京都交通 (亀岡)
京都交通株式会社(きょうとこうつう)は、京都府の中北部(旧丹波国に相当)と京都市でバスを運行していた事業者である。本社は京都府亀岡市古世町向嶋10番地。
2004年(平成16年)1月に会社更生法の適用を申請して倒産。京都府北部地域の事業を日本交通グループに、残りを京阪バスグループに営業譲渡し、清算された。
なお、同じく路線バスを運行している京都市営バス(京都市交通局)や京都バスとは資本・人材の関係は全くない。
本社・営業所(車庫)の所在地
歴史
- 1944年6月1日:丹波交通株式会社として設立。
- 1957年:京都交通株式会社に商号変更。
- 1976年:京都市域共通回数券制度開始に伴い、京都交通でも利用可能になる
- 1983年:塗装変更
- 1990年:塗装変更
- 1996年8月10日:祇園営業所、祇園案内所を廃止。
- 2003年7月1日:吉川線・野間線・森上線を廃止。(大阪府能勢町内の路線は阪急バスが引き継ぐ)
- 2003年11月24日:洛西バスターミナル - 阪急桂駅の路線を新設。同時に女性専用バスを導入。
- 2003年12月21日:桂御陵坂 - JR向日町駅の路線を新設。
- 2004年1月19日:会社更生法の適用を大阪地裁に申請。負債総額83億円。1月31日、更生手続開始決定。
- 2004年5月31日:女性専用バスを廃止。
- 2004年10月23日:国道本線急行バスを廃止。
- 2004年12月31日:京都府中部と京都市の観光バス事業を廃止。
- 2005年4月1日:園部営業所、四条河原町案内所、須知案内所を廃止。京都府北部地域(舞鶴支社運行路線)の事業を京都交通(本社・京都府舞鶴市、登記上の本店・大阪市淀川区、日本交通 (大阪)の子会社、2005年4月1日に新京都交通から社名変更)に営業譲渡。但し、綾部市内の路線の大部分はあやべ市民バスに譲渡。
- これにより、従来からの京都交通と日本交通 (大阪)の子会社の京都交通という、資本関係が全く異なるにもかかわらず同じ車体カラーの2つの京都交通というバス会社が存在することとなった。
- 2005年7月1日:路線バス事業全て(亀岡市の「亀岡ふるさとバス」や丹波町スクールバスなどの自治体運行委託路線も含む)を京阪京都交通(本社・京都府亀岡市、京阪バスの100%子会社)に譲渡。
温泉バス「瑠璃渓温泉専属バス」「「この時京都交通が保有」」を中京交通へ譲渡。 園篠線「京都府南丹市園部町園部駅西口ー兵庫県篠山市西野々福住地区「「神姫バス福住営業所」」は京阪バスへ移行 はとバス岐阜交通は当初京都交通子会社だったが倒産後独立各路線等で独自営業 京都府北部は日本交通により営業譲渡「京都交通」の営業名変わらず営業
その後京都交通は全部を引き渡し倒産した
備考
- 京都交通は川本直水が一代で築き上げた会社であり、丹波交通が中丹交通と舞鶴交通を合併して京都府中部および丹後半島を除く北部の地域の足をほぼ独占した。川本はこの京都交通を中核に京都交通グループを形成した。
同グループは1960年代が最盛期で、特に京都交通においては国道9号線を走る同社の急行や快速バスは近代化から取り残された山陰本線に対し優位で、トイレ付きの路線車も投入されるなどサービスが良く、活況を呈していた。ところがモータリゼーションの波が押し寄せて沿線の自家用車保有率が高まったこと、過疎・高齢化が進んだことで徐々に乗客が減っていた。さらに国鉄分割民営化後に山陰本線(嵯峨野線)が電化・複線化されたことで決定的な打撃を受け、ドル箱路線であった急行や快速は次々と減便され、最後は経営破綻に追い込まれた。
同グループの他社も創業者一代で形成された一族経営にありがちな放漫経営に陥り、業績も悪化していった。観光バス各社は70年代に入る前に名鉄グループの岐阜乗合自動車へ譲渡。西山ドライブウェイは阪急電鉄に譲渡。京都タクシーも京都交通の倒産を受けて独立[1]。最後に残った京聯自動車も2005年(平成17年)に川本一族の手を離れ、グループは崩壊した。
女性専用バス(廃止)
洛西バスターミナル - 阪急桂駅東口間に2003年(平成15年)11月24日より一般路線バスでは珍しい女性専用バスが運行されていたが、利用者が少なかったため2004年(平成16年)5月31日限りで廃止された(一般バスが1分後に続行するダイヤであった)。
関連項目
脚注
- ↑ 但し、2011年9月現在の京都タクシーの社長は会社更生法申請時点の京都交通の社長と同一人物で、川本家の人物である。