ダイハツ・シャルマン

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シャルマンCharmant )はかつてダイハツ工業が販売していた 最上級(高級)乗用車(フラッグシップ・カー)である。

概要

エンジンや足回りを親会社であるトヨタ自動車カローラをベースにしている。カローラよりも高級感を打ち出したことから、初代モデルはそこそこの売れ行きを見せた。ただし、カローラほど頻繁にモデルチェンジを行わなかったことから、モデル末期の陳腐化は著しく、営業面で成功したかという点では疑問が残る。1987年に生産を終了。

車名のシャルマンは、フランス語で「素敵な」「魅力的な」を意味する。

ダイハツが『土曜ワイド劇場』(テレビ朝日系列)のスポンサーだった関係で、特に『江戸川乱歩の美女シリーズ』では天知茂演ずる明智小五郎の愛車として劇中活躍した(他にマツダルーチェカペラも用いられている)。

一時期、高田良二岩井照宣によりD1グランプリにも使用された。

歴史

初代(1974年-1981年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1974年11月 - 発売。ダイハツ初の最上級車(高級車)としてデビュー。同年12月にバンを発売。プラットフォームE20型カローラをベースにしていた。ちなみにフロントドアアウターパネルはカローラ(4ドアセダン、5ドアバン)と全く共通。ヘッドランプはカローラの丸型2灯に対してシャルマンは丸型4灯を採用、高級感をアピールしている。デビュー当初は1,200cc(トヨタ製3K型OHV)、1,400cc(同T型OHV)のエンジンを搭載していた。1969年にコンパーノバンが生産中止以来久々に復活したダイハツのライトバンの設定もあった。こちらもエンジンは1,200cc(トヨタ製3K-J型OHV)と1,400cc(同T-J型OHV)が用意される。シャルマンとしては最初で最後の5ドアライトバンでもあった。
  • 1975年11月 - 一部改良。セダン全車が昭和50年度排出ガス規制に適合。
  • 1976年11月 - マイナーチェンジでフロントグリルが変更される/スポーツカスタムとグランドカスタムを追加と同時にAT車がカタログ落ちする。セダン全車が昭和51年度排出ガス規制に適合。
  • 1978年3月 - マイナーチェンジでフロントノーズをスラント化と同時にグランドカスタムの後席には肘掛が標準装備。エンジンを1,200cc、1,400ccからそれぞれ1,300cc(トヨタ製4K-U型(セダン用)/4K-J型(バン用)OHV)、1,600cc(同2T-U型(セダン用)/2T-J型(バン用)OHV)へとスイッチ。同年7月、1,600cc車にATが復活。これに伴いセダン全車が昭和53年度排出ガス規制に適合。

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2代目(1981年-1987年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1981年10月 - フルモデルチェンジでひとまわり大きくなる。外板プレスとインテリアはダイハツが独自にデザインし、外観は6ライトウインドを採用、エンジンとトランスミッションは先代同様にカローラの流用。プラットフォームはE70型カローラをベースにしていた。初代にあった5ドアのライトバンは廃止された。1,300cc(トヨタ製4K-U型OHV)、1,500cc(同3A-U型SOHC)のエンジンを搭載していた。ステアリング型式は1,300ccがラック・アンド・ピニオン、1,500ccがリサーキュレーティング・ボール。このクラスでは異例の、高級感ある内外装が特徴で最高級車は「アルティア」であった。
  • 1983年8月 - マイナーチェンジで1,500ccはドアミラーが採用されフロントグリルの変更と同時にメーターは水平指針型に、ステアリング形式はラック&ピニオンにそれぞれ変更、最上級グレード車は「アルティアL」に改称と同時にカラード大型バンパーと4速ATを採用/60扁平タイヤ&14インチアルミをオプション化。
  • 1984年9月 - 一部改良。1,500ccエンジン車は全車バンパーを大型化。
  • 1987年10月 - ベースとなったカローラセダンがFF化された後もシャルマンはFR方式で生産されたものの結局は生産中止(同年にFR方式で生産されていたカローラレビン/バンがFF方式の新型にフルモデルチェンジされ、ダイハツ向けへのシャシーの供給ができなくなったため)。これにより、1989年シャレードソシアルアプローズがデビューするまで一時的にダイハツからセダンのラインナップがなくなる。

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関連項目

外部リンク

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