中ノ森BAND

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テンプレート:Infobox Musician 中ノ森BAND(なかのもりバンド)は、かつて存在したガールズバンド。2004年5月13日結成。元ヴィジョンファクトリー所属。テイチクエンタテインメント傘下のレコードレーベル、インペリアルレコードから2005年2月23日にCDデビュー。

ボーカルのAYAKOはファッション雑誌等でもよく紹介されている。阿久津健太郎などが作詞に関わっている事などから、いわゆる「アイドルバンド」としての評価を受ける事が多いが、音楽専門学校で培ったスキルを持つなど、本人らは正統派ガールズバンドとしての志向を持っている。

2008年3月27日ボーカルのAYAKOが本人のブログにて、喉の手術のため3月29日のライブをもってライブ活動を休止することを発表した。同年6月30日、音楽性の違いを理由として解散した。

メンバー

  • AYAKO

中ノ森文子を参照。

  • SHINAMON
    本名・三島亜紀子(みしま あきこ、1981年5月29日 - )
    作詞・キーボード担当。血液型B型、神奈川県出身。
    • ヤマハ音楽院出身
    • メジャーデビュー前は『しなもん』という名前で出演していた(アルファベットではなく、カタカナでもない)。
    • 「しなもん」という名前は昔シナモンが好きだったことに由来していたが、それほど好きでもなかったという。
    • 作詞・作曲もこなし、中ノ森BANDとしてデビューする前の音楽学校時代は「しなもん」という名前でライブハウス四谷天窓を拠点にピアノ弾き語りのライブ活動をしたり、「しなもんcafe」というバンドを結成し同じくライブ活動を行ったりしていた。2nd Albumの『Do the Rock』に収録されている「Hey You!!」と「One☆Two☆Diving」は、SHINAMONによる作詞であった。しかし、中ノ森BANDの作品でSHINAMONが作曲を担当したものは無い。
    • 2008年6月30日の解散発表において、「これからはAYAKO、YUCCO、CHEETAメンバー個人個人の活動を見守って下さい。私自身もメンバーの今後を見守り応援していきたいと思っています。」とコメント。
  • YUCCO
    本名・田口裕美子(たぐち ゆみこ、1982年4月5日 - )
    作詞・作曲・ベース担当。血液型AB型、岡山県出身。
    • 音楽学校アン・ミュージック・スクール出身。当時は樋沢達彦に師事[1]
    • メジャーデビュー前は『たぐっちゃん』という名前で出演していた。
    • 姉は競艇選手の田口節子。2005年4月にJLCのドキュメンタリー番組『水神〜挑戦者の鼓動〜』で節子が特集された時にはYUCCOもゲスト出演した。番組内では、YUCCOが過去に再生不良性貧血バセドウ病で2度の入院をしたことが明かされた。節子は、そんな身体の弱い妹が単身上京し、アルバイトをしながら一人で夢に向って頑張っている姿に本当に励まされ、ここまで来られたと語る。
    • 中学の頃ベースに興味を持ち、ベースを買いに楽器屋に行った。ところが、店員に「一人でベースやってもつまんないよ! ギターにしなよ」と言われギターを買って帰る。しかし、やはりベースがいいと改めて高校1年生の時にベースを始めたという。
    • ウッドベース、アップライトベースも弾きこなした。2006年6月24日O-EASTで行ったワンマンライブにて、アコースティックバージョンの磁石でアップライトベースを披露(2ndアルバム初回限定版DVDに一部収録)。
    • 2005年夏から秋ごろ、インストゥルメンタルBAND「Gqlla」に加入(現在は不明)。
    • 2012年6月自己のバンド「benihoo」を結成。[2]


  • CHEETA
    本名・浦本絵美(うらもと えみ、1979年9月21日 - )
    ドラム担当。血液型B型、石川県出身。
    • バンタン芸術学院出身。
    • メジャーデビュー前は『ちいた』という名前で出演していた(『ちぃた』ではない)。
    • 「Oh My Darlin'」のPVで使用しているドラムセットは私物(ちなみにこのドラムは、この種類では日本で一台目に輸入されたもの)。
    • ドラムスクールの講師という一面ももっていた。
    • 2004年8月頃に myuuRy に加入した(2007年3月脱退)。
    • 中ノ森BAND以前は生活が大変だった時期があったらしく、昔話をすると泣き出してしまうことがあった。
    • 現在は東京ブラススタイルのドラム担当。(脱退)
    • 2010年セルフプロデュースによるソロCD「We are the morning player」をリリース。(作詞、作曲、アレンジ、歌、全て本人)
    • ソロプロジェクトがバンド化し、現在Symmetriezとして活動している。


  • TOMOE
    本名・手島友恵(てしま ともえ、1987年1月13日 - )
    ギター担当。血液型A型、東京都出身。
    • メジャーデビュー前は『ともえ』という名前で出演していた(アルファベットでもなく、カタカナでもない)。
    • メジャーデビュー後はほぼAYAKOのみでMCを展開していたが、デビュー前はTOMOEも加わったかたちでMCが展開されていた。
    • 学業専念のため、2005年9月30日で活動休止。但し、事実上はこの時点で引退したものと見られる。

出演

テレビ

ラジオ

  • 中ノ森BANDのラズベリーSHOW、Yeah!!(bayfmJST毎週水曜日24:00 - 24:30)
    コーナー紹介
    アルバイターAYAKO(すでに終了)
    ヴァ〜っとSHOUT!(すでに終了)
    ヴァ〜〜〜っとSHOUT!シーズン2
    あの人に会いたい!ふぁ〜お!(すでに終了)
    AYAKOにキュー!
    AYAKOエンジェル!
    リアルAYAKOエンジェル!
    TOMOEのわんこラブラブ!(すでに終了)
    YUCCOのぼっけー気になる!(すでに終了)
    SHINAMONのちょっぴりデンジャラス〜!(改名)
    SHINAMONののっぺりたら〜りどーんデンジャラス〜!
    CHEETAの私もたまにはしゃべります!
    茶柱(ストリーミングプログラム版限定)
  • イキナリ!火曜日「中ノ森BAND・AYAKOのフォレストアワー」(TBCラジオ、毎週火曜日23:30 - 25:00)(2006年4月 - 2008年3月)
    コーナー紹介
    イキナリメールクラブ
    イキナリスクエア「メルメル大作戦!!」
    携帯変換、イキナリ!新日本語語録
    みやぎオススメNET
    イキナリ!モテモテ化計画
    あの人の寝言
    八木山塾(旧:八木山恋愛塾)
  • GOOD MORNING PORT CITY Saturday(FMポート) - AYAKOのみ、ゲスト

映画

その他

ディスコグラフィー

シングル

  1. ラズベリーパイ <TECI-81> (2005年2月23日発売)
  2. Whatever <TECI-86> (2005年5月25日発売)
  3. Oh My Darlin' <TECI-94> (2005年11月23日発売)
  4. i Need Love <TECI-102>(2006年5月31日発売)
  5. Fly High <TECI-107>(2006年8月30日発売)
  6. 旅への扉 <初回限定盤:TECI-117/通常版:TECI-118>(2007年7月25日発売)
  7. イソブラボー/雪 <初回限定盤:TECI-127/通常版:TECI-128>(2007年10月24日発売)
    • 日本テレビ「音燃え!」オープニングテーマ
  8. 風になりたい <初回限定盤:TECI-131/通常版:TECI-132>(2008年1月23日発売)

アルバム

  1. OH MY DARLIN' 〜Girls having Fun〜 <初回限定盤:TECI-1121/通常版:TECI-1122>(2006年1月11日発売)
  2. Do the Rock <初回限定盤:TECI-1140/通常版:TECI-1141>(2006年11月22日発売)
  3. エレクトリックガール <初回限定盤:TECI-1172/通常版:TECI-1173>(2008年3月5日発売)
  4. GIRLS ROCK BEST <初回プレス:TECI-1230/通常盤:TECI-1231>(2008年9月24日発売)

その他・参加作品

  1. 『吉田拓郎トリビュート〜結婚しようよ〜』(2008年2月2日発売)
    • 「結婚しようよ」で参加。

エピソード

TOMOEの活動休止

ギターのTOMOEが学業専念を理由に2005年9月をもって活動を休止、このことは同年8月頃に公式サイトで発表された。TOMOEが活動休止してすぐに、公式サイトからTOMOEの活動休止についての記載が削除され、公式ブログからはTOMOEが書いた日記もすべて削除された(一部に形跡は残っている[1] [2] [3])。また、他のメンバーが書いた日記でも、TOMOEについて少しでも触れていた日記が同じく削除された。ちなみに、この時に削除された日記には、TOMOEとの最後の別れの際、SHINAMONが「絶対にまたいつか一緒に演奏しようね!」と泣きながら約束したことが書かれたものなどがあった。その後は、残されたメンバーがテレビや雑誌のインタビュー等にTOMOEについてコメントすることはなく、デビューも4人組でデビューしたという形でテレビ・雑誌の略歴等に表記されていた。

解散

2008年6月30日午前1時59分の公式サイトの更新で、同日いっぱいでの解散を突如宣言。ページ上で、「中ノ森BAND」としてではなく、メンバー各人がそれぞれに報告を行うというやや異例ともとれる形での解散宣言となった。解散理由についてAYAKOは「メンバーやスタッフと沢山話し合った結果、それぞれの音楽性の違いにより、それぞれが別々の道に進む結果となりました。」と記している。

外部リンク

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:中ノ森BAND
  1. OB情報 田口裕美子」アン・ミュージック・スクール。2008年6月30日閲覧。
  2. [4]