グジャラート語
テンプレート:Infobox Language グジャラート語(グジャラートご、ગુજરાતી [ɡuʤəˈrɑːtiː]: グジャラーティー)はインド西部のグジャラート州の公用語で、インド連邦レベルでも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつである。インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属す。
名詞は、男性名詞・女性名詞・中性名詞の3つの性を持つ[1]。
話者
世界で4600万人が話し、世界で23番目に話者の多い言語である。そのうち、約4550万人がインドに、約15万人がウガンダに、約5万人がケニアに、おおよそ10万人がパキスタンに住んでいる。グジャラート語はグジャラート州におけるのと同様、隣接する連邦直轄地域のダマン・ディーウ、ダードラー及びナガル・ハヴェーリーの主要な言語である。
英国と北米にもグジャラート語の話者が多数いる。英国ではレスター(ミッドランド)とロンドン北部のウェンブリーがグジャラート語のポピュラーな地域である。アメリカでは、ニュージャージー州、ニューヨーク州、カリフォルニア州とテキサス州でグジャラート語がポピュラーである。世界に広くグジャラート語の話者が広がっているために、公式用語である非在住インド人(Non Resident Indian: NRI)と呼ばれるよりは、非在住グジャラート人(Non Resident Gujarati: NRG)と冗談で呼ばれることもある。
グジャラート語は「インドの父」マハートマー・ガーンディーと「パーキスターンの父」ムハンマド・アリー・ジンナーの母語である。
歴史
グジャラート語の歴史は12世紀にまで遡ることが出来る。この言語のさきがけとなった文法書は、アンヒルワーラー (Anhilwara) のラージプートの王シッダラージ・ジャヤシン (Siddharaj Jayasinh) の治世のジャイナ教の僧であり、高名な学者であった、ヘーマーチャンドラーチャーリヤ (Hemachandra-charya) によって書かれたものである。これはアパブランサ (Apabhransa) 文法と呼ばれ、サンスクリット語とアルダ・マガディー (Ardha-magadhi) のような間違いの多い形をあらわしていた。
もっとも古い文学作品は口頭伝承で伝えられているもので、17世紀の2人の熱烈な支持者、クリシュナの崇拝者と偉大な平等主義者のナラシンハ・メへター (Narasinh Mehta) に起源が遡れる(後にガーンディーの発想の基となった)。ナラシンハ・メヘター自身の話はプレーマーナンダ (Premananda) の長い語りに編集されており、偉大な詩人を意味する"maha-kavi"(“マハー・カヴィ”)と現代の言語史研究者たちに認められている。彼が生きていたのは、おそらく17世紀末である。その他には、多数の詩人がバクティと現在では呼ばれているヒンドゥー教の信仰活動のなかで活躍した。
プレーマーナンダは"vyakhyan-kar"(“ヴィヤキヤン-カール”)と呼ばれる吟遊詩人で、題材を詳しく何行もの歌にのせて語った。語りが流暢であったので、何百行にもわたる歌も人々の記憶に残り、朝のお勤めまで歌われた。この意味では、インドにはもっと古いヴェーダの伝統がかなり後まで残っていたのは確かである。
グジャラート地方と言語への近代的な調査は英国の行政官アレクサンダー・フォーブスによる。19世紀にこの土地の過去千年の歴史を調べ、多数の手写本をまとめた。グジャラート語を扱っている学術団体で、彼にちなんだ名前のついているファーバス・グジャラーティー・サバー (Farbas Gujarati Sabha) はムンバイーに本部がある。
地理的分布
公式な地位
グジャラート州の公用語である。またインド連邦レベルでも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつである。
方言
多くの言語と同じように、多少なりとも異なったところのある地方的な方言がある。
派生言語
語彙
今日話されているグジャラート語は、イスラム教徒のスルタンの5世紀にわたる統治のために、他のインドの言語同様アラビア語、ペルシア語から多数の語彙を取り入れている。これは多くは世俗的、または非宗教的分野である。グジャラート語の他の要素は上の方言に記した各地域の地元の住民から多くの単語を取り入れている。
筆記法
デーヴァナーガリー(サンスクリット語やヒンディー語を書くのに使われる文字)によく似たグジャラート文字で書かれるが、頭に横線(シローレーカー)がないほか、いくつかの違いがある。