ショーン・モーリー
テンプレート:Infobox プロレスラー ショーン・モーリー(Sean Allen Morley、1971年3月6日 - )は、カナダ・オンタリオ州オークビル出身のプロレスラー。バル・ビーナス(Val Venis)のリングネームで知られる。
来歴
同郷の大先輩デューイ・ロバートソンのコーチを受け、1991年にプロレスラーとしてデビュー。カナダおよびアメリカのインディー団体やプエルトリコなど各地を転戦してキャリアを重ね、1997年2月にはショーン・モーガンのリングネームで全日本プロレスに初来日している。メキシコでは覆面レスラーのスティールとして活躍した。
1998年、バル・ビーナスに改名してWWF(現・WWE)に初登場。元AV男優というギミックのベビーフェイスとして、自身が使ったタオルを会場の女性ファンにプレゼントするパフォーマンスで高い女性人気を獲得する。決め台詞は "Hello, Ladies"。後にトリッシュ・ストラタスと組んでヒールに転向。一時期RTCの検閲の対象とされAV男優ギミックを中断したこともある。
2001年にWWF正規軍とアライアンスの抗争が始まった頃はリングを離れていたが、2002年のロイヤルランブルにAV男優ギミックで復帰。その後にリングネームをビッグ・バルボウスキーに改めている。この年に行われたドラフトではSmackDown!に所属することになり、当時ベビーフェイス側であったエッジらと行動を共にした。
RAWに移籍後、GMであるエリック・ビショフの側近となり、リングネームをチーフ・モーリー(モーリー参謀長)に改め、参謀長の渾名通りアングル上でビショフの懐刀となる。GMの力を後ろ盾にビショフ陣営が有利に動くよう、RVDやケインなどの反ビショフ派レスラーたちにヒール攻勢をかけるが失態を繰り返し、ビショフに解雇を通告されるが、当時ビショフと共同でGMをしていたストーン・コールド・スティーブ・オースチンにより再雇用され、リングネームをバル・ビーナスに戻して再びベビーフェースに転向。その後はHEATで新人選手や中堅選手との試合を中心に、RAWでは主にジョバーを務めた。
巧みな試合運びやハイレベルなマイクパフォーマンス、高度なレスリングセンスの持ち主として長年に渡りWWEに在籍していたが、後年はブックに全く恵まれないまま前座要員となり、2009年に解雇された。
その後、WWF時代の同僚ジャイアント・バーナードの手引きで、G・B・Hの新戦力として新日本プロレスに参戦。プライベートでは実の妹がエッジと結婚していたが、後に離婚した。
2009年11月にはハルク・ホーガンがオーストラリアにて主宰したハルカマニアツアーに参加し[1]、2010年1月よりTNAに登場してクリストファー・ダニエルズやジェフ・ジャレットと対戦。同年10月からは、プロデューサー(ロード・エージェント)としてWWEと再契約した[2][3][4]。
リングネーム
現在および過去に用いたリングネーム。
- バル・ビーナス(現在も使用)
- ビッグ・バルボウスキー (The Big Valbowski)
- チーフ・モーリー (Chief Morley)
- ショーン・モーリー(SeanSean Morley)
- ショーン・モーガン(Sean Morgan)
- スティール(Steele)
- ラブ・アマシーン2号(Love Machine 2)
- スコット・ボーダー(Scott Border)
- トゥー・ヒップ(Too Hip)
- グラマー・ボーイ・シーン(Glamour Boy Sean)
得意技
- 裏足4の字固め。
- マネー・ショット
- ハーフネルソン・スラム
- フィッシャーマンズ・スープレックス・ホールド
- ブルーサンダー
- ラシアン・レッグスイープ
- ランニング・キチンシンク
獲得タイトル
- WWFインターコンチネンタル王座 : 2回
- WWFヨーロピアン王座 : 1回
- WWE世界タッグ王座 : 1回(w / ランス・ストーム)
- BWF
- BWFヘビー級王座 : 1回
- WWCプエルトリコタッグ王座 : 4回(w / Shane Sewellx2、Rex King、Ricky Santana)
- WWC TV王座 : 2回
- CMLLヘビー級王座 : 1回
- NCW
- NCWヘビー級王座 : 1回
- IWA
- IWAタッグ王座 : 1回(w / Ricky Santana)
- HWA
- HWAタッグ王座 : 1回(w / Steve Bradley)