七道駅
テンプレート:駅情報 七道駅(しちどうえき)は、大阪府堺市堺区鉄砲町にある、南海電気鉄道南海本線の駅。駅番号はNK10。
駅構造
島式1面2線のホームを持つ高架駅である。ホームは3階、改札口は1階にある。1番線難波駅寄りの向こう側に、地上線時代の線路跡が若干残されている。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color南海線 | 下り | 和歌山市方面 (テンプレート:Color空港線)関西空港方面 |
2 | テンプレート:Color南海線 | 上り | なんば方面 |
- Sichidou sta kaisatsu.jpg
改札口
- Nankai Shichido (02) IMG 4197 20130609.JPG
プラットホーム
利用状況
2012年度の一日平均乗降人員は7,392人[1]で、南海の駅(100駅)では39位[1]、南海本線(今宮戎駅・萩ノ茶屋駅を除く41駅)では21位[1]である。
近年の一日利用状況推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員 |
1日平均 乗車人員 |
順位 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1990年(平成 2年) | 11,721 | 5,844 | - | [2] |
1991年(平成 3年) | 11,886 | 5,944 | - | [3] |
1992年(平成 4年) | 11,778 | 5,911 | - | [4] |
1993年(平成 5年) | 11,750 | 5,883 | - | [5] |
1994年(平成 6年) | 11,444 | 5,739 | - | [6] |
1995年(平成 7年) | 11,286 | 5,659 | - | [7] |
1996年(平成 8年) | 10,838 | 5,457 | - | [8] |
1997年(平成 9年) | 10,436 | 5,254 | - | [9] |
1998年(平成10年) | 9,844 | 4,990 | - | [10] |
1999年(平成11年) | 9,213 | 4,704 | - | [11] |
2000年(平成12年) | 8,956 | 4,552 | - | [12] |
2001年(平成13年) | 8,877 | 4,504 | - | [13] |
2002年(平成14年) | 8,642 | 4,371 | - | [14] |
2003年(平成15年) | 8,551 | 4,332 | - | [15] |
2004年(平成16年) | 8,231 | 4,194 | 35位 | [16] |
2005年(平成17年) | 8,057 | 4,109 | - | [17] |
2006年(平成18年) | 7,906 | 4,005 | - | [18] |
2007年(平成19年) | 7,811 | 3,967 | - | [19] |
2008年(平成20年) | 7,812 | 3,949 | - | [20] |
2009年(平成21年) | 7,401 | 3,743 | - | [21] |
2010年(平成22年) | 7,282 | 3,678 | - | [22] |
2011年(平成23年) | 7,318 | - | 38位 | [1] |
歴史
- 1917年(大正6年)4月21日 - 南海鉄道の住ノ江駅 - 堺駅間に新設[23]。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日 - 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
- 1983年(昭和58年)7月3日 - 上り線のみ高架化。
- 1985年(昭和60年)5月7日 - 高架化完成。
駅周辺
駅の西側にはロータリーがあり、その中心には河口慧海の銅像が立てられている。東側には店舗やコンビニが見られる。駅北方には工場が多い。
- 堺七道郵便局
駅周辺の歴史
古代の七道は、七道の浜といい、尾張氏の一族の田蓑宿禰が領主で、三韓征伐から帰国した神功皇后を迎えたとされ、皇后は住吉大神の神助を受けたことから田蓑宿禰に祀ることを伝え、住吉大社が創建され、田蓑宿禰の子孫は津守氏の姓を与えられ、住吉大社の歴代宮司家となる。
現在では、住吉大社は大和川を越えた大阪府大阪市住吉区にあるが、江戸時代に大和川が瀬替え(流路変更)を施される以前は七道から住吉まで地続きで、七道は住吉と同じく摂津国に属した。
しかし、大和川により摂津国から切り離され、明治時代における七道周辺の工場地帯化から、現在はそのような七道の歴史を偲ぶ縁もない。近年、堺区宿院町東2丁にある宿院頓宮(住吉大社と大鳥大社の御旅所)に向けて神輿が担ぎ出され、紀州街道を南下し、大和川を渡る「舟渡御」が再現されている。
地名の「七道」とは、勅願寺でもある真宗大谷派浄得寺が七堂伽藍を備え、付近一帯が寺領だったことが由来となっている(時期は不明だが「七堂」→「七道」と表現が変わった)。
駅南東には河口慧海の生家跡、河口慧海が学んだ清学院、駅東側には行基が掘削に携わった井戸の跡などがある。
駅の住所が示す通り、駅西側の歩道や駅北側のダイセル敷地内の歩道側には、鉄砲試射場跡を示す碑などが建っている。しかし2010年現在では工場の建物のほぼ大半が解体され更地になっており、阪神高速道路大和川線と15号堺線のジャンクションの工事が行われている。駅東側の北旅籠町や桜之町にはかつて鉄砲鍛冶が多く居住し、旧鉄砲鍛冶屋敷(内部非公開)が残っている。
ダイセルの元となった堺セルロイド株式会社や大日本セルロイド株式会社堺工場、大日本セルロイド株式会社堺工場(後に写真事業を分社して現在の富士フイルムや富士フイルムホールディングスが設立された)で開発された国産のフィルムベースなど、日本における写真フィルム事業の原点の地と言える。
バス
南海バス七道駅前通停留所が駅西側国道26号沿いにある。
- 11・12系統:堺東駅前(大小路経由)
- 11系統:八幡町(松屋大和川通経由)
- 12系統:堺浜北(松屋大和川通経由)
隣の駅
- 南海電気鉄道
- テンプレート:Color南海本線
- テンプレート:Color特急サザン・テンプレート:Color急行・テンプレート:Color空港急行・テンプレート:Color区間急行・テンプレート:Color準急
- 通過
- テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color特急サザン・テンプレート:Color急行・テンプレート:Color空港急行・テンプレート:Color区間急行・テンプレート:Color準急
- ()内は駅番号を示す。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 南海線・乗降人員 - 南海アド
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- ↑ 「私設鉄道停車場廃止設置並名称及位置変更」『官報』1917年4月27日(国立国会図書館デジタル化資料)では大和川駅(2代目)の移転・改称としている。鉄道省『鉄道停車場一覧 昭和2年版』(国立国会図書館デジタル化資料)では開業日が大和川駅として開業した1899年(明治32年)4月1日となっている。