ビルマ社会主義計画党
テンプレート:政党 ビルマ社会主義計画党(ビルマしゃかいしゅぎけいかくとう)は、クーデターを成功させたネ・ウィンによる1962年の建党以降、1988年までビルマ(現ミャンマー)で独裁政権を担った執政党。マサラとも呼ばれる。1990年解党。
党名
党史
ネ・ウィン将軍による軍事独裁政権に正当性を持たせるため、1962年に成立された。マルクス主義と仏教双方に影響されたビルマ式社会主義を先導する政党とされ、党議長にはネ・ウィン自身が就いた。
1974年にビルマ連邦社会主義共和国憲法が制定され、ネ・ウィンがビルマ連邦社会主義共和国大統領に就任。ビルマ社会主義計画党は国家に対する優越性が保証され、一党独裁による国政の最高支配機関としての役割が与えられた。1976年には党中央機関の幹部多数が、大規模な粛清・国外追放の対象となり、その強権的な政治手法は各国政府の批判にさらされることもしばしばであった。国有化の影響による農業生産の減少などで経済的に行き詰まっていたにも関わらず、一種の鎖国主義により貿易も少なく、国民の生活水準低下は顕著であった。1981年にネ・ウィンは大統領職を辞したが、党議長として院政を続けた。
1988年に全国で反党・民主化デモが相次ぎ(8888蜂起)、7月にネ・ウィンが党議長を辞任、治安警察のセイン・ルイン長官が新議長となった。だが、彼は政局の安定化に失敗し、8月には法務長官のマウン・マウンが後任に当たったが、事態は好転しなかった。結局、同年9月にソウ・マウンビルマ軍参謀長のクーデターで国家法秩序回復評議会(軍事政権、現在の国家平和発展評議会)が実権を握ると、既存の国会が解散させられたことでビルマ社会主義計画党は政権の座から追われた。その後、1990年の国民議会(国会)総選挙に参加するため、ビルマ社会主義計画党党員と軍事政権は新たに国民統一党を結党し、ビルマ社会主義計画党の歴史に終止符を打った。