オロチョン族
オロチョン族(Orochon,Oroqin、繁体字:鄂倫春、簡体字:鄂伦春族)はアルタイ諸語のツングース系の言葉を話す民族(ツングース系民族)。主に北東アジアの興安嶺山脈周辺で中国領内の内モンゴル自治区、その近隣のロシア領内に居住する。人口は約7千人。もともとは狩猟をしながら移動していたが、現在は定住化が進んでいる。
生活
この民族の代表的な生業は、肉・内臓・血の食用・飲用や皮革採取目的での獣の狩猟である。狩猟の対象の獣は、マールー(馬鹿(ばろく)、ワピチの亜種マンシュウアカシカ)、ノロ、ハンダハン(駝鹿(だろく)・ラクダジカ、ヘラジカの亜種マンシュウエルクジカ)などのシカ類やリス、テン、オオカミ、イノシシ、オオヤマネコ、クマなどが挙げられる。狩猟時の移動と荷物運搬の手段は、伝統的には主に馬である。
シャーマニズムを信仰し、シラカバの樹皮を加工した工芸品(樺皮細工)が知られている。
オロチョン族の伝統的な住居は、比較的細いシラカバなどの幹の柱を何本も組んでその外部をシカ類などの毛皮で覆った円錐形の天幕式住居だが、定住化が進んだ現在では、日常的には近隣の漢族やロシア人と同様の住居で生活し、泊まり掛けの狩猟の際に山野で臨時に設けるのみである。このような天幕式住居はエヴェンキも伝統的に製作・使用してきた。
他民族との関わり
こうした伝統文化は、ロシアではソビエト連邦時代、中国では文化大革命時には弾圧され一時途絶えていたが、ロシアではその体制崩壊により、少しずつ復興されつつあり、中国では文革後はそのような伝統文化が保護・奨励されているテンプレート:要出典。
かつてはロシア人やダウール族の商人との交易を行い、皮革と引き換えに、ロシア人やダウール族から鍋などの生活用品、狩猟に必要な銃・散弾のほか、酒類などの嗜好品も得た。
中国側のオロチョン族に対しては、満洲国時代の1930年代後半に、関東軍の特務機関が工作して軍事訓練をほどこし、対ソ情報収集の任務を与えた。オロチョン族はソ連領内にも同族がおり、ロシア語と中国語に通じていたため、その種の任務に適していた。当時関東軍の特務機関は少数民族宣撫工作に阿片を用いたとも言われており、オロチョン族の間に麻薬中毒が広がり、戦後もしばらくの間続いたと主張する研究者もいる[1]。
北海道網走市ではオロチョンの火祭りが行われているが主体はアイヌである。これは、「オロチョン」という言葉がアイヌを含む北方民族全体を指す呼称として用いられた時期があり、その名残りである。現在でも、語呂の良さから「オロチョン」の呼称が用いられているが、本項の民族に火祭りという文化はなく、全く関係がない。味噌ラーメンを唐辛子等で辛く味付けした、「オロチョンラーメン」(またはラーメン店名がオロチョン)というものもあるが、オロチョンの火祭りから連想された名称である。
関連項目
脚注
- ↑ 中生勝美「オロチョン族をアヘン漬けにした日本軍」、『世界』第674号、2000年5月。