エメルソン・フェレイラ
テンプレート:サッカー選手 エメルソン・フェレイラ・ダ・ローザ(Émerson Ferreira da Rosa、1976年4月4日 - )は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州ベロタス出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMF。
略歴
ブラジルの名門クラブ、グレミオにて頭角を現し、2度のリオ・グランデ・ド・スル州選手権制覇に貢献し、1996年全国選手権優勝の原動力となった事から注目され始める。
1997年にバイエル・レバークーゼンへ移籍。まだ21歳であったが、移籍後すぐにレギュラーの座を掴むと1999-2000シーズンは5得点、10アシストの成績を記録し、チームを優勝争いに導くと、シーズン終了後にドイツ史上最高額となる1900万ユーロでASローマへ移籍。しかし、移籍直後に左膝十字靭帯を傷め、2000-01シーズンの開幕から大きく出遅れる事になる。約5ヵ月後セリエAデビューを果たすと、ファビオ・カペッロの信頼を受け、ローマの攻守の柱、カペッロ監督の頭脳としてリーグ優勝に貢献し、その後も不動のボランチとして君臨し続けた。
2004-05シーズンにそのカペッロ監督がローマからユヴェントスに移籍すると、フロントにエメルソン獲得を要求。多少契約時に問題が発生したが、結局2800万ユーロ(約37億5000万円)の移籍金でユヴェントスに移籍。相手のパスコースを消す絶妙なポジショニングは健在で、「世界最高峰のボランチ」の名に恥じない活躍を続けた。
2006年7月19日、ユヴェントスからチームメイトのDFファビオ・カンナヴァーロと共にレアル・マドリードへの移籍が発表された。しかし思うような結果を出せず、推定500万ユーロ(約7億6900万)でACミランへと移籍する事となった。しかしながら、レギュラーポジションを掴み取ることはできず、2009年4月に両者の合意の下契約を解除。同年7月にサントスFCへの加入が発表されたが、膝の手術を理由に10月に契約解除。
2010年3月に現役を引退した。
エピソード
- コナミのサッカーゲーム、ウイニングイレブンの達人で、カカ、ロビーニョ、アドリアーノら彼の腕前を評価する選手は多い。特にロビーニョいわく「ブラジル代表の中では間違いなくナンバーワン」。2006 FIFAワールドカップ時にブラジル代表の間で開催された「ウイイレ大会」に優勝している。
- ユヴェントスの不正に対する処分を受け、インテルに移籍したズラタン・イブラヒモビッチやパトリック・ヴィエラを批判した。その後移籍したスペインでプレーがうまくいかず「イタリアに帰りたい」と発言。インテル移籍を示唆したところ、マルコ・マテラッツィから「イタリアに来たいならユーヴェに行きな」といわれた。
所属クラブ
- テンプレート:Flagicon グレミオ 1992-1993
- テンプレート:Flagicon ボタフォゴ 1993-1994
- テンプレート:Flagicon グレミオ 1994-1997
- テンプレート:Flagicon バイヤー・レバークーゼン 1998-2000
- テンプレート:Flagicon ASローマ 2000-2004
- テンプレート:Flagicon ユヴェントス 2004-2006
- テンプレート:Flagicon レアル・マドリード 2006-2007
- テンプレート:Flagicon ACミラン 2007-2009
- テンプレート:Flagicon サントスFC 2009