三東洋
テンプレート:Infobox baseball player 三東 洋(さんとう ひろし、1978年10月7日 - )は、島根県鹿足郡津和野町出身の元プロ野球選手(投手)。
目次
来歴・人物
プロ入り前
津和野中学校時代は外野手兼任。益田東高校の野球部3年時の夏の甲子園の県予選でそれまでの奪三振記録を塗り替えた。
高校卒業後駒澤大学に進学するも肩とひじを相次いで手術し、通算2勝に止まる。以降、彼の野球生活は怪我との闘いの連続となる。
その後社会人のヤマハに入社。チームでは歌藤達夫らに次ぐ控え投手だった。2002年のドラフト6巡目で阪神に入団。津和野町出身者初のプロ野球選手となった。
プロ入り後
ルーキーイヤーのテンプレート:By7月13日のフレッシュオールスターでは、2点リードの8回に登板したが、一死満塁のピンチを招いて今江敏晃(ロッテ)に走者一掃の逆転タイムリースリーベースを浴びてしまい、スリーランホームランを放った喜田剛のMVP(チームが勝利すれば確定と言われていた)を消してしまった(結果的に今江がMVPを獲得)。7月31日の横浜戦で初登板。牽制でランナーを刺すなど上々のデビューを飾る。
テンプレート:By8月22日のヤクルト戦でプロ初先発・初勝利。初勝利の試合ではプロ入り初打席でタイムリーを記録した。
テンプレート:By、テンプレート:Byと一軍での登板がなかったが、テンプレート:Byは井川慶がメジャー挑戦のため移籍退団し、能見篤史、江草仁貴らとともに先発ローテーションに入るサウスポーとして期待される。しかし、右肩の故障は癒えておらずオープン戦中に故障を再発させてしまい、同年も一軍登板が無いまま10月5日、球団より戦力外通告を言い渡される。現役続行の意思はなく、現役引退を表明。最後まで黒星を喫することはなかった。
引退後
情報サイトの企画、運営などを手がける企業の広報担当に転身。その後、神戸市内にプライベートトレーニング施設をオープン、代表を務める。
プレースタイル
一塁牽制が上手い投手[1]。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 阪神 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 29 | 6.2 | 5 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2.70 | 1.50 |
テンプレート:By2 | 22 | 6 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 189 | 44.0 | 40 | 4 | 25 | 0 | 0 | 43 | 4 | 1 | 25 | 24 | 4.91 | 1.48 | |
通算:2年 | 27 | 6 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 218 | 50.2 | 45 | 4 | 30 | 0 | 0 | 48 | 4 | 1 | 27 | 26 | 4.62 | 1.48 |
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記録
- 投手記録
- 初登板:2003年7月31日、対横浜ベイスターズ20回戦(阪神甲子園球場)、7回表に4番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に相川亮二から空振り三振
- 初先発・初勝利:2004年8月22日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、6回2失点
- 打撃記録
- 初打席・初安打・初打点:2004年8月22日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、2回表にジェイソン・ベバリンから左前適時打
背番号
- 37 (2003年 - 2006年)
- 12 (2007年)