ミラ (恒星)
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ミラ(Mira)は、くじら座のο星(ο Cet)、最も有名な脈動変光星の1つで、ミラ型変光星の代表星である。
性質
ミラは他の脈動変光星と同様に、星が最も収縮した直後に明るさが極大となる性質を持つ。収縮時には恒星が高温となり、単位面積当たりの明るさが増えるためである。膨張時には逆の現象が起きるのに加え、低温の恒星大気に光を遮る酸化チタンの雲が発生し、光度の低下に拍車を掛けていると考えられている[1]。2.0等と10.1等の間を約332日の周期で変光するが、極大等級も周期も必ず一定になるとは限らない。
ミラの後方には全長約13光年にわたって彗星の尾のような構造が延びている。これは脈動の過程で放出された恒星の外層部の残骸とみられる。通常、恒星から放出された物質は惑星状星雲になるか拡散して観測できなくなるが、ミラは周囲の星間物質に対して高速で移動しているため、特有の構造が形成されたと推定されている[2][3]。
ミラは実視連星でもあり、赤色巨星の主星(ミラA)と伴星(ミラB)からなる。ミラBも不規則に明るさを変化させる変光星であり、変光星名をくじら座 VZ星(VZ Cet)という。ミラBは降着円盤を伴う白色矮星だと考えられている[4]。
ミラに関する年表
発見前
- 紀元前2世紀:カール・マニティウスによれば、ヒッパルコスの 「エウドクソスとアラトスの 『ファイノメナ』の注解書」 でミラについて言及している条項があるという。
- 紀元前134年頃:ミューラーとハルトヴィッヒによれば、ヒッパルコスはミラについて言及していたという。
- 何丙郁(Ho Peng-Yoke)によれば、この年にヒッパルコスが見た新星(プリニウスの 『博物誌』 など、通説ではさそり座に出現したとされる)がミラだったと主張している。ただ、この説だと前のマニティウスの主張と矛盾することになる。
- 紀元1世紀:ヨハン・バイエルによれば、くじら座の 「こぶ」 あるいは 「湾曲部」 に位置する星(ミラのこと)についてはヒュギヌスと無名の人物が言及しているという。
- 紀元前後:金井三男は 『聖書』 に登場するベツレヘムの星=ミラ説を主張している。
- 1070年12月25日:何丙郁は、中国の文献に記録されている客星がミラだったと主張している。
- 1592年11月23日:何丙郁は、韓国の文献に記録されている客星がミラだったと主張している(何丙郁は日付を「11月28日」と誤っているという)。
- 1594年2月20日:何丙郁は、韓国の文献に記録されている客星がミラだったと主張している。
発見後
- 1596年8月13日:ダーヴィト・ファブリツィウスが水星の観測中に位置を確認するための星を探していて発見。ファブリツィウスは、この星を25年ほど前にカシオペヤ座に出現したものと同種の新星と考えた。
- 1603年:ヨハン・バイエルがこの年に発行した星図 『ウラノメトリア』 には、変光しない4等星 「ο」 として記録された。
- 1609年2月15日:ファブリツィウスが再発見。
- 1638年:ヨハン・フェレキデス・ホルワルダがο星は新星ではなく周期的に変光する星だと考えた。
- 1662年:ヨハネス・ヘヴェリウスが 「不思議な星の小史」(Historiola Mirae Stellae)という論文を書き、この表題からラテン語で 「不思議なもの」 を意味するミラという名前がついた。
- 1667年:イスマイル・ブイヨーがミラの変光周期は333日であると発表した。
- 1779年:極大時に、アルデバランに匹敵する1等級(推定1.2等)に達した[1]。
- 1906年12月:極大時に2.1等に達した(一戸直蔵が記録)[1]。
- 1923年10月19日:アルフレッド・ハリソン・ジョイの分光観測による予測に基づき、ロバート・グラント・エイトケンが伴星ミラBを発見[5]。
- 2005年:アメリカのX線観測衛星チャンドラによってミラが撮影され、ミラAがX線アウトバーストを起こしていること、ミラAの物質がミラBに吸い寄せられていることが明らかになった[4]。
- 2007年2月17日:極大時に1.9等(平均等級では2.05等)に達した。およそ百年ぶりの明るい増光となる[1]。
- 2007年8月:NASA の GALEX(Galaxy Evolution Explorer、「銀河進化探査衛星」)がミラの後方に彗星の尾のような痕を発見した[3]。
固有名
ミラは、ファブリツィウスによって発見されて以来、長らく新星と考えられていた(しかしながら、数年後には再発見されていたのであるから、今でいう回帰新星ということになる)。そのため、ロワーエの星図やヘヴェリウスの星表、フラムスティードの星表などではいずれも新星として扱われていた。
18世紀の後半になって、『フラムスティード星図』 のパリ・第2版(1776年)で Variante、同パリ・第3版(1795年)で Changente と記されており、この頃には変光星として認知されていたと考えられる。ミラ(Mira)という固有名は、上記ヘヴェリウスの論文の表題に由来するものであるが、実際に使われたのはボーデによる 『フラムスティード星図』 のベルリン版(1782年)が最初である。
また「ミラ」は、アラビア語で「驚き」「不思議」という意味もある。[6]
しばしば星座名を伴ってミラ・ケーティー(Mira Ceti、「くじら座の不思議星」)ともいう(以前はよく 「ミラ・ケチ」 と表記された)。類例として、デネブ・キュグニー(はくちょう座α星)、スピカ・ウィルギニス(おとめ座α星)、プロキシマ・ケンタウリ(ケンタウルス座α星C)がある。
また、ミラはよく 「くじら座の心臓」 に当たるといわれるが、別名をコルム・ケーティー(Collum Ceti、ラテン語で 「くじらの頚」 の意)という。ちなみにヘヴェリウスは、星表では Nova in Collo Ceti (くじらの頚にある新星)と記している。
脚注
注釈
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出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book ja-jp
- ↑ 「徹底図解 宇宙のしくみ」、新星出版社、2006年、p103
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関連項目
外部リンク
- くじら座ο星(ミラ)の光度曲線 - 国立天文台公式サイト内のページ
- クリスマスにミラを見ようキャンペーン
- 日本変光星研究会のミラの星図
- Omicron Ceti (Mira) - AAVSO - アメリカ変光星観測者協会公式サイト内のページ(英語)
- Mira Revisited - AAVSO - アメリカ変光星観測者協会公式サイト内のページ(英語)