フィラデルフィア・フィリーズ
テンプレート:MLBのチームフィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies, 略称:PHI)は、アメリカMLB、ナショナルリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地はペンシルベニア州フィラデルフィアにあるシチズンズ・バンク・パーク。
目次
概要
テンプレート:Main2 チーム名のフィリー(Philly)は本拠地フィラデルフィアの略称およびフィラデルフィア市民の通称。ユニフォームは、赤を基調とした縦縞で、左袖にも背番号がついている。この袖の背番号はフィリーズ独特のものである。
1883年から存在するMLB屈指の古豪であるがワールドシリーズの優勝は1980年が初めてである。球団創設以来、1970年代後半からの最初の黄金時代までは、ほとんどの時期を下位で過ごす万年弱小球団だった。特に1918年から1948年までの31年間ではシーズン勝ち越しが1度だけ、更にシーズン100敗を12回も記録した。2007年7月15日、アメリカ・プロスポーツチームでは初となる通算10000敗を記録した。しかし近年は上位で安定しており、2009年にチーム史上初のナショナルリーグ連覇を達成。2004年にシチズンズ・バンク・パークが開場してからは観客動員数でも上位に名を連ねており、名実ともにMLBを代表する人気球団の一つとなっている。
フィリーズは長年に渡って黒人選手の受け入れを拒んできた。フィラデルフィアの宿舎が黒人選手の宿泊拒否を通告したり、ジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューした時、当時のフィリーズの監督や選手が、「ロビンソンが出場するなら、フィリーズ選手はフィールドに出ない」と発言し、大きな波紋を呼んだ。フィリーズで黒人選手がデビューしたのはロビンソンがデビューしてから10年後の1957年のことで、ナショナルリーグで最も遅かった。
マスコットはフィリー・ファナティックという緑色の架空の生き物で、MLBでは最も有名なマスコットの一人である。キャラクター製作は『セサミ・ストリート』を手がけたハリソンエリクソン社。1978年4月25日に何の予告もなく何気なくスタンドに現れて以降、お茶目でいたずら好きなパフォーマンスが人気を呼び、フィリーズのマスコットとして愛され続けている。[1]
2005年から2013年途中まで、1970年代後半から1980年代前半にかけてヤクルトスワローズや近鉄バファローズで活躍したチャーリー・マニエルが監督を務めていた。日本人選手では、2007年シーズン途中から終了までと2008年レギュラーシーズン終盤に井口資仁が所属、2008年シーズンにはカージナルスからフリーエージェントになった田口壮が所属した。
2009年チーム通算9000勝を達成した。リーグ2連覇を果たすが、ワールドシリーズでヤンキースの猛攻にあい、こちらは連覇はならなかった。
球団の歴史
球団創設~19世紀
1883年、当時スポーツ用品メーカーを経営していたアル・リーチと弁護士のジョン・ロジャースが、ナショナルリーグの新規参入球団募集の際、前年に破綻したウースター・ルビーレッグスのフランチャイズ権を取得し、「フィラデルフィア・クエーカーズ」として新たな球団を創設した。フィリーズの呼称は現在に至るまで変遷はなく、同一名球団としてはMLBで最も長い歴史を持つ。創設1年目は17勝81敗、勝率.173と散々な成績だった。翌1884年からハリー・ライトが監督に就任し、チャーリー・ファーガソン、ダン・ケーシー、チャーリー・バフィントンら有力投手を揃えチームを再建する。1880年代のフィリーズは貧打にあえいでいたが、1890年代になるとサム・トンプソン、ビリー・ハミルトン、エド・デラハンティ、タック・ターナー、ナップ・ラジョイ、エルマー・フリックといった名選手が登場し、攻撃力が増し、フィリーズは常にナショナルリーグの上位に顔を出す強豪となったが、肝心の優勝争いでは首位と10ゲーム以上離されるシーズンが続いた。しかし、1894年にはタック・ターナー(.418)、サム・トンプソン(.407)、エド・デラハンティ(.404)、ビリー・ハミルトン(.403)で4人の4割打者が誕生し、チーム打率.350(.3497)というとてつもない記録をつくった。また、19世紀のフィリーズの正捕手をしていたジャック・クレメンツは、当時から珍しかった「左投げの捕手」としても知られている。1894年に(.418)を記録した、タック・ターナーはスイッチヒッター(左投げ両打ち)ながら打率4割を記録しており、これは4割打者の中でも唯一の記録である。
ところが、1901年にアメリカンリーグが創立され、新たに同じフィラデルフィアを本拠地とするフィラデルフィア・アスレチックス(現・オークランド・アスレチックス)が創設されると、上記選手が次々と移籍。アスレチックスが強豪チームとして成長するのとは対照的に、主力選手を奪われたフィリーズは弱体化の一途を辿る。アスレチックスへの移籍を不服としたフィリーズは州の裁判所にこの移籍の無効を訴え、ラジョイはアスレチックスで1シーズンと1試合、フリックに至っては11試合にしか出場できず、共にクリーブランド・ナップス(現・クリーブランド・インディアンス)と再契約することになった。デラハンティはワシントン・セネターズ(現・ミネソタ・ツインズ)移籍後の1903年、ナイアガラの滝で謎の転落死を遂げている。
初のリーグ優勝~低迷期
1911年、ピート・アレクサンダーがメジャーデビューするとチームは一気に躍進する。デビュー1年目の1911年には28勝でいきなり最多勝、1914年から1917年かけて4年連続の最多勝とチームの大黒柱となる活躍で、1915年にはフィリーズをリーグ初優勝に導く。しかし、1917年限りでアレクサンダーがフィリーズを離れると、またしてもチームは長い低迷期に入る。再びリーグ優勝を遂げる1950年までに勝率5割を超えたのは1932年と1949年のわずか2シーズンのみであった。その間、1928年にチャック・クラインがメジャーデビュー。1930年代に三冠王1回、本塁打王4回などチームの主砲として活躍するが、フィリーズが上位に進出することはなかった。特に1930年代後半から1940年代前半は酷く、10年間で最下位8回、7度の100敗シーズン、勝率は3割台という有様だった。
Whiz Kidsの登場~2度目の低迷期
1940年代後半に入ると、長い低迷から脱却するためにチームは若返りを図る。ロビン・ロバーツ、リッチー・アシュバーンといった有望な若手選手が続々とメジャーデビュー。1949年には彼らの活躍により81勝73敗と勝率5割以上を記録し、33年ぶりに3位に食い込んだ。翌1950年には開幕から好調を維持し、首位を独走、シーズン最終戦でのブルックリン・ドジャース(現・ロサンゼルス・ドジャース)との直接対決を制し、1915年以来となる2度目のリーグ優勝に輝いた。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは敗れたものの、若手選手を中心に快進撃を遂げたこの年のフィリーズは「Whiz Kids(神童)」と呼ばれた。しかし、この優勝も束の間、チームは再び低迷期に入る。1960年代にはリーグ優勝に貢献した選手が次々に退団。1958年から4年連続の最下位、1961年には23連敗という不名誉なMLB記録を作ってしまう。1964年にジム・バニングが移籍し、チームも一時的に上位に進出するが、それ以外は目立った成績は残せなかった。この間、アスレチックスも長い低迷期を過ごしており、1934年から1967年までに10度の100敗シーズン、勝率5割以上は4回のみ、通算勝率.402だった。また両リーグのシーズン100敗以上の記録を両球団が持っている(アスレチックス:16回、フィリーズ:14回)。
初のワールドシリーズ制覇~黄金時代
1971年、老朽化していたシャイブ・パークからベテランズ・スタジアムに本拠地を移し、同年にスティーブ・カールトンをセントルイス・カージナルスから獲得、1972年にはマイク・シュミットがメジャーデビューする。カールトンは移籍初年度、チームのあげた59勝のうち27勝を稼ぎ出し、シュミットは1974年から3年連続で本塁打王に輝く。彼ら二人を投打の軸として、チームは徐々に上昇気流に乗り出す。1976年、101勝61敗という圧倒的な成績で初の地区優勝に輝くと、1978年まで3年連続で地区優勝を果たす。しかし、プレーオフでは、1976年にシンシナティ・レッズ、1977年、1978年にはドジャースと対戦し、いずれも敗れてしまう。1979年、レッズからピート・ローズが加入し、1980年には4度目の地区優勝。リーグ優勝決定戦でヒューストン・アストロズを破り、30年ぶり3度目のリーグ優勝。ワールドシリーズではカンザスシティ・ロイヤルズを下し、初のワールドチャンピオンに輝いた。1970年代後半から1980年代のフィリーズはまさしく黄金時代だった。カールトン、シュミットの他、通算307本塁打のグレッグ・ルジンスキー、ゴールドグラブ賞8回のゲイリー・マドックスや同じく7回のボブ・ブーン、俊足攻守の遊撃手で後にフィリーズの監督も務めたラリー・ボーワら名選手が数多く所属しており、1983年に4度目のリーグ優勝を果たした際には、ローズに加え、トニー・ペレス、ジョー・モーガンら「ビッグレッドマシン」として知られた元レッズの主力選手も加入していた。
3度目の低迷期〜再び黄金時代
1980年代後半から1990年代前半にかけて、黄金時代を支えた選手がチームを去り、その勢いも衰える。1987年から1992年まで6年連続で負け越しのシーズンが続いた。1993年には前年最下位ながら、アストロズから移籍したカート・シリング、1番打者のレニー・ダイクストラらの活躍で地区優勝。リーグ優勝決定戦ではアトランタ・ブレーブスを下すという番狂わせを演じ、5度目のリーグ優勝に輝いたが、ワールドシリーズでは前年王者のトロント・ブルージェイズに敗れた。
ストライキが発生した翌1994年以降、チームは再び低迷。1994年から2000年まで7年連続で負け越してしまう。しかしこの間、スコット・ローレン、ボビー・アブレイユ、パット・バレルを初めとした若手選手が台頭。2001年には首位ブレーブスに2ゲーム差と迫る86勝76敗でシーズンを終える。2003年にはジム・トーミが加入し、47本塁打で本塁打王を獲得。チームも終盤までワイルドカード争いを繰り広げた。2004年、人工芝が固いベテランズ・スタジアムから天然芝のシチズンズ・バンク・パークに移転。
2006年にはトーミに代わり、正一塁手に就いたライアン・ハワードが打率.313、58本塁打、149打点という驚異的な成績を残し(本塁打は球団記録)、本塁打王、打点王に加え、ナショナルリーグMVPを受賞。チームはこの年に連続地区優勝が止まったブレーブスを押さえ地区2位となったものの、首位メッツには12ゲーム差をつけられてしまった。翌2007年にはジミー・ロリンズが「20・20・20・20」を達成し、MVPを受賞。2年連続でフィリーズの選手がMVPを受賞することとなった。チームもロリンズ、ハワード、チェイス・アトリーを中心とした打撃陣の活躍により、2位メッツを1ゲーム差で抑え、7度目の地区優勝を果たす。しかし、地区シリーズではコロラド・ロッキーズに敗れた。
2008年は、上記の強力な打撃陣に加え、エースに成長したコール・ハメルズ、46歳ながら16勝をあげたジェイミー・モイヤー、守護神のブラッド・リッジらを擁した投手陣も安定感を増し、2年連続で地区優勝を果たした。リーグチャンピオンシップシリーズでロサンゼルス・ドジャースを4勝1敗で下し、15年ぶり6回目のナショナルリーグチャンピオンとなった。アメリカンリーグを制したタンパベイ・レイズを破り、球団史上2度目となるワールドシリーズ制覇を達成した。
2009年は、ハワード、アトリー、ジェイソン・ワース、ラウル・イバニェスの4人が30本塁打以上を記録し、シーズン途中には前年サイ・ヤング賞のクリフ・リーが加入。チームも3年連続で地区優勝を果たす。リーグチャンピオンシップシリーズでは前年同様ドジャースと対戦するが、3勝1敗でこれを下し、史上初の2年連続でナショナルチーグチャンピオンとなった。続くワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースと対戦。共に投打にリーグ屈指の戦力を誇るチーム同士の対戦となったが、2勝4敗でヤンキースに破れ、2年連続のワールドチャンピオンはならなかった。
2010年にはリーを含む三角トレードでロイ・ハラデイを獲得。また同7月29日には、ヒューストン・アストロズからJ・A・ハップら3選手とのトレードでロイ・オズワルトを獲得し、4年連続の地区優勝を果たしたが、リーグチャンピオンシップシリーズでサンフランシスコ・ジャイアンツに敗れ、リーグ3連覇を逃した。
同年オフ、FAでクリフ・リーが復帰。2011年は、ハラデー、リー、ハメルズ、オズワルトなど、MLB屈指の投手陣を擁し、独走で地区5連覇を達成するも、地区シリーズでは優勝候補筆頭だったが、セントルイス・カージナルスに敗れ優勝を逃した。
2012年はハワードがアキレス腱断裂でシーズン前半を戦えないため、ジム・トーミが復帰し、課題の救援陣にチャド・クオルズ、クローザーにジョナサン・パペルボンを獲得し、充実することができると同時に地区6連覇を目指すシーズンとなったが、主力の怪我での離脱などもあり3位に終わる。
選手名鑑
現役選手
テンプレート:Philadelphia Phillies roster
アメリカ野球殿堂入り選手
- ピート・アレクサンダー (Pete Alexander)
- スパーキー・アンダーソン (Sparky Anderson)
- リッチー・アシュバーン (Richie Ashburn)
- デイブ・バンクロフト (Dave Bancroft)
- チーフ・ベンダー (Chief Bender)
- ダン・ブローザーズ (Dan Brouthers)
- ジム・バニング (Jim Bunning)
- スティーブ・カールトン (Steve Carlton)
- ロジャー・コナー (Roger Connor)
- エド・デラハンティ (Ed Delahanty)
- ヒュー・ダフィー (Hugh Duffy)
- ジョニー・エバース (Johnny Evers)
- エルマー・フリック (Elmer Flick)
- ジミー・フォックス (Jimmie Foxx)
- ビリー・ハミルトン (Billy Hamilton)
- ファーガソン・ジェンキンス (Ferguson Jenkins)
- ヒューイー・ジェニングス (Hughie Jennings)
- ティム・キーフ (Tim Keefe)
- チャック・クライン (Chuck Klein)
- ナップ・ラジョイ (Nap Lajoie)
- トミー・マッカーシー (Tommy McCarthy)
- ジョー・モーガン (Joe Morgan)
- キッド・ニコルス (Kid Nichols)
- トニー・ペレス (Tony Perez)
- エッパ・リクシー (Eppa Rixey)
- ロビン・ロバーツ (Robin Roberts)
- マイク・シュミット (Mike Schmidt)
- ケーシー・ステンゲル (Casey Stengel)
- サム・トンプソン (Sam Thompson)
- ロイド・ウェイナー (Lloyd Waner)
- ハック・ウィルソン (Hack Wilson)
永久欠番
- 番号なし グローバー・アレクサンダー(Glover Alexander)
- 番号なし チャック・クライン(Chuck Klein)
- 1 リッチー・アシュバーン(Richie Ashburn)
- 14 ジム・バニング(Jim Bunning)
- 20 マイク・シュミット(Mike Schmidt)
- 32 スティーブ・カールトン(Steve Carlton)
- 36 ロビン・ロバーツ(Robin Roberts)
- 42 ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)
フィラデルフィア野球殿堂
1978年に設立され、フィリーズとフィラデルフィア・アスレチックスの選手を表彰している。 フィリーズからは34人が殿堂入りを果たしている。
殿堂入り表彰者
- ロビン・ロバーツ(1978年)
- リッチー・アシュバーン(1979年)
- チャック・クライン(1980年)
- ピート・アレクサンダー(1981年)
- デル・エニス(1982年)
- ジム・バニング(1984年)
- エド・デラハンティ(1985年)
- サイ・ウィリアムズ(1986年)
- グラニー・ハムナー(1987年)
- ポール・オーウェンズ(1988年)
- スティーブ・カールトン(1989年)
- マイク・シュミット(1990年)
- ラリー・ボーワ(1991年)
- クリス・ショート(1992年)
- カート・シモンズ(1993年)
- ディック・アレン(1994年)
- ウィリー・ジョーンズ(1995年)
- サム・トンプソン(1996年)
- ジョニー・カリソン(1997年)
- グレッグ・ルジンスキー(1998年)
- タグ・マグロー(1999年)
- ギャビー・クラバス(2000年)
- ゲイリー・マドックス(2001年)
- トニー・テイラー(2002年)
傘下マイナーチーム
脚注
外部リンク
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