トカレフTT-33
テンプレート:Infobox トカレフTT-33(テンプレート:Lang-en-short、テンプレート:Lang-ru-short)は、ソビエト連邦陸軍が1933年に制式採用した軍用自動拳銃である。
目次
概要
正式名称を「トゥルスキー・トカレヴァ1930/33」Тульский-Токарева 1930/33(トゥーラ造兵廠・トカレフ 1930年/33年式)と呼び、略してTT-30/33とも呼ばれるが、一般には設計者フョードル・トカレフにちなみ、単に「トカレフ」の名で知られている。
本来必須な筈の安全装置すら省略した徹底単純化設計で、生産性向上と撃発能力確保に徹した拳銃であり、過酷な環境でも耐久性が高く、かつ弾丸の貫通力に優れる。第二次世界大戦中-1950年代のソ連軍制式拳銃として広く用いられた。
1950年代以降、ソ連本国では後継モデルのマカロフ PMに置き換えられて過去の銃となったが、その後も中国を始めとする共産圏諸国でライセンス生産・コピー生産が行われた。中国製トカレフは1980年代以降日本にも多数が密輸入され、暴力団などの発砲事件にしばしば使われることで、一般人にも広くその存在を知られている。
開発
ソ連国営トゥーラ造兵廠の銃器設計者フョードル・バシーレヴィチ・トカレフ(Fedor Vasilevich Tokarev、1871-1968) が、1929年に開発した「TT-1930」が原型である。トカレフはその生涯に多数の銃器類を設計しており、自動小銃開発にも早くから取り組んだことで著名な人物であるが、最も広く知られる「作品」は、このTT-1930拳銃である。
TT-1930
1920年代のソ連では、軍用拳銃としてロシア帝政時代からの制式拳銃である「ナガン・リボルバー」が用いられていた。しかし、ナガンは大きく重いうえ、ガス漏れ防止機構を備えるなどリボルバーとしては構造が複雑過ぎ、生産性の悪い旧式銃であった。また、ロシアには、第一次世界大戦中からロシア革命による戦後の内戦期にかけて、モーゼルC96やコルトM1911など各国から様々な種類・口径の拳銃が流入し、装備統一の面からも好ましくない混乱状況にあった。ソ連陸軍はこの問題に対処するため、1928年から軍用自動拳銃開発のトライアルを開始した。
F・V・トカレフは、帝政ロシア時代からの長いキャリアを持つ銃器設計者であった。彼はやはり帝政時代からの歴史がある名門兵器工場のトゥーラ造兵廠に所属していたが、このトライアルに応じ、1929年に自ら設計した自動拳銃を提出した。テストの結果、トカレフの自動拳銃は、外国製拳銃や、ブリルツキー、コロビンなどソ連国内のライバル拳銃を下し、1930年に「TT-1930」の制式名称で採用され、1935年まで生産された。
TT-1930の機構・デザイン
トカレフの設計した拳銃は、アメリカのコルトM1911(いわゆる「コルト・ガバメント」)のメカニズムを多く取り入れながら[1]、極限まで単純化を図ったものである。コルトの特徴であるショートリコイル撃発方式は、強力な弾丸を安全に発射でき、しかも比較的簡素なことから多くの大型拳銃に模倣された。トカレフもこれを踏襲し、コルト同様に銃身全体をカバーする重いスライドを備えている。ただし、その外見はコルトM1903にそっくりである。直線形状のグリップは、やや握りにくいきらいがある。
多くの個別部品を極力一体化、また、可能なら省略することで、部品点数と組立工数の削減を進めている。グリップはネジではなくレバーで留め、また、ハンマーからシア、ディスコネクタに至る最重要な機関部がアッセンブリー化されている等、生産性を高め、工具無しでもたやすく分解できるようにするための工夫がなされている。
自動拳銃の多くは、スライドの脱着時、スライド位置を固定する「スライドストッパー」を側面に備えている。これは通常ならフレーム内側からパーツを充てて留められているものであるが、トカレフはスライドストッパーの軸をフレーム反対側まで貫通させ、露出した小さな板バネ状の割りピンで留めて、脱落を防ぐようにした。単純明快かつスマートなコスト・工数削減策で、これを模倣した拳銃も多い。
共産主義国家の軍用拳銃らしく、鋼板プレスの縦筋入りグリップ中央には、円で囲まれた星のマーク(☆)が入っている。これは共産圏国家でライセンス生産・コピー生産された多くのトカレフ系拳銃にも共通する外見的特徴となっている。スライド後部側面の指掛け部分は、細溝と太溝を交互に組み合わせたデザインで、これは厚い手袋をしたままでもスライドを引けるようにするためである。トリガーガードも、大柄なソ連兵士が革手袋を填めて射撃する状況を考慮して、かなり大きめに作られている。
使用弾
弾丸は、自動拳銃用の7.62x25mm弾を採用した(通称「.30モーゼル弾」ただし、モーゼル弾は7.63mmと表記され、トカレフ弾と言うと7.62mmと表記される事が多い。同一の弾丸であるにもかかわらず、誤差が生じている理由は不明)。
開発当時、ソ連国内ではドイツ製の大型自動拳銃モーゼルC96が威力の強さを買われて多数使用されており、これに用いられる7.62x25mm弾(.30モーゼル・ピストル弾)を流用したものである[1]。薬莢はライフル弾同様にくびれた「ボトルネック形」で、生産性はやや悪い。第二次世界大戦後はこの銃弾を使用する拳銃の元祖であるモーゼルC96の生産が終了されたため、7.62x25mm規格の拳銃弾はもっぱらトカレフ向けの弾丸として「7.62mmトカレフ弾」と呼ばれる事が多くなった。名称が変わっただけなので.30モーゼル・ピストル弾と7.62mmトカレフ弾は同じ弾薬で、相互の銃弾は両方で用いることができる。
7.62mm弾は弾頭が余り重くないので、射程距離はより大口径の銃弾に劣る。しかし口径の割に火薬の装薬量が多いため、初速がごく高い。また、よく誤解されるのが、テンプレート:要出典範囲
ただ、これは7.62x25mm弾の中に、高価な鉛を多用する事を嫌い「弾心を鉄で作り、その外側にライフリング保護用の鉛、更にその外側に銅コート」という弾丸が多かった事が問題である。この鉄弾心がいわゆる貫徹弾に近い(あくまでも超堅金属ではないため「近い」と但し書きが付く)作用をする。
この鉄弾心弾が共産圏で多く出回っており、1980年代以降中国製トカレフが日本国内に出回った際も、使われた弾のほとんどが鉄弾心であり、このことから、「トカレフ=貫通力が高い」というイメージが広まり、治安当局や防弾装備品メーカーは対策の強化を強いられた。
確かに多少は貫通力に秀でてはいるが、貫通力が高いのはあくまで弾心の材質によるもので、7.62mm弾自体が大きい貫通力を持っている銃弾というわけではなく、通常の9x19mmパラベラム弾のような全鉛+銅ジャケット弾を用いればそこまで貫通力に差があるわけではない。もっとも、9x19mm弾を使用する銃であっても、同様の鉄弾心弾などの(半)貫徹弾を発射すれば、ケブラー繊維の防弾チョッキや鉄板などは軽く打ち抜く能力があるため、トカレフだけが貫通力が高いという訳では無い。
安全装置のない銃
トカレフ拳銃最大の特徴は、暴発を防止する安全装置が省略されていることである。
多くの自動拳銃は通常、手動式の安全装置操作レバーを備える。手動安全装置を省略した事例も少なからず存在するが、それらは黎明期の試行的な製品を除けば、多くは撃発機構にダブルアクション機構を備え、一種の自動安全装置としての働きを持たせている。また、回転式拳銃の場合は、近代の製品の多くが安全性の高いダブルアクション機構装備であり、例外的なシングルアクション専用のものでも撃鉄を起こしたまま持ち歩く危険状態はほとんどあり得ないため、安全装置省略が許容されている。
トカレフ拳銃はそれらと異なり、安全装置が無ければ暴発リスクを伴う「シングルアクション方式の自動拳銃」でありながら、安全装置に類する装備の一切を省いていた。
TT-1930のベースになったコルト・ガバメントは、銃の側面にスイッチ状の「手動セフティレバー」を、また、グリップ後面にはグリップを握っている時だけ発射を可能とする「グリップ・セフティ」をそれぞれ装備し、開発当時としては相応の安全を期した。また、コルトの設計をコピーした欧米の多くの銃器メーカーは、構造が複雑になるグリップ・セフティは省略しても、手動セフティは必ず装備した。民生用として市販するには安全上必須であったからである。
しかし、トカレフは敢えて手動セフティの省略にまで踏み切った。構造が単純になるので生産性が高まるメリットのほか、酷寒の季節に部品凍結などで発射不能になるリスクを少しでも減らす策でもあった。この設計は、訓練され、銃を暴発させないように扱える兵士などが使用する軍用専用であることを前提としており、民兵用としての安全性確保を考慮する必要がなかったことによる。ソビエト連邦陸軍もこのような簡略構造を許容していた。
トカレフ拳銃はハンマー・スプリングの力がシアを押さえつける方向に働くように設計されているため、落下などの衝撃が加わってもハンマーがリリースされにくい構造となっている。ただし、トリガーを軽くするために弱いハンマー・スプリングに交換する改造を行っている場合は、シアを押さえつける力が弱くなるため、落下などの衝撃でハンマーがリリースされやすくなる(暴発事故がおきやすくなる)。手動セフティがないため、兵士がうっかりトリガーを引いてしまったり、ホルスターに戻すときなどに何かがトリガーに当たると暴発事故が起きてしまう可能性がある。トカレフ拳銃は暴発事故が多いと思われているが、それは構造上の欠点ではなく、持ち主のミスが原因である。大衆はトカレフ拳銃の構造を理解していないため、暴発事故がおきやすい拳銃というイメージが定着してしまったが、それでも当時の拳銃としては安全性の高い拳銃であった。
ちなみに、コルト・ガバメントはトカレフ拳銃のようにシアがハンマー・スプリングの力で押さえつけられる構造となっていないため、落下などの衝撃でハンマーがリリースされやすいが、その欠点を補うために、グリップ・セフティとハーフ・コックがある。銃が手から離れるとグリップ・セフティがハンマーをロックする構造となっている。もし落下時の衝撃でグリップ・セフティが動きハンマーがロックされていない状態になると同時にハンマーがリリースされても、ハーフ・コックでハンマーがシアに引っかかってとまるため、暴発事故がおきにくい。
ハンガリーやユーゴスラビアで生産されたトカレフ派生型拳銃には後から手動セフティやマガジンセフティの追加が行われ、また、中国製トカレフについても輸出型は手動セフティ装備となっている。
トカレフ拳銃のポリシーは、その後のソ連軍兵器の多くに受け継がれた。ソ連製の小火器類は概して極度に単純化され、過酷な環境においても機能することを最優先とした構造を採るようになった。
TT-1930/33
単純きわまりない設計のTT-1930を、ソ連軍当局は更に単純化するよう命令した。この結果開発されたのがTT-1930/33で、現在よく知られている多くのトカレフ拳銃はこのタイプの流れを汲むものである。酷寒の状況ではトリガー回りのパーツが凍結のために破損することもある。その際にパーツを素速く交換できるよう、トリガー関連のパーツ一体化などを図り、全体の部品点数も更に削減しているため、第二次世界大戦における各国の主力拳銃でも最も少ない部品で組み立てられている[1]。また、照準を行うためのリアサイトを、TT-1930のV型から、より狙いやすく角張った凹型の「スクウェア・ノッチ」にしたのも重要な改善である。
運用
独ソ戦での実績
TT-1930/33は、洗練とはほど遠い武骨な銃であったが、1941年からの独ソ戦では意図した能力を発揮した。
ロシアの冬は極度の酷寒な気候となり、兵器も凍結によってしばしば作動しなくなる。また、部品折損も多発した。ドイツ軍の拳銃であるルガーP08やワルサーP38は、高精度な工作で製造された優れた拳銃であったが、その精密さ故に酷寒の凍結には脆弱であった。これに対し、公差の許容度が大きく、仕上げの粗いトカレフは、トラブルも少なく確実に作動し折損部品交換も簡単であった。
ただし、大戦中には資材不足から、鋼板グリップから木製グリップに変更した例も多い。また、スライドの溝も工作簡易化のため、特徴的な太細交互配置から、ごく一般的な細溝のみの加工に変更されている。
第二次世界大戦後
1951年に、ワルサーPPの流れを汲んだ中型拳銃のマカロフ拳銃が新たにソ連軍に制式採用されたため、1953年にソ連でのTT-33の生産は終了、以後トカレフ拳銃はソ連においては二線級の存在となった。しかし、共産圏諸国においては1940年代後半以降ライセンス生産やコピー生産が盛んに行われ、各国独自の発展型(手動セフティの追加、銃弾の9mmパラベラム弾への変更など)も生み出されている。
中国
中国では、1949年の建国後、ソ連から技術者を招いてトカレフ拳銃をはじめとするソ連製兵器の国産化に取り組んだ。その当初はソ連製パーツを利用したノックダウン生産から始まり、まず1951年にこのノックダウンモデルが51式拳銃(51式手槍)として採用され、折からの朝鮮戦争では中国人民志願軍や朝鮮人民軍に支給された[1]。しかし、ほどなくソ連と中国の関係が悪化したため指導に来ていたソ連の技師は帰国、パーツ供給も途絶えた。そこで中国は既存の51式拳銃を元に自力によるトカレフ国産化を図り、1954年に純国産のトカレフを完成、54式拳銃(54式手槍)として中国人民解放軍が制式採用した。
54式拳銃はオリジナルのトカレフよりも銃口初速が速く、500m/sに達する[2]。現在でも国営企業の中国北方工業公司(通称NORINCO)で製造され、アメリカなど海外市場の民間向けの輸出バージョンもある。正式な輸出型は、安全基準を満たすため手動セフティを追加しており、54-1式拳銃として区別されている。7.62mm仕様の他、西側諸国で主流の9mmパラベラム口径の213式拳銃もあり、こちらはスライドの指掛け溝が傾斜しているのが特徴である。材質はあまり良くなく、摩耗しやすいとされる。
日本に密輸されるトカレフは、NORINCO製54式拳銃の横流し品や規格外の不良品、ないし中国国内での密造品の類と見られている(大阪の領事館所属の駐在武官が関与した例が1991年にあることから、軍の廃銃の可能性も高い)。中国製の密輸トカレフにはしばしば全体をクロムメッキしたものが見られ、派手な外観を呈しているが、本来はメッキされるような性格の銃ではない。メッキの理由であるが、海路を使った密輸において銃が錆びることを防ぐという実用的な説がある一方で、日本の素人相手に粗悪な仕上げを誤魔化すことが現実の目的とも言われる。もともと共産圏の小火器には銃身内のメッキによってライフリングの長寿命化を図る事例が多いが、密輸トカレフの場合は、中古銃のライフリングが磨耗した銃身を鍍金することで、付け刃的延命処理を図ったとも見られる(日本でも陸軍の三八式歩兵銃などで同じような延命処置が取られていた)。暴力団関係者の間ではメッキされたトカレフに対して「銀ダラ」の通称が付けられている。他にも、グリップの色と星のマークから「黒星(ヘイシン)」の通称もあるが、通常のものを「黒星」、メッキされたものを「銀ダラ」と使い分けることが多い。
日本で不正入手できる拳銃の中でも中国製54式拳銃はいっとき代表的なものであったが、近年はマカロフや59式(マカロフ PMの中国製コピー品)に主流を譲りつつある模様である。これらは暴力団によって使用されることが多いが、最近では一般人でも不法所持している事例が多く発覚しつつあり、水際での発見が望まれている。
北朝鮮
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、1968年までにトカレフの影響を受けた自動拳銃を開発し、68式拳銃として採用した[3]。
68式拳銃は、外観や使用弾丸などにトカレフの影響を強く受けており、手動セフティの省略や機関部の一体化などのトカレフと共通した構造を持つ一方で、銃身のロッキング機構はベルギー製のFN ブローニング・ハイパワーに近いティルト・バレル構造で、その点トカレフの直系とは言い難い。
朝鮮人民軍や警察に広範に配備されており、現在も広く用いられていると考えられている。しかし、慢性的な物資・食糧不足で軍規が緩んだ近年の北朝鮮では、軍や警察から銃器が盗まれる事件が急増しており、首都平壌の中央銀行では盗んだ68式拳銃を使った強盗事件も発生した。
なお、68式拳銃の名称は北朝鮮正式の名称ではないという説もあり、韓国軍が鹵獲した68式拳銃の中には1966年製と刻印の入ったものも存在する。 テンプレート:-
ギャラリー
- P1030092.JPG
TT-33 通常分解状態
- TT 33 Pistol.jpg
TT-33
マガジン底板にU字フックの無いタイプ - TT Pakistan.jpg
TT-33 パキスタン生産モデル
- Yugo Tokarev M57.jpg
ユーゴスラビア生産型M57、グリップと弾倉を延長して装弾数を9発に増やしている
- Chinese type54 Pistol.jpg
中華人民共和国生産型 54式手槍(54式拳銃)
トカレフTT-33に関連する作品
東側諸国で広範囲に用いられた上に、暴力団の用いる拳銃として著名であるため、登場する創作作品も少なくない。 テンプレート:Main