フランソワ・ボタ
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(フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタから転送)
テンプレート:Infobox フランソワ・ボタ(Francois Botha、男性、1968年9月28日 - )は、南アフリカ共和国の元キックボクサー・プロボクサー。ウィトバンク出身。元IBF世界ヘビー級チャンピオン。ニックネームは「ザ・ホワイト・バッファロー(The White Buffaro)」。現在は輸入代理店の経営をしている。
目次
来歴
ボクシング
- 1990年2月11日、デビュー戦となるジョン・バンジル戦から35連勝を記録。
- 1995年、36試合目にしてジョージ・フォアマンの王座返上により空位となったIBF世界ヘビー級王座をノーランカーのアクセル・シュルツと争い、判定勝ちで第11代王者となった。しかし、試合後の尿検査でドーピングが発覚する。ボタ陣営は、「腕のケガの治療のために医者から処方された薬に禁止薬物が含まれていたもので、故意ではない」と主張した。この検査結果を受けて、IBFはボタに罰金5万ドルを課したが、そのまま新王者と認定した。ところが、これに対しシュルツ陣営が米国で訴訟を起こしたため、この試合結果は無効試合に変更になり、ボタの王座も剥奪となった。この結果には議論のあるところで一時的にIBFに認められた期間があるため、ボタは元IBF世界ヘビー級王者という肯定派と故意か過失かは別として明確な薬物使用により試合自体が無効(遡及効)となっているのでボタはIBFを獲得していないとする否定派が存在する。IBFの公式見解ではボタの王者在位が認められており、直後の剥奪という扱いになっている。一方のシュルツは、訴え通りに無効試合となったことで再び空位となった王座決定戦に出場したが、マイケル・モーラーに敗れた。
- 1996年11月9日、マイケル・モーラーの持つIBF世界ヘビー級王座に挑戦するが、12回TKO負け。
- 1999年1月16日、マイク・タイソンと対戦。1年半ぶりの試合となるタイソンに5回に捕まり、右一発でKO負け。このタイソンの一発でボタは首の骨がズレるほどの重傷を負い担架で運ばれる。この試合は、1回終了間際にボタとタイソンが乱闘になり、リング上は両軍のセコンドが入り乱れての大混乱となった。しかし、試合後は両者が健闘を称え合った。この試合のボタの報酬は200万ドル。
- 同年8月7日、シャノン・ブリッグスと対戦。手数でボタが優勢も、ダウンを奪われて引き分け。この試合の両者の報酬は10万ドル。
- 2000年7月15日、英国でレノックス・ルイスの持つWBC/IBF世界ヘビー王座に挑戦。2回TKO負け。
- 2002年3月16日、ドイツでウラジミール・クリチコの持つWBO世界ヘビー級王座に挑戦。パンチを見切りカウンターを効果的に当てるなどしたが、8回TKO負け。
- 同年7月27日、クリフォード・エティエンヌと対戦し、引き分け。
※この翌年からK-1参戦
- 2007年7月6日、南アフリカで5年ぶりにボクシングへ復帰。WBFヘビー級暫定王座決定戦でボブ・ミロビッチを3-0の判定で破り、王座を獲得した。
- 2007年12月23日、アテネオリンピック金メダリストのオドラニエル・ソリスと対戦予定だったが、試合の一週間前にキャンセルした。2008年中にも何度かソリスとの対戦が計画されたが実現せず。
- 2009年2月6日、南アフリカでロン・ゲレロと対戦し、3-0の判定勝ちで空位のWBFヘビー級王座を獲得。
- 2010年4月10日、WBF世界ヘビー級タイトルマッチでイベンダー・ホリフィールドと対戦し、8回TKO負けを喫した[1]。
- 2013年2月8日、WBAインターナショナルヘビー級タイトルマッチでソニー・ビル・ウィリアムズと対戦し10回判定負けを喫した。しかし国際タイトルマッチは12ラウンドで行われるのが通常であり、発表されていた12ラウンドから、観客だけでなく関係者への告知も事前に無く10ラウンドで終了したことで、ボタが終盤に試合を盛り返していたこともあってフェアでないと不満が続出、ブックメーカーが掛け金の返金に応じるなど混乱が起きた[2]。また試合から数日後、15万オーストラリアドル(約1450万円)の報酬で負けるよう八百長試合を持ちかけられていたことをボタが暴露した[3]。
K-1(キックボクシング)
- 2003年10月11日、K-1へ参戦。デビュー戦で、シリル・アビディに反則パンチ(倒れた相手へのパンチ)を見舞い、反則負け。12月6日の決勝トーナメントでリベンジマッチを行うも、試合を優勢に進めながらもハイキックでダウンし、アビディに連敗を喫した。12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!で藤本祐介と対戦し、左フックでダウンを喫して判定負け。
- 2004年3月27日、アジス・カトゥーと対戦し、開始早々にカウンターでダウンを奪われ判定負け。6月6日、レミー・ボンヤスキーと対戦し、膝蹴りでダウンを奪われ判定負け。5連敗となった。
- 2004年9月25日、『K-1 WORLD GP 2004 開幕戦』で、ジェロム・レ・バンナを相手に圧倒されるも2Rに右のオーバーハンドでダウンさせる。3Rドロー判定後の延長戦に入る直前、バンナ自身が試合の続行を拒絶してのセコンドからタオルが投げ込まれ、TKO勝ちによるK-1初白星を挙げた。
- 2004年12月4日、『K-1 WORLD GP 2004 決勝戦』の準々決勝では、ピーター・アーツがローキックを放った際、ボタの太腿へヒットさせるもその瞬間にアーツが肉離れで負傷し2ノックダウンKO勝ちを収めた。続く準決勝は王者レミー・ボンヤスキーをボディブローで苦しめ試合を終了直前まで優勢に進めたが、試合終了数十秒前にハイキックによるダウンを奪われ、逆転で判定負け。
- 2005年8月13日、K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS IIのスーパーファイトでマイティ・モーと対戦。開始早々の右フックでダウン。その後もパンチで3度のダウン。1R1分20秒でKO負け。
- 2006年3月5日、レミー・ボンヤスキーの代理として急遽K-1 WORLD GP 2006 in AUCKLANDのスーパーファイトに出場しレイ・セフォーと対戦し、0-3の判定負け。
- 2006年10月14日、南アフリカで開催されたAfrican Bomba-YaaでFFKAサウスアフリカチャンピオンであるエスペディト・ダ・シウバと対戦し、2RでKO勝ちを収めた。
- 2008年3月30日、韓国で開催されたThe KHANにおいてガオグライ・ゲーンノラシンと対戦し、3-0の判定勝ち。
総合格闘技
- 2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で秋山成勲と総合格闘技ルールで対戦し、1R腕ひしぎ十字固めで一本負け。
戦績
ボクシング
キックボクシング
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総合格闘技
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主な獲得タイトル
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Championshiptitle先次空- ↑ 47歳ホリフィールド、ボタを倒す ボクシングニュース「Box-on!」 2010年4月13日
- ↑ テンプレート:Cite web
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