チャールズ・マンソン
テンプレート:Infobox 犯罪者 チャールズ・ミルズ・マンソン(Charles Milles Manson、1934年11月12日 - )は、アメリカのカルト指導者、犯罪者。
1960年代末から1970年代の初めにかけて、カリフォルニア州にて「ファミリー(マンソン・ファミリー)」の名で知られる疑似生活共同体を率いて集団生活をしていた[1][2][3]。
人物概要
女優のシャロン・テート、ラビアンカ夫妻(Leno and Rosemary LaBianca)を殺害した(自身の信者を教唆して殺害させた)ことで、共謀罪を宣告された。共謀という目的の促進のため、彼の仲間の共謀者たちが犯した犯罪により、メンバーそれぞれが共謀罪として有罪となり、マンソンは連帯責任の規則で殺人の罪による有罪判決を受けた[4][5]。
ファミリーができあがり始めた当時のマンソンは、さまざまな犯罪行為のために矯正施設で人生の半分を過ごした。殺人を犯す前の時期の彼は、ロサンゼルスの音楽業界の人間とは距離を置いていた。偶然にも、ザ・ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンを経由してのつながりがあった。犯罪の嫌疑を受けたのち、マンソンによって書かれ、演奏された曲がレコーディングされ、商用発売された。ガンズ・アンド・ローゼズ、マリリン・マンソンを含む歌手たちが、数十年にわたって彼の歌をカバーしている。マリリン・マンソンのリードボーカリスト、ブライアン・ヒュー・ワーナーは、「マンソン」の名を「悪の象徴」として使用している。
カリフォルニア州の最高裁判所にて、1972年にマンソンに対する死刑が決定したが、死刑制度が一時的に廃止されたことで、マンソンは自動的に終身刑に減刑された[6]。カリフォルニア州では、最高刑として死刑が復興したが、コーコラン刑務所(California State Prison)に服役中のマンソンには何ら影響を及ぼすことはなかった。
経歴
祖父母の手で育てられるが、その後は親戚を転々として孤児院に入れられる。その後孤児院を脱走してようやく母に再会するが見放される。このような複雑な出自のため社会に適応できず、9歳の時犯罪に手を染めて以降1967年に釈放されるまでに人生の大半を刑務所で過ごした。
出所後は、家出した少女を集めて「ファミリー」として集団生活を始める。彼自身の風貌が当時の流行だったヒッピーと重なったこともあり、LSDを用いて少女達を洗脳し男性を誘惑させ信者にさせた。マンソンは『聖書』を独自に解釈し、女性は罪人であると信じ込んでいた。数件の残忍な殺人事件を計画し、ファミリーのメンバーに実行を命じた。マンソンを象徴する有名な事件として、1969年8月9日、ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートら5人の無差別殺害がある。
マンソンは自ら殺害を実行することはなく、テート・ラ・ビアンカ殺害事件に関しても実行犯は3人の女性信者で全員が終身刑となり現在も服役中であるが、たびたび仮釈放申請が出され、そのたびにマスコミの関心を集めている。マンソン自身にも1971年4月19日に死刑判決が下された。しかし続く1972年2月にカリフォルニア州では死刑制度が一時的に廃止されたため、これは自動的に終身刑に減刑された。後年同州の死刑制度は復活したが、マンソンには影響が及ばず、現在もカリフォルニア州刑務所で服役している。
2007年の仮釈放に通算11回目の申請を行ったが、「依然として他者に理不尽な危険を及ぼしており、接触する人間に危害を加える恐れがある」として却下された。また、2012年には通算12回目の仮釈放の申請を行ったが却下されている。次回の申請は15年後の2027年である。
サブカルチャーとの関連
マンソンの裁判と有罪判決以来、マンソンの名とそのイメージはアメリカン・ポップ・カルチャーにおける汚点として広く知れ渡った。そのイメージは多くの音楽家や芸術家によって用いられ、マリリン・マンソンは悪のシンボルとしてその名を用いた。
成功することはなかったがマンソン自身は音楽家であり、いくつもの歌を作っている。殺人事件が明るみに出る以前、彼はザ・ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンを始めとする著名な音楽家と友人関係にあった。マンソンによれば、ビートルズの楽曲『ヘルター・スケルター』は、マンソンの画策した同名の黙示、人種間の戦争(Race war)、殺人を引き起こすことを想定した曲であるという(Helter Skelter、原義は「螺旋状の滑り台」)。彼に関連するロックと、大衆文化による悪名を得た当初から、マンソンは狂気、暴力、そして恐怖の象徴となった。最終的に、この単語はマンソン裁判の担当検事で、後に作家となったヴィンセント・バグリオーシ(Vincent Bugliosi)が書いたマンソンの殺人についての著書『ヘルター・スケルター(Helter Skelter (book))』の題名に使われた。これは1976年に『ヘルター・スケルター』(Helter Skelter)としてテレビ映画化され、スティーヴ・レイルズバックがマンソンを演じている。。
備考
- Jonathan Barnbrookが作成した欧文書体、「MASON」はチャールズ・マンソンに由来する。[7]
- 元FBI捜査官ロバート・K・レスラーは、服役中のマンソンと対談を行ったことがある。一時期、隣の監房に心理学者のティモシー・リアリーがおり、アドバイスをしたことがある。
- マンソンを狂信していた3人の女性信者の一人でシャロン・テート殺害事件の実行犯スーザン・アトキンス(Susan Atkins)が2009年9月24日に獄死した。[8]
- 実子(息子)のマシュー・ロバーツは、生まれてすぐ養子に出され父親を知らずに育った。後に自身の手で調べて父のことを知り、悩んだ末に雑誌に告白した。[9]
アルバム
- LIE (1967年)
脚注
関連項目
- ローズマリーの赤ちゃん - シャロン・テート殺害の前年にその夫であるロマン・ポランスキー監督により公開されたホラー映画。
外部リンク
- CharlieManson.com - The Charles Manson Family, extensive information
- Charlie's Family - Information and news related to the Manson girls
- CieloDrive.com - Cielo Drive and the Manson Murders
- Rosemary: Charlie Manson @ pHinnWeb
- MansonDirect.com - Information by supporters of Charles Manson
- SqueakyFromme.org - Lynette "Squeaky" Fromme
- 2Violent - Charles Manson Trial
- Archive of website by Manson supporters, formerly atwa.infoテンプレート:Asbox