下鴨生駅
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下鴨生駅(しもかもおえき)は、福岡県嘉麻市鴨生にある、九州旅客鉄道(JR九州)後藤寺線の駅。かつては漆生線が接続していた。現在でも嘉麻市の準代表駅である。
平成の大合併により2006年(平成18年)3月27日に誕生した嘉麻市内の唯一の駅でもある。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームへの移動は構内踏切を介して行われる。かつてはさまざまな線路(漆生線、赤坂炭鉱貨物支線など)が放射状に伸びる貨物のターミナル駅であった。後藤寺線内では唯一の交換可能駅で、1994年(平成6年)までは交換のための要員が配置され直営駅であった。交換自動化に伴い無人駅となり、2004年(平成16年)には独特の形状をした駅舎も取り壊され、旧駅舎に掲げてあった駅名板のみが設置されている。同駅は福岡県内のJR線で最後のタブレット交換駅だった。
近距離きっぷの自動券売機が設置されている。
駅周辺
- 福岡県道402号飯塚山田線
- 福岡県道415号口の原稲築線
- 鴨生専正寺
- 鴨生恵比須神社
- 山上憶良公園
- 旧三井鉱山山野炭鉱ボタ山
歴史
- 1916年(大正5年)2月1日 - 筑豊本線の貨物支線(上三緒 - 漆生)上に赤坂駅(あかさかえき。貨物のみ扱い)として開設。
- 1920年(大正9年)5月10日 - 芳雄 - 漆生間・上三緒 - 筑前山野間で旅客輸送を開始、漆生線と名乗る。当駅も旅客扱いを開始。
- 1926年(大正15年)7月15日 - 九州産業鉄道(後の産業セメント鉄道)船尾 - 赤坂炭坑間が開業し、国鉄と九州産業鉄道との接続駅となる。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 産業セメント鉄道が戦時買収により国有化される。漆生線の新飯塚 - 赤坂間と上三緒 - 筑前山野間を後藤寺線に編入。当駅も漆生線から後藤寺線の駅となる。
- 1945年(昭和20年)6月10日 当駅 - 赤坂炭坑間の貨物支線を廃止し、当駅構内に併合。
- 1956年(昭和31年)12月20日 - 駅名を赤坂駅から下鴨生駅に変更。
- 1966年(昭和41年)3月10日 - 漆生線漆生 - 下山田間(実質は嘉穂信号場まで)が開業(漆生線全通)。
- 1974年(昭和49年)3月5日 - 貨物扱い廃止。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 漆生線廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州に継承。
- 1999年(平成11年)3月13日 - 後藤寺線ワンマン運転開始。
日本最小規模
テンプレート:独自研究 2006年(平成18年)3月27日に福岡県山田市をはじめとする1市3町が合併して誕生した嘉麻市エリアには現行の後藤寺線のほか、かつては漆生線や上山田線も存在し駅数も多かったが、両線とも国鉄再建法の施行によって廃止されてしまい、現在残っているのは旧・嘉穂郡稲築町エリアにある当駅のみとなった。後藤寺線内では一番利用者数が多い駅ではあるものの駅舎無し、自動販売機無し、バス路線無し、駅待ちタクシー無し、更に駅周辺に商店無し、唯一存在するのがNTTの公衆電話ボックスといった当駅は、市の代表駅として日本最小規模である。
それに加えて、旧稲築町民を除く嘉麻市民の多くはバスの便が良い飯塚市にあるJR筑豊本線の飯塚駅や嘉穂郡桂川町にある同線の桂川駅を利用しており、しかも旧・嘉穂郡碓井町エリアにある嘉麻市役所(旧・碓井町役場)へは当駅から徒歩で1時間半程の距離がある。それが故にJTB発行の時刻表に載っている鉄道路線図には市の代表駅を表す「◎マーク」が表示されておらず、また現在のところJR九州・嘉麻市ともに当駅を活性化させる計画は全くない。
旧・山田市は合併により、同市と姉妹都市関係を結んでいた北海道歌志内市に次ぐ日本2番目のミニ市を返上したものの、逆に現エリアには市の代表駅としては日本最小規模の駅が誕生することとなった。なお、当駅から一番近い官公庁である嘉麻市役所稲築庁舎(旧・稲築町役場)へも徒歩で40分程の距離がある。漆生線がまだ現役の頃、稲築町役場の最寄り駅は隣の鴨生駅だった。
その他
隣の駅
- 九州旅客鉄道
- 後藤寺線
- テンプレート:Color快速
- 通過
- テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color快速
かつて存在した路線
- 日本国有鉄道
- 漆生線
- 下鴨生駅 - 鴨生駅