マリオ・ケンペス
テンプレート:サッカー選手 マリオ・アルベルト・ケンペス(Mario Alberto Kempes、1954年7月15日 - )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。ポジションはフォワード。ペナルティエリア内に陣取るセンターフォワードではなく、運動量の多いフォワードとして知られ、しばしばペナルティエリア外からもゴールを狙った。
目次
経歴
選手
クラブ
父親のマリオもサッカー選手であった。7歳の時にジュニアチームでサッカーを始め、14歳の時に地元のタジェレス・デ・コルドバの下部組織に加わった。1971年、インスティトゥート・コルドバからデビューし、オスバルド・アルディレスなどとともにプレー。1974年にロサリオ・セントラルに移籍し、同年にはプリメーラ・ディビシオンで25得点を挙げて得点王に輝いた。セントラルでは105試合で85得点を記録して傑出したゴールスコアラーとしての地位を確立した。1976年にリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFに移籍し、1976-77シーズン(24得点)と1977-78シーズン(28得点)には2シーズン連続でピチーチ賞(得点王)のタイトルを獲得した。スペインでの活躍や1978 FIFAワールドカップでの活躍などから、1978年にはベネズエラのエル・ムンド誌が選出する南米年間最優秀選手賞を受賞した。1978-79シーズンにはコパ・デル・レイで優勝し、1979-1980シーズンにはUEFAカップウィナーズカップで優勝。1980年にはUEFAチャンピオンズカップ王者のノッティンガム・フォレストFC(イングランド)を破ってUEFAスーパーカップのタイトルも獲得した。1981年には母国のCAリーベル・プレートに移籍したが、再びスペインに戻ってバレンシアとエルクレスCFでプレー。30代となってからはオーストリアン・ブンデスリーガのクラブに在籍した。1992年にいったん現役引退したが、1995年に現役復帰して1996年までプレーした。
代表
アルゼンチン代表としては43試合に出場して20得点し、1974 FIFAワールドカップ、1978 FIFAワールドカップ、1982 FIFAワールドカップの3回のFIFAワールドカップに出場した。
1973年9月23日、ボリビア戦でアルゼンチン代表デビュー。20歳だった1974年には西ドイツで開催された1974 FIFAワールドカップに出場したが、6試合出場無得点であった。1978年にはセサル・ルイス・メノッティ監督によって母国開催の1978 FIFAワールドカップのメンバーに選出されたが、アルゼンチン国外でプレーする選手はケンペス(スペインのバレンシア所属)ただひとりであった。メノッティ監督は、メンバー発表の際にケンペスを「彼は屈強で、技術があり、スペースを作るのが巧みで、強烈なシュートを放てる。違いを生み出せる選手であり、センターフォワードのポジションでプレーできる」と表現した。イタリア、フランス、ハンガリーと同組となった1次リーグでは無得点に終わったが、ブラジル、ポーランド、ペルーと同組となった2次リーグでは、ポーランド戦とペルー戦でそれぞれ2得点し、首位で決勝に進出。ポーランド戦では手を使って失点を阻止し、ポーランドにPKが与えられたが、ウバルド・フィジョールがPKをセーブして失点を免れた[1]。決勝のオランダ戦(3-1)は前半に先制点を挙げ、試合は延長にもつれ込んだが、105分に持ち前のドリブルから決めた得点が決勝点となった[2]。この大会では6得点を挙げて得点王と大会最優秀選手賞を受賞し、アルゼンチンの初優勝に大きく貢献した。1982年にスペインで開催された1982 FIFAワールドカップでは5試合に出場したが、大会後は代表に選出されることもなくなった。
指導者
1993年には、古巣バレンシアCFでエクトル・ヌニェス監督のアシスタントコーチを務め、1996年にはリーガ・インドネシアのペリタ・ジャワFCで選手兼任監督を務めた。初めて常勤の監督に就任したのはアルバニア・サッカーリーグのSKルシューナである。短期間の采配期間ではあったが、アルバニアのサッカー史上初の外国人監督となったほか、アルバニアで初めて外国人選手と契約した監督となり、先駆者として名を残した。1997年にはベネズエラのミネロス・デ・グアジャーナ監督に就任。1999年にはボリビアのザ・ストロンゲストの監督となり、2000年には同じボリビアのクラブ・ブルーミングの指揮を執った。
その後
1999年にはワールドサッカー誌によって20世紀の偉大なサッカー選手100人の73位に選出された。2004年3月にはペレによってFIFA 100に選出された。現在はスペインのESPN Deportesでサッカー解説者やコメンテーターとして活動している。テレビゲームのFIFA 13・南米版ではフェルナンド・パローモやシーロ・プロクーナとともに推薦文を書いている。
所属クラブ
- 1971-1973 テンプレート:Flagicon インスティトゥート・コルドバ
- 1974-1976 テンプレート:Flagicon ロサリオ・セントラル
- 1976-1981 テンプレート:Flagicon バレンシアCF
- 1981-1982 テンプレート:Flagicon CAリーベル・プレート
- 1982-1984 テンプレート:Flagicon バレンシアCF
- 1984-1986 テンプレート:Flagicon エルクレスCF
- 1986-1987 テンプレート:Flagicon ファースト・ヴィエナFC
- 1987-1990 テンプレート:Flagicon VSEザンクト・ペルテン
- 1990-1992 テンプレート:Flagicon クレムザーSC
- 1995 テンプレート:Flagicon CDFAアルトゥーロ・フェルナンデス・ビアル
- 1996 テンプレート:Flagicon ペリタ・ジャワFC
指導クラブ
役職の記載がない場合は監督
- 1993 テンプレート:Flagicon バレンシアCF(アシスタントコーチ)
- 1996 テンプレート:Flagicon ペリタ・ジャワFC(選手兼任監督)
- 1996 テンプレート:Flagicon SKルシューナ
- 1997-1998 テンプレート:Flagicon ミネロス・デ・グアジャーナ
- 1999 テンプレート:Flagicon ザ・ストロンゲスト
- 2000 テンプレート:Flagicon クラブ・ブルーミング
- 2000-2001 テンプレート:Flagicon インデペンディエンテ・ペトロレーロ
個人成績
クラブでの出場記録
テンプレート:Football player statistics 1 テンプレート:Football player statistics 2 |- |1973||インスティトゥート||プリメーラ||13||11|||||||||||||||| |- |1974||rowspan="3"|ロサリオ・セントラル||rowspan="3"|プリメーラ||36||29|||||||||||||||| |- |1975||49||35|||||||||||||||| |- |1976||22||21|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 2 |- |1976–77||rowspan="5"|バレンシアCF||rowspan="5"|ラ・リーガ||34||24||0||0||-||-||-||-||34||24 |- |1977–78||34||28||12||11||-||-||-||-||46||39 |- |1978–79||30||12||10||3||-||-||6||3||46||18 |- |1979–80||32||22||2||2||-||-||9||9||43||33 |- |1980–81||12||9||1||0||-||-||5||2||18||11 テンプレート:Football player statistics 2 |- |1981||rowspan="2"|CAリーベル・プレート||rowspan="2"|プリメーラ||29||15|||||||||||||||| |- |1982||0||0|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 2 |- |1982–83||rowspan="2"|バレンシアCF||rowspan="2"|ラ・リーガ||27||13||1||0||2||0||8||0||38||13 |- |1983–84||15||8||4||3||2||0||-||-||19||11 |- |1984–85||rowspan="2"|エルクレスCF||rowspan="2"|ラ・リーガ||17||1||2||0|||||||||||| |- |1985–86||21||9||2||1|||||||||||| テンプレート:Football player statistics 2 |- |1986–87||ファースト・ヴィエナFC||ブンデスリーガ||20||7|||||||||||||||| |- |1987–88||rowspan="3"| VSEザンクト・ペルテン||ファーストリーグ||32||10|||||||||||||||| |- |1988–89||rowspan="2"|ブンデスリーガ||29||9|||||||||||||||| |- |1989–90||35||15|||||||||||||||| |- |1990–91||rowspan="2"|クレムザーSC||rowspan="2"|ブンデスリーガ||21||5|||||||||||||||| |- |1991–92||18||2|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 2 |- |1995||フェルナンデス・ビアル||プリメーラB||11||5|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 2 |- |1995–96||ペリタ・ジャワFC||リーガ・インドネシア||15||10||||||||||||||15||10 テンプレート:Football player statistics 3149||111|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 4222||126|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 4155||48|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 411||5|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics 415||10||||||||||||||15||10 テンプレート:Football player statistics 5552||300|||||||||||||||| テンプレート:Football player statistics end
代表での年別記録
[3] テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |1973||0||0 |- |1974||10||4 |- |1975||5||3 |- |1976||9||7 |- |1977||0||0 |- |1978||7||6 |- |1979||0||0 |- |1980||0||0 |- |1981||3||0 |- |1982||9||0 |- !通算||43||20 |}
代表での得点
スコア欄はアルゼンチンを左側に記している
# | 日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1974年4月22日 | ブエノスアイレス | テンプレート:Fb | 2–1 | 2–1 | 親善試合 |
2. | 1974年5月18日 | パリ | テンプレート:Fb | 1–0 | 1–0 | 親善試合 |
3. | 1974年5月22日 | ロンドン | テンプレート:Fb | 1–2 | 2–2 | 親善試合 |
4. | 2–2 | |||||
5. | 1975年8月3日 | カラカス | テンプレート:Fb | 2–1 | 5–1 | コパ・アメリカ1975 |
6. | 1975年8月10日 | ロサリオ | テンプレート:Fb | 5–0 | 11–0 | コパ・アメリカ1975 |
7. | 10–0 | |||||
8. | 1976年2月27日 | ブエノスアイレス | テンプレート:Fb | 2–1 | 2–1 | スーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス 1976 |
9. | 1976年3月20日 | キエフ | テンプレート:Fb | 1–0 | 1–0 | 親善試合 |
10. | 1978年6月14日 | ロサリオ | テンプレート:Fb | 1–0 | 2–0 | 1978 FIFAワールドカップ |
11. | 2–0 | |||||
12. | 1978年6月21日 | ロサリオ | テンプレート:Fb | 1–0 | 6–0 | 1978 FIFAワールドカップ |
13. | 3–0 | |||||
14. | 1978年6月25日 | ブエノスアイレス | テンプレート:Fb | 1–0 | 3–1 | 1978 FIFAワールドカップ |
15. | 2–1 |
タイトル
クラブ
- バレンシアCF
- コパ・デル・レイ (1) : 1978-1979
- UEFAカップウィナーズカップ (1) : 1979-1980
- UEFAスーパーカップ (1) : 1980
- CAリーベル・プレート
- プリメーラ・ディビシオン (1) : 1981
代表
- アルゼンチン代表
- FIFAワールドカップ (1) : 1978
個人
- FIFAワールドカップ得点王 (1) : 1978(6得点)
- FIFAワールドカップ最優秀選手賞 (1) : 1978
- アルゼンチン最優秀選手賞 (1) : 1978
- ピチーチ賞 (2) : 1976-77(24得点), 1977-78(28得点)
- 南米年間最優秀選手賞 (1) : 1978
- FIFA 100 : 2004
- 南米プレーヤー・オブ・ザ・センチュリー 23位 : 2006[4]
脚注
外部リンク
- Argentine Glory Kempes the catalyst for Argentine gloryテンプレート:リンク切れ
- Classic Players Mario Kempes
- Observer Sport biography
- テンプレート:Es iconFutbol Factory profile (Archived)
テンプレート:FIFA 100 テンプレート:リーガ・エスパニョーラ得点王 テンプレート:FIFAワールドカップ得点王 テンプレート:UEFAカップウィナーズカップ得点王 テンプレート:南米年間最優秀選手賞 テンプレート:アルゼンチン年間最優秀選手賞 テンプレート:コパ・アメリカ1975アルゼンチン代表 テンプレート:1978 FIFAワールドカップアルゼンチン代表
テンプレート:1982 FIFAワールドカップアルゼンチン代表- ↑ 1978 World Cup Match Report - Argentina - Poland FIFA.com
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「sanspo
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ http://www.national-football-teams.com/v2/player.php?id=13184
- ↑ South American – Player of the Century Retrieved on January 3, 2009