノラミック・ウィンドウとなっている。
クモハ1000形 - クハ1500形の2両固定編成を組む。1983年に第2編成が落成したが、その後の増備は2100系に移行したため、2編成のみの存在となった。
100系と同時に全車営業運転を終了した。
老朽化による引退へ
晩年には経年による老朽化や塩害による車体の腐食が進んでいたため、東日本旅客鉄道(JR東日本)から譲渡された113系・115系を改造した200系が2000年7月から営業運転開始したことにより、本格的な廃車が開始され、2002年3月28日からさよならイベント第一弾として快速「さよなら100系 10両編成号」として最初で最後の伊豆急行線内で10両編成で伊東 - 伊豆急下田間を運行した。またこのイベントでは「ロイヤルボックス」に改造されなかった旧サロ182形などがグリーン車のマークと緑帯が復活した。さよならイベント第二弾は2002年4月13日の伊豆急グループサンクスデーに合わせ、快速「さよなら100系 Thanks Days号」として7両編成で伊東 - 伊豆急下田間を運行した。イベント当日は伊豆高原電車区を一般公開された。さよならイベント第三弾は2002年4月14日に伊豆急行主催の団体ツアーとして団体臨時列車「さよなら100系 単行電車体験ツアー」としてクモハ103号車を使用し1両編成で伊豆急行線内を運行した。これらのイベント後も一部の定期列車で使用されていたが2002年4月27日をもって全車が旅客営業運転を終了した。
営業運転終了後
2002年4月27日に営業運転を終了した後は大半の車両が廃車解体されたが、両運転台のクモハ103号車のみ事業用車(牽引車代用)として残った。主に伊豆高原電車区内での車両入換作業に用いられているが、毎年春、夏に開催される伊豆高原電車区の一般公開イベント「伊豆急でんしゃまつり」でも展示される。普段は伊豆高原電車区の海側に留置されており、伊豆高原駅の展望台からもはっきりと見ることができず、イベント以外ではなかなか見られない。
また、保存のためにクモハ101号車が国鉄EF65形電気機関車の牽引で東急車輛製造に輸送されクモハ101号車の前面には「伊豆急行→東急車輛」と書かれた特製のサボが掲示された。2002年5月から9年間保存されていたが、車体に老朽化が激しいことや状態も良くないため、2011年11月頃解体された。
復活整備後
営業運転終了後から約9年後、2011年6月頃には老朽化が激しいこともあり伊豆急行の社内では解体の話も出ていたが、伊豆急行の社長が「あの100系を本線で動かすことができないだろうか」の一言でクモハ103号車復活計画が始まった。2011年が伊豆急行線開業50周年であり、かつ「踊り子号」の運転開始30周年であったことから、これらの記念事業の一環としてクモハ103号車を営業用車両として復活させることを決定し、2011年7月から10月中旬にかけて改修工事が行われ、2011年11月2日に試運転を開始した。現在は南伊東駅 - 伊豆急下田駅間で臨時団体列車やイベント列車で運行されている。伊東駅への入線は保安装置の問題などがあり、現在は南伊東駅までの入線となっている。
復活運転例を以下に示す。
- 2011年11月5日 - 2012年2月4日(8日間):復活イベント第一弾、伊豆急行・JR東日本共同主催の団体臨時列車「100系電車復活記念の旅」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転[4] 。
- 2011年12月上旬 - 2012年1月上旬(20日間):復活イベント第二弾、伊豆急行主催の団体臨時列車「クモハ103号車で行く下田ミニトリップ」として伊豆高原 - 伊豆急下田間を往復運転[5] 。
- 2012年3月10・11日(2日間):河津桜まつりに合わせ、臨時列車「快速100系河津桜号」として伊豆高原 - 河津間を往復運転[6] 。
- 2012年3月28 - 4月3日(5日間):伊豆高原桜まつりに合わせ、臨時列車「快速100系さくら号」として伊豆急下田 - 伊豆高原間で往復運転[7] 。
- 2012年6月15・18・22・25・29日(5日間):下田あじさい祭に合わせ、臨時列車「アジサイ電車号」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転。
- 2012年7月23 - 27日(3日間):臨時列車「快速ビーチトレイン号」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転。
- 2012年9月30 - 10月1日(2日間):稲取細野高原秋のすすきイベントに合わせ、臨時列車「稲取細野高原海すすき号」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転。
脚注
外部リンク
- ↑ 車内設備がセミクロスシートである点からすれば近郊形、一方、地域輸送で使用する点からすれば一般形であるが、伊豆急では特に何形とは定義していない。
- ↑ 2.0 2.1 交友社『鉄道ファン』1963年6月号(通巻24号)p51 児玉九郎 新車インタビュー 伊豆急に‘ビール電車’誕生
- ↑ 国鉄101系の出力を増強し、抑速ブレーキを追加した、あるいは、国鉄165系の歯車比を通勤形電車なみに下げた構成である。
- ↑ 【伊豆急行】団臨「100系電車復活記念の旅」運転 - レイルマガジン RMニュース(ネコ・パブリッシング) 2011年11月7日
- ↑ 伊豆急行 クモハ103で行く下田ミニトリップ - レイルマガジン RMニュース(ネコ・パブリッシング) 2011年11月16日
- ↑ 伊豆急行で特別列車「快速100系河津桜号」運転 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp鉄道ニュース 2012年3月12日
- ↑ 伊豆急行 快速〈100系さくら号〉運転 - レイルマガジン RMニュース(ネコ・パブリッシング) 2012年3月28日