ヒンドゥスターニー語
ヒンドゥスターニー語は、インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派に属する言語で、一般にはインドの公用語・ヒンディー語、およびパキスタンの公用語・ウルドゥー語としてよく知られる。南アジア(特に北部)のリンガフランカであり、話者の多く住むフィジーでも公用語のひとつとなっている。
概要
この言語はサンスクリットを祖語とするが、上層としてペルシャ語やアラビア語の語彙が極めて多く加わっている。これらの借用語はサンスクリット、プラークリットから連続する多くの固有語を廃語に追いやった。
後の『ヒンディー語』成立の際の言語純化でも、これらの固有語を復活させることはせず、代わりにサンスクリットからそのままの形の単語を新たに直接借用する形を取った。(『ウルドゥー語』はアラビア語、ペルシア語系の語彙を増やし『ヒンディー語』との差別化を図った。)これらの分化は19世紀頃起こった。
現在では、ヒンディー語とウルドゥー語の総称として、また両言語の話者が日常生活に用いる両言語の混交、中間形態をさす言葉としても用いられる。これはおそらく北インドから西インドにかけての事実上の共通語であり、各地域・言語別に大別されるインド映画のうち「ボリウッド」と呼ばれるヒンディー語娯楽映画においても通常用いられる。
諸方言の中ではデリー方言がもっとも権威があり、ヒンディー語、ウルドゥー語共にデリー方言を基盤にしている。 その地位の高さから、インド語派に属する近縁の言語のみならず、ドラヴィダ諸語に属する南インドの言語にも強い影響力を持ち続けてきた。
サンスクリットという世界の歴史上でも屈指の古典文明語を祖語としながら、さらにその上層としてアラビア語やペルシア語という同程度の古典文明語を持つ希有な言語であり、高級語彙の供給元の豊富な言語である。
成立の歴史と言語学的特長
イスラームの衝撃
ヒンドゥスターニー語の前身は、北インドから西インドにかけて話されていたカリー・ボリーと呼ばれる言語であり、この言語は他のインド=アーリア諸語と同じくサンスクリット、プラークリットを祖語としていた。北西インドは中近東や中央ユーラシア世界との接点であるため、早くからアラブ系・ペルシャ系の勢力やトルコ=モンゴル系の遊牧民族が侵入し、言語的にも影響を与えてきた。
ヒンドゥスターニー語が成立する決定的な要因となったのは、デリー・スルターン朝に続く北西インドのイスラーム化である。デリー・スルターン朝以後、テュルク=ペルシャ系のムスリム支配層はペルシア語やアラビア語を公用語として用い、北インドを中心としたインド=アーリア諸語に属する言語がサンスクリットに連なる文明語として南インドのドラヴィダ諸語の上に君臨するというインド世界成立以来の言語図式を根本から揺るがすことになった。
サンスクリットはもはや至高の文明語ではなくなったのだ。イスラーム政権の支配下に入った北インドの住民は、自分たちの言語が下級のものとして扱われるという状況を初めて経験したのである。
ヒンドゥスターニー語の成立
征服から数世代が過ぎると、インド人もまた外来の言語であるペルシア語やアラビア語を学び、それを用いて著作するようになる。このような状況の中で、彼らの日常言語であるカリー・ボリーもまた次第にその影響をこうむり始めた。
アラビア語やペルシア語からの借用語が次第に増え始め、さらにはインド在来の文字ではなくアラビア文字での表記も試みられた。遅くとも15世紀ごろには、それまでのカリー・ボリーとははっきりと区別されたヒンドゥスターニー語が成立した。
ヒンドゥスターニー語の発展~文学と行政の言語として~
ティムール帝国の末裔バーブルがインドに樹立したムガル帝国では、当初ティムール朝の伝統を引き継ぎチャガタイ語とペルシア語が公用語であった。チャガタイ語もヒンドゥスターニー語にある程度の影響は与えたものの、東テュルク語を基礎とした言語であったことから、ムガル帝国が遊牧国家としての性質を失ってインドになじむにつれ、急速に衰退していった。
替わって登場したのがヒンドゥスターニー語である。それまでペルシア語で作られていた詩歌がアラビア文字表記のヒンドゥスターニー語によって作られるようになり、徐々に行政と文学の言語としてペルシア語に並ぶ地位を獲得してゆく。アラビア語やペルシア語からの借用語はさらに増大し、帝国の公用語にふさわしく学者達によって文法やつづりが整備されていった。
インド在来の言語から生まれたヒンドゥスターニー語の地位の向上は、ムガル帝国のインド化を示すものであり、帝国後期にはペルシア語に替わって帝国の第一公用語となった。
ヒンドゥスターニー語の分裂
文字問題
イギリス統治の後半から、イギリスの分断政策もありイスラーム教徒とヒンドゥー教徒の間で確執が深まった。両者はインドの公用語となるべきヒンドゥスターニ語の正式な表記文字をデーヴァナーガリー文字とアラビア文字のどちらにするかをめぐって争い始めた。
そもそも、インドの知識人はたいていの場合両方の文字を使えたため、デーヴァナーガリーとアラビア文字のどちらで表記するかについては本来ならさほど大きな問題ではなかった。
二つの規範~ヒンディー語とウルドゥー語~
だが、おりしも世界的なナショナリズムの高揚期にも当たっていたため、文字表記の問題はイスラーム教徒とヒンドゥー教徒の間の格好の火種となり、両方の原理主義者が声高に自陣営の正当性を訴えかけた結果、問題は単なる文字表記にとどまらず、言語規範そのものにまで及ぶことになる。イスラーム教徒はアラビア語やペルシア語からの借用語をさらに増大させ、ウルドゥー語と呼ばれる言語規範を作り出した。
対抗してヒンドゥー教徒側はアラビア語やペルシア語からの借用語を無理やり取り除き、替わってサンスクリット語の語彙をそのまま取り入れることでヒンディー語という規範を構築してゆくことになる。このことは独立運動における両教徒の関係の疎遠化をも招き、結果的にはインドとパキスタンの分離独立という悲劇的結末を迎えることとなった。
祖国分断を回避するため、独立運動の重鎮マハトマ・ガンディーはウルドゥー語とヒンディー語という二つの規範の再統合を訴えた。また彼は、全てのインド国民がアラビア文字・デーヴァナーガリー文字の両方を学ぶことを主張した。しかし彼の主張は、あくまでお互いの文字に固執する両教徒の側から受け入れられなかった。
現在インドではヒンディー語、パキスタンではウルドゥー語を公用語としている。しかし、両者は共にデリー方言を基盤として整備された経緯があるため、書記言語としては多少の溝はあるものの、日常言語としては依然として一体性を持った一つの言語である。また、イギリス統治以後は英語が新たな上層言語としてヒンドゥスターニー語の上にかぶさった。
言語分断による損失
ヒンディー語とウルドゥー語の並立は、ヒンドゥスターニー語の発展を大きく阻害することになった。本来のヒンドゥスターニー語は、アラビア語・ペルシア語・サンスクリット語・プラークリット語など、有史以来インドで使用された全ての文明語のシンタックスを豊富に取り込んだ豊かな広がりを持つ言語であり、語源によっていくつもの類義語が微妙なニュアンスの違いを持って使い分けられる言語であった。
しかし、ヒンディー語とウルドゥー語の対立はヒンドゥスターニ語の豊かな表現性を、少なくとも文章語の世界においては大きくそぎ落とす結果となった。ヒンディー語・ウルドゥー語ともに、自然な民衆言語としての口語ヒンドゥスターニー語からは乖離した言語となり、ヒンディー語的規範でのペルシア語・アラビア語式語法やウルドゥー語的規範でのサンスクリット語・プラークリット語式語法は、たとえそれが自然なものであっても不適切なものと見なされるようになり、使用をはばかられるようになった。
正書法
前述の歴史的経緯から、インドではデーヴァナーガリー文字(ヒンディー語)、パキスタンではアラビア文字(ウルドゥー語)で表記される。ただし、それぞれの国に住む話者がもう一方の国に住む話者と文通する際は、両国が英領インド植民地だった関係上、ラテンアルファベットを用いた代用表記を用いる。
このため、ラテンアルファベット表記が事実上インド=パキスタン共通の表記手段となっているが、この表記は標準形が確立されておらず、話者によってまちまちな綴りとなる。(ウルドゥー語とヒンディー語の項も参照)
ヒンドゥスターニー語の再統合への試み
ガンジーの夢見た統一インドを未だに理想とする一部の知識人の中には、ヒンドゥスターニー語の再統合を主張するグループが存在している。また、実用的な観点からこの意見を支持する人もいる。この意見に沿えば、まずはムスリム・ヒンドゥー両教徒にとって中立な文字であるラテンアルファベットを用いた正書法をインドとパキスタンが共同で定め、両方の国民にそれを教えることになる。
この場合、ウルドゥーとヒンディーの話者が文書で意思疎通する際の表記法が標準化されるため利便性が増し、ヒンドゥスターニー語の一体性を強く保ち、言語の分裂を阻止するのに役立つと考えられる。それに続いて、ウルドゥー語とヒンディー語という二つの文語規範を調和させ、インド亜大陸のすべての住民が自らの言語として使うことのできる共通語としてのヒンドゥスターニー語を復活させることになる。
現状でも、ボリウッド映画では両言語の混交体が使われていることから、これが共通規範構築の参考になるものと考えられている。ヒンドゥスターニー語の印パ間差異も参照
海外ヒンドゥスターニー語
ヒンドゥスターニー語はインド・パキスタン系移民の海外進出に伴って広く世界中に拡散した。定着した場所によって周辺言語の影響を受けつつ、独自の変化を遂げている。とりわけフィジーのヒンドゥスターニー語は同国の公用語のひとつとなっており、ヒンディー、ウルドゥーとは別個の第三の言語規範となる可能性を持っている。
海外のヒンドゥスターニー語の諸方言では、たいていの場合ヒンディー語と同様にデーヴァナーガリー文字で正書法を定め、言語規範はほぼヒンディー語式であるが、これは印パ間の国力差やヒンドゥスターニー語話者の比率を反映しているとされている。
フィジー・ヒンドゥスターニー語
インド系移民の子孫が多く暮らすフィジーでは、ヒンドゥスターニー語が公用語のひとつとなっている。フィジー・ヒンドゥスターニー語と呼ばれるこの言語は、主に南東部の方言(ボージプリー方言)を基礎に成立したため、規範としてはウルドゥー語よりヒンディー語に近く、正書法もデーヴァナーガリーのみを採用している。フィジー語やピジン英語などの影響を受けている。
マレーシア・ヒンドゥスターニー語
マレーシアやシンガポールには英領統治期に移住させられたインド人移民の子孫が多く居住している。彼らの間では一般的にタミル語が用いられているが、ヒンドゥスターニー語も広く使われている。マレー語や中国語の南方方言からの借用語が多く見られるのが特徴である。正書法はほぼヒンディー語と同じ。
関連項目
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