ヤマハリゾート

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テンプレート:出典の明記 ヤマハリゾートは、ヤマハ株式会社(旧:日本楽器・以下総称してヤマハ)の完全子会社でリゾート施設の運営にあたる企業名、および、ヤマハが(旧)ヤマハリゾート株式会社(2002年3月解散)など関連企業を通じて運営していたリゾート施設群の総称である。

概要

楽器と共通する余暇として、1962年にヤマハは「鳥羽国際ホテル」の開発に着手し、リゾート事業に進出した。高度経済成長期による本業での潤沢な資金力を背景に、広大な敷地を誇るリゾートホテル会員制ゴルフ場総合保養地域整備法が施行されるバブル景気前までに相次いで開発した。また、伊勢カントリークラブの資本参加や寸座ビラの買収により、他者によって開業した既存施設もヤマハリゾートとして組み入れられていた。これらリゾートの展開は、ヤマハポピュラーソングコンテストなどの開催やゴルフクラブ・スキー板のメーカーでもある本業と関連が結び付けられる側面も有していた。

1987年に当時のヤマハ社長・川上浩の肝煎りで、北海道の朝里岳北西エリアにヤマハリゾートとして空前屈指の規模となる「キロロリゾート」の開発に着手した。スキー場のキロロスノーワールドは1991年に開業したが、キロロタウンとキロロゴルフクラブはバブル崩壊後の1993年に開業したため、豪華絢爛なリゾートホテルである「ホテルピアノ」のリゾート会員権と「キロロゴルフクラブ」のゴルフ会員権の販売および売上は低迷することになり、ヤマハは売却することになる2007年までにキロロ単独で210億円以上もの損失を本業の利益や資産売却により補填することになった。

2002年3月31日に(旧)ヤマハリゾートはヤマハに吸収合併され解散させ、(旧)ヤマハリゾートが直接保有していたリゾート施設は施設毎に新設した運営子会社に移管された。なお、(旧)ヤマハリゾートは事業用不動産の再評価により123億円の債務超過状態であり、ヤマハは同額を2002年3月期決算で特別損失を計上し、同期最終連結決算においても赤字となる旨が2002年4月3日に発表されている。

2007年(平成19年)3月23日に、「鳥羽国際ホテル」「合歓の郷」「キロロリゾート」「はいむるぶし」の4施設を収益改善が見込めないことを理由として同年10月1日を目処に三井不動産に売却する旨を発表。同年10月1日に三井不動産リゾート株式会社へ不動産と運営会社が売却され、これら施設経営から撤退した。

2008年に伊勢カントリークラブの持株を売却して資本撤退してからは、ヤマハ自社開発である「つま恋」と「葛城」のみの保有となった。2011年4月につま恋と葛城を合併のうえ「ヤマハリゾート(2代目)」に社名変更させ、事業統括されている。

運営施設

1974年開業。17ヘクタールの敷地に総合レクリエーション施設として、ホテル2棟・コンベンション施設・屋内プール・乗馬倶楽部・コンサートホール・レコーディングスタジオなどを設置。多目的広場ではミュージシャンの野外ライブやミニサッカーなどが行われている。
1978年開業。丘陵部の14ヘクタールの敷地に北陸地方の武家屋敷古民家数棟を移築し、和洋折衷の内装とサービスを施した「和風ホテル」である。2002 FIFAワールドカップの際、日本代表チームのベースキャンプホテルとなった。新東名高速道路森掛川インターチェンジが至近にある。
  • 葛城ゴルフ倶楽部(静岡県袋井市)
葛城北の丸に近接するゴルフ場。1976年開業。

かつて保有していた施設

  • 伊勢カントリークラブ
1965年に伊勢観光開発株式会社により開業。開業時にヤマハが50%出資したことで子会社として保有する初のゴルフ場であったが、2008年に持株全てを売却していたことが明らかとなる[1]。経営撤退後もヤマハゴルフ製品の試打コーナーが設けられている。
  • キロロゴルフクラブ
1993年開業、2003年閉鎖。キロロリゾート内の会員制ゴルフ場。2007年に地場建設会社が設立した株式会社レラゴルフクラブが買収するも2009年から休業中。
1973年、遠州鉄道が運営するホテル寸座ビラージおよび遠鉄マリーナとして開業。1981年にヤマハリゾートが経営を引き継いだが、2003年閉鎖。静岡県の浜名湖湖畔ホテル・レストラン・マリーナの複合施設。学校法人ミズモト学園が買収し、一般向け営業も行う専門学校のセミナーハウス「ロテル・ド・寸座マリーナ」として2004年に再オープンしたが、2009年頃に閉鎖されている。
  • 石蕗舎(つわのや、鹿児島県屋久島
1972年開業、1982年閉鎖。後に売却され、現在はつわのやとして営業している。
1974年開業、1982年閉鎖。独自に飛行場を建設した上でホテルを建設。薩摩硫黄島は平家物語に登場する鬼界ヶ島と推定されている島のひとつで、ホテル名は平家物語の巻三にある「足摺」の章に由来する。
1977年開業、1982年閉鎖。旅荘足摺と同様に、独自の飛行場を建設した上でホテルを建設。ホテル名は日本書紀の吐火羅国に由来する。

沿革

  • 1962年 - 日本楽器製造(現:ヤマハ)が、子会社として中日本観光開発株式会社を設立し、リゾート事業に進出
  • 1981年 - 中日本観光開発がヤマハレクリエーションに改称
  • 1988年 - ヤマハがヤマハ北海道リゾート開発株式会社を完全子会社として設立。
  • 1990年 - ヤマハがヤマハリゾート株式会社(旧)を完全子会社として設立。
  • 1991年 - ヤマハリゾートがヤマハレクリエーションを吸収合併。
  • 1995年 - ヤマハがキロロリゾートのキロロタウン・ホテルピアノ・キロロゴルフクラブの事業主であったヤマハ北海道リゾート開発を解散。ヤマハリゾートに承継させる。
  • 1996年 - ヤマハが子会社・株式会社はいむるぶしを設立し、同名施設の運営を移管。
  • 2001年 - ヤマハが10月10日付けで株式会社つま恋、株式会社葛城・株式会社キロロアソシエイツを設立。
  • 2002年 - 3月31日付けでヤマハがヤマハリゾート(旧)を吸収合併。ヤマハリゾートの直営施設は前年設立の子会社に承継。
  • 2007年 - ヤマハが伊勢国際ホテル・合歓の郷・はいぶるむし・キロロリゾートの不動産と運営会社株式等を三井不動産完全子会社の三井不動産リゾートに売却。
  • 2011年 - つま恋と葛城が合併し、ヤマハリゾート(新)に改称。

脚注

  1. 伊勢カントリークラブをヤマハが売却椿ゴルフ

外部リンク