ローマの休日
テンプレート:Infobox Film 『ローマの休日』(ローマのきゅうじつ、原題:テンプレート:Lang-en-short)は、1953年製作のアメリカ映画。
王女と新聞記者との切ない1日の恋を描いている。トレビの泉や真実の口など、永遠の都・ローマの名だたる観光スポットを登場させていることでも有名である。
1953年度のアカデミー賞において、主役の新人オードリー・ヘプバーンがアカデミー最優秀主演女優賞を、脚本のイアン・マクレラン・ハンターが最優秀原案賞を、衣裳のイーディス・ヘッドが最優秀衣裳デザイン賞をそれぞれ受賞した。
アカデミー賞選考委員会は1993年にドルトン・トランボへ最優秀原案賞を贈呈している[1]。
目次
ストーリー
ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王女アンは、ヨーロッパ各国を表敬訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついにアンはヒステリーを起こしてしまう。
その夜、密かに城を抜けだした王女は、直前に打たれていた鎮静剤のせいで無防備にも路傍のベンチでうとうとしはじめる。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう[2]。
翌朝になって彼女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをモノにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。
アンはまず美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べる。その後ジョーとベスパに二人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加する。その様子をアーヴィングが次々にスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都・ローマで自由と休日を活き活きと満喫するアン王女とジョーの距離は次第に近づいていくのであった。
キャスト
- アン王女(アーニャ・スミス) - オードリー・ヘプバーン
- ジョー・ブラッドレー - グレゴリー・ペック
- アービング・ラドビッチ - エディ・アルバート
- 大使 - ハーコート・ウィリアムズ
- ヴィアルバーグ伯爵夫人 - マーガレット・ローリングス
- マリオ・デラーニ - パオロ・カルリーニ
- プロブノ将軍 - トゥリオ・カルミナティ
- ヘネシー支局長 - ハートリー・パワー
日本語吹き替え版
役名 | 1972年 4月7日初回放送 フジテレビ版 正味約95分 |
1979年 11月11日初回放送 テンプレート:Nowrap 正味約90分 |
1992年 月日初回放送 TBS版 |
1994年 1月15日初回放送 テンプレート:Nowrap |
2004年 10月29日初回放送 テンプレート:Nowrap |
1994年 1月21日発売 ソフト版 |
パブリック・ テンプレート:Nowrap |
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アン王女 | 池田昌子 | 笠原弘子 | 鈴鹿千春 | テンプレート:Nowrap | 池田昌子 | 岡村明美 | |
ジョー | 城達也 | テンプレート:Nowrap | 小川真司 | テンプレート:Nowrap | 城達也 | 寺杣昌紀 | |
テンプレート:Nowrap | 山内雅人 | 木村幌 | 大塚明夫 | 山野史人 | 内田直哉 | 大塚明夫 | 小形満 |
大使 | 千葉順二 | 槐柳二 | 大木民夫 | 松岡文雄 | 宮田光 | 北村弘一 | ? |
伯爵夫人 | 金子亜矢子 | 幸田弘子 | 池本小百合 | 浅井淑子 | 谷育子 | 荘司美代子 | 定岡小百合 |
マリオ | 広川太一郎 | 安原義人 | 江原正士 | 清水明彦 | 山寺宏一 | ? | |
将軍 | 大久保正信 | 北村弘一 | 大木民夫 | 石森達幸 | 丸山詠二 | ? | |
支局長 | テンプレート:Nowrap | 上田敏也 | 中庸助 | 楠見尚己 | |||
テンプレート:Nowrap | |||||||
翻訳 | 木原たけし | 森みさ | 木原たけし | 岩崎純子 | |||
演出 | 小林守夫 | 佐藤敏夫 | 松川陸 | 小山悟 | 佐藤敏夫 | 間瀬博美 | |
効果 | 遠藤尭雄 | テンプレート:Nowrap | 諸橋一男 | ||||
調整 | 山下欽也 | 平野富夫 | 荒井孝 | 田中和成 | 清本百合子 | ||
音楽(選曲) | 重秀彦 | ||||||
スタジオ | オムニバス・ ジャパン |
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制作担当 | 上田正人 | 山形淳二 | 稲毛弘之 | ||||
日本語版制作 | 東北新社 | ||||||
テンプレート:Nowrap | フジテレビ 1974年4月19日 1976年3月3日 2005年12月24日 2009年3月21日(深夜) |
日本テレビ 1986年5月9日 テレビ朝日 1996年12月8日 テレビ朝日 2007年9月8日(深夜) |
フジテレビ 2000年5月6日 |
この他、アン王女:池田昌子、ジョー・ブラッドレー:城達也、アービング・ラドビッチ:村越伊知郎のバージョンもある(放送年・放送局は不明確)。
製作
背景
1950年代初期、アメリカ本国では「赤狩り」と呼ばれる共産主義者排斥運動が行われた。映画産業はハリウッド・テンと呼ばれた人物たちがパージされ、本作の脚本家であるダルトン・トランボもその一人だった。このため友人の脚本家イアン・ハンター名義で参加をしていた[3]。
そのため当時のアメリカの俳優や監督は、国内の監視を逃れて外国での撮影を好む傾向があったテンプレート:要出典。人件費が安く済む上に、ヨーロッパからの移民が多いアメリカの観客がヨーロッパの文化を受容しやすかった点なども海外ロケの要因にある。イタリア側も映画産業に対し協力的であった。これは観光産業が目的で、本作で紹介される名所はスペイン広場、パンテオン、コロッセオ、真実の口など枚挙に暇がない。またヨーロッパの工業製品としてスクーターのベスパ、小型車のフィアットを登場させている。
何より大きな影響を持ったのは、ファッションモードが世界へ発信された点にある。繊維産業により外貨を稼ぎたかった欧米のメッセージは大きな反響を呼び、ヘプバーンも「ヘプバーンと言えばジバンシィ」とされるほど、映画のみならずファッション革命のヒロインに成長していく。日本でもヘプバーン・サンダルなどの名前が残っている。
製作途中には、当時勢力の拡大を狙っていた共産主義者によるテロが頻繁に起こっていたテンプレート:要出典。また撮影中のローマは猛暑であったため、メイクが流れ落ち、頻繁にメイクアップをしていた。
オードリーの起用
最初にヒロイン候補に挙がっていたのはエリザベス・テイラーであった。しかし、監督のフランク・キャプラが高額の製作費を要求したため、スタジオはキャプラを降板させ、代わりにウィリアム・ワイラーに白羽の矢が立った。ワイラーは主役を自由にキャスティングできることを条件に、監督を引き受けた。
当時、オードリー・ヘプバーンは映画界では無名に近い存在で、体型も女優としては痩せすぎであったが、丁度、ブロードウェイで上演されていた『ジジ』の主役を務めており、その演技を見たワイラーがヒロインに抜擢することを決めた。グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず自分と同等のクレジットを与えることに同意した。
演出
ペックとワイラーは新人ヘプバーンの女優としての力量を引き出すために腐心した。真実の口のシーンの撮影では、二人は一計を案じ、本番で真実の口に手を突っ込んだペックは、本当に手を噛みちぎられたように演じた。ヘプバーンは驚きのあまり、本気で叫び声を上げ、素のリアクションを見せた。この自然な演技は、二人を十分満足させるものであり、1テイクでOKがでた。
映画に登場した名所
- フォルム・ロマヌム(セプティミウス凱旋門)
- トレヴィの泉
- スペイン広場
- パンテオン(G.ロッカ)
- コロッセオ
- 真実の口(劇中で、グレゴリー・ペックが手を差し入れた一連の演技はアドリブである)
- サンタンジェロ城
- テヴェレ川
- コロンナ宮殿(2階:勝利の柱の部屋)
- バルベリーニ宮殿(現国立絵画館、クアットロ・ファンターネ通りに面した門)
- ヌオーヴァ教会修道院時計塔
- トラヤヌスの記念柱
- ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
- ヴェネツィア広場
- ボッカ・ディ・レオーネ通り(青空市場)
- ポポロ広場
- サンタ・マリア・イン・モンテサント教会
- サンタ・マリア・イン・ミラーコリ教会
- ポポロ門(フラミニオ門)
- 共和国広場
- サンタ・マリア・イン・コスメディン教会
- フォルトゥーナの神殿
- サン・ピエトロ大聖堂
- パラッツォ・ブランカッチョ(現国立オリエント博物館)
評価
監督のワイラーと脚本のトランボは男女の出会いと別れという月並みなテーマを、フレームに映る全ての事実の積み上げと互いの細かい感情のやり取りから普遍的なお伽話にまで昇華させた。
原題の"Roman Holiday"とは、ローマ帝国時代、休日に奴隷の剣闘士を戦わせる見世物を市民たちが楽しんだことから「他人を犠牲にして楽しむ」[4]といった意味がある。したがって、設定そのものを表すのと併せてダブル・ミーニングとなっているとする説がある[5]。
そして、ダブル・ミーニングこそが本作に通底するテーマである。それは、ひとつの科白やひとつの動作が二つの意味を持っていたり、見かけと実態が異なるということが、全編を通して頻発するからである。
備考
イギリスの女王エリザベス2世の妹マーガレット王女に関して、王女と民間人との恋の主人公として「ローマの休日」公開前に話題となったが、この恋は成就しなかった。そのため「ローマの休日」はこのことをモデルにしたのではと思われているところもあるが、この映画のプロデューサであったパラマウント社のライルズは明確に否定している。ただし、映画のプロモーションとしてこの事件が功を奏したことは否定していない。
著作権問題
本作は作品中(オープニングタイトル、エンドロールなど)に著作権表記がなかったため、公開当時のアメリカ合衆国の法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、パブリックドメインとなった[6]。
また日本においては、1953年の作品は2003年(平成15年)12月31日をもって著作権の保護期間が終了したものと考えられたことから、2004年(平成16年)以降、幾つかの会社から格安DVDとしてリリースされた。パラマウント社は日本では著作権が存続しているとして販売差し止めと損害賠償を求めて争っていたが、2007年(平成19年)12月18日、最高裁により著作権は消滅しているとの確定判決が下された。この判決により、日本でもこの映画はパブリックドメインとして扱われることになる。詳細は1953年問題を参照。
リメイク
1987年にはアメリカでリメイク版のテレビ映画『新・ローマの休日』がキャサリン・オクセンバーグをヒロインにして公開された。日本でも映画製作50周年を記念した2003年にデジタル・ニューマスター版のスペシャルDVDが販売された。
「ローマの休日」を題材にした作品
- ドラマ
- 漫画
- アニメ
- 『シティーハンター2』
- 第10話・第11話「モッコリ殺し!? 王女の高貴なオーラ 前編・後編」セリジナ公国アルマ王女(原作15巻収録エピソードのアニメ化)
- 『シティーハンター2』
- 舞台
- 戯曲
- 『レディ・アンをさがして』(1989年(平成元年))
脚注
- ↑ 本人が亡くなっていたため未亡人が代わりに受賞した。
- ↑ ラジオから聞こえてくる静かなピアノ曲はフランツ・リストの「巡礼の年」の「ゴンドラをこぐ女」である。
- ↑ 映画製作50周年を記念したデジタル・ニューマスター版(2003年)ではトランボの名前がクレジットされた。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ シャレードと同じ理由。このため、ウィキコモンズに高解像度のスクリーンショットが収録されている。
関連項目
- 1953年問題
- エコー8 - 映画で使用された日本製のライター型カメラ。
- 宋美齢 - 中華民国総統の蒋介石の妻。グレゴリー・ペック演じる新聞記者と支局長とのやりとりの中で、特ダネの代名詞としてその名が出てくる。
- ジョン・キーツ、パーシー・ビッシュ・シェリー - 2人がある詩句の作者について論争するシーンがある。
外部リンク
- テンプレート:Officialテンプレート:Ja icon
- テンプレート:Movielink
- テンプレート:Movielink
- ローマの休日 - Movie Walker
- ローマの休日 - 映画.com
- ローマの休日 製作50周年記念デジタル・ニューマスター版 - 映画.com
- ローマの休日 - 金曜ロードショー(2006年8月4日放送分)
- テンプレート:Movielink
- テンプレート:Imdb title