イギリスグランプリ
テンプレート:Infobox F1 race イギリスグランプリ(イギリスGP, British Grand Prix)は、イギリスで行われるモータースポーツのレース。現在はF1のイベントとして開催されている。
1950年、F1世界選手権が初めて開催された際の第1戦がこのイギリスGPであり、F1の中ではもっとも伝統のあるレースのひとつである。
イギリス国内で行われた、イギリスGP以外の名称をもつF1レースも本項目で記述する。
概要
1926年に初開催され、1928年~1947年の中断を経て開催が続けられている。1950年以降は、同年に発足したF1に組み込まれ、F1において同一名称のグランプリが1年も欠かさず開催されているのは、このイギリスGPとイタリアGPのみである。
1950年にF1グランプリの第1戦として初開催された際にはシルバーストン・サーキットで行われた。以降、ブランズハッチなどのサーキットでもイギリスGPは開催されたが、近年はシルバーストンでの開催が続いている。
シルバーストンの施設の老朽化、タバコ広告禁止を含めた金銭的・興行的問題など多数の問題から、2010年はドニントンパーク・サーキットに開催が移ると一旦発表されたが、その後ドニントンパークのサーキット運営会社がコース改修資金の調達に失敗、F1開催が困難な状況となってしまった[1]。そのため2010年以降もシルバーストンでの開催が継続する可能性が高くなっている[2]。
2009年12月7日、シルバーストンにて今後17年間のイギリスGP開催が決定した。
開催されたサーキット
1926年の初開催と、翌1927年はブルックランズで開催され、1928年~1947年の20年間は開催されなかったものの、1948年に場所をシルバーストンに変えて再び開催され、以降も時折開催地を変えながら現在まで毎年欠かさず開催されている。
1948年~1954年まではシルバーストンで行われた。1955・1957・1959・1961・1962年の5回はエイントリーで、1956・1958・1960・1963年はシルバーストンで開催された。
エイントリーでF1が開催されなくなって以降は、1964年から1986年までは偶数年がブランズハッチ、奇数年がシルバーストン・サーキットで交互に開催されていたが、1987年以降はシルバーストン・サーキットで開催されている。
1983年・1985年・1993年には、英国内でイギリスGPではない名称のグランプリが、イギリスGPと併催されている。詳細は後述のイギリスグランプリ以外のF1レースを参照のこと。
イギリスグランプリ以外のF1レース
英国内で実施されながら、別の名称が付与されたレースがある。1国で年内に2回の開催を行ったが、1国1開催の原則等の理由でヨーロッパGPという名称が付与された。
- ブランズハッチ開催
- 1983年と1985年に開催。シルバーストンにイギリスGPの名が付けられたため、ブランズハッチで開催されたレースはヨーロッパGPの名が冠せられた。1983年はブラバム・BMWのネルソン・ピケ、1985年はウィリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセルが優勝した。
- ドニントンパーク開催
- 1993年に1回のみ開催。2輪の世界選手権でよく使用されている、ドニントンパークで開催された。マクラーレン・フォードのアイルトン・セナが優勝した。
特筆すべき過去のレース
数多く開催されたイギリスGPの中でも、大きな出来事が起こった、または記念すべきレースをいくつか取り上げて紹介する。
- 1950年 - この年創設されたF1世界選手権の記念すべき第1戦として開催され、アルファ・ロメオのジュゼッペ・ファリーナが優勝。以下4位までをアルファロメオが独占した。
- 1951年 - 前年から無敗を続けてきたアルファロメオを破り、フェラーリが初優勝した。チームオーナーのエンツォ・フェラーリは「私は母親を殺してしまった」との名言を残した。
- 1955年 - メルセデスに所属するスターリング・モスが地元でF1初優勝を達成。
- 1957年 - モスとトニー・ブルックスがマシンをシェアして優勝。イギリス人ドライバー2人とイギリス製マシン(ヴァンウォール)による記念すべき勝利となった。
- 1968年 - ロブ・ウォーカー・レーシング・チームのジョー・シフェールが初優勝。これがF1におけるプライベーターチームの最後の1勝となった。
- 1973年 - レース2周目のホームストレートでジョディー・シェクターのマシンがスピン。コース上で動けなくなったマシンに8台のマシンが次々とクラッシュし、F1世界選手権では初めて赤旗でレースが中断されることとなった。この事故ではアンドレア・デ・アダミッチが脚の骨を折ってF1キャリアを断たれた。
- 1976年 - スタート直後の多重事故で赤旗再スタートとなり、中断中にマシンを修理したジェームス・ハントが優勝。しかし、フェラーリが異議を唱え、2ヵ月後にハントは失格処分となった[3]。
- 1979年 - ウィリアムズのクレイ・レガッツォーニが優勝し、ウィリアムズが初優勝を達成。
- 1987年 - ホンダエンジンを使用するウィリアムズとロータスが1位から4位までを独占した。優勝したのはウィリアムズのナイジェル・マンセル、2位は同じくウィリアムズのネルソン・ピケ、3位はロータスのアイルトン・セナ、4位がロータスの中嶋悟であった。
- 1992年 - 圧倒的な戦闘力を誇るウィリアムズ・ルノーを駆り、ドライバーズランキングで首位を独走していたナイジェル・マンセルの凱旋レースというにふさわしかった。金曜日のフリー走行からの全てのセッションでマンセルがトップタイムを記録した。決勝レースでは全周回で首位を譲らず、2位のリカルド・パトレーゼに約40秒の差をつけて優勝し、ファステスト・ラップも記録した。
- 1994年 - ウィリアムズのデイモン・ヒルが地元優勝。ベネトンのミハエル・シューマッハは黒旗無視で失格となり、さらに2戦出場停止を命じられた。
- 1999年 - フェラーリのシューマッハがブレーキトラブルでタイヤウォールに激突。右足を骨折し欠場を余儀なくされた。
- 2003年 - 決勝レース中、アイルランド出身の聖職者ニール・ホランが宗教的なメッセージが書かれたプラカードを掲げてコースに乱入。逮捕され禁固2ヶ月の有罪判決を受けた(ニール・ホラン#F1イギリスGPに乱入及び2003年イギリスグランプリ#コース侵入も参照)。
- 2013年 - 土曜フリー走行でマクラーレン・メルセデスのセルジオ・ペレス、また決勝レースではメルセデスのルイス・ハミルトン、フェラーリのフェリペ・マッサ、スクーデリア・トロ・ロッソのジャン=エリック・ベルニュ、そしてペレスの左後輪タイヤが相次いでバーストを起こす異常事態。特にベルニュがバーストした際には直後にセーフティーカーまで入った[4][5]。これを受けてタイヤを独占供給しているピレリは原因の徹底調査を行い、タイヤを左右逆に付けたり、空気圧を低めにするなどの不適切な使用方法やサーキットの縁石が原因であると結論づけた[6]。しかし一方でピレリが国際自動車連盟(FIA)や各チームに無断でタイヤの構造変更を行った、との報道もされている[7]。
過去の結果と開催サーキット
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 5月13日 | 1 | シルバーストン | ジュゼッペ・ファリーナ | アルファロメオ | 詳細 |
1951 | 7月14日 | 5 | シルバーストン | フロイラン・ゴンザレス | フェラーリ | 詳細 |
1952 | 7月19日 | 5 | シルバーストン | アルベルト・アスカーリ | フェラーリ | 詳細 |
1953 | 7月18日 | 6 | シルバーストン | アルベルト・アスカーリ | フェラーリ | 詳細 |
1954 | 7月17日 | 5 | シルバーストン | フロイラン・ゴンザレス | フェラーリ | 詳細 |
1955 | 7月16日 | 6 | エイントリー | スターリング・モス | メルセデス | 詳細 |
1956 | 7月14日 | 6 | シルバーストン | ファン・マヌエル・ファンジオ | フェラーリ | 詳細 |
1957 | 7月20日 | 5 | エイントリー | トニー・ブルックス スターリング・モス |
ヴァンウォール | 詳細 |
1958 | 7月19日 | 7 | シルバーストン | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 詳細 |
1959 | 7月18日 | 5 | エイントリー | ジャック・ブラバム | クーパー | 詳細 |
1960 | 7月16日 | 7 | シルバーストン | ジャック・ブラバム | クーパー | 詳細 |
1961 | 7月15日 | 5 | エイントリー | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ | 詳細 |
1962 | 7月21日 | 5 | エイントリー | ジム・クラーク | ロータス | 詳細 |
1963 | 7月20日 | 5 | シルバーストン | ジム・クラーク | ロータス | 詳細 |
1964 | 7月11日 | 5 | ブランズハッチ | ジム・クラーク | ロータス | 詳細 |
1965 | 7月10日 | 5 | シルバーストン | ジム・クラーク | ロータス | 詳細 |
1966 | 7月16日 | 4 | ブランズハッチ | ジャック・ブラバム | ブラバム | 詳細 |
1967 | 7月15日 | 6 | シルバーストン | ジム・クラーク | ロータス | 詳細 |
1968 | 7月20日 | 7 | ブランズハッチ | ジョー・シフェール | ロータス | 詳細 |
1969 | 7月19日 | 6 | シルバーストン | ジャッキー・スチュワート | マトラ | 詳細 |
1970 | 7月18日 | 7 | ブランズハッチ | ヨッヘン・リント | ロータス | 詳細 |
1971 | 7月17日 | 6 | シルバーストン | ジャッキー・スチュワート | ティレル | 詳細 |
1972 | 7月15日 | 7 | ブランズハッチ | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス | 詳細 |
1973 | 7月14日 | 9 | シルバーストン | ピーター・レブソン | マクラーレン | 詳細 |
1974 | 7月20日 | 10 | ブランズハッチ | ジョディー・シェクター | ティレル | 詳細 |
1975 | 7月19日 | 10 | シルバーストン | エマーソン・フィッティパルディ | マクラーレン | 詳細 |
1976 | 7月18日 | 9 | ブランズハッチ | ニキ・ラウダ | フェラーリ | 詳細 |
1977 | 7月17日 | 10 | シルバーストン | ジェームス・ハント | マクラーレン | 詳細 |
1978 | 7月16日 | 10 | ブランズハッチ | カルロス・ロイテマン | フェラーリ | 詳細 |
1979 | 7月15日 | 9 | シルバーストン | クレイ・レガッツォーニ | ウィリアムズ | 詳細 |
1980 | 7月13日 | 8 | ブランズハッチ | アラン・ジョーンズ | ウィリアムズ | 詳細 |
1981 | 7月19日 | 9 | シルバーストン | ジョン・ワトソン | マクラーレン | 詳細 |
1982 | 7月18日 | 10 | ブランズハッチ | ニキ・ラウダ | マクレーレン | 詳細 |
1983 | 7月17日 | 9 | シルバーストン | アラン・プロスト | ルノー | 詳細 |
1984 | 7月22日 | 10 | ブランズハッチ | ニキ・ラウダ | マクラーレン | 詳細 |
1985 | 7月21日 | 8 | シルバーストン | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1986 | 7月13日 | 9 | ブランズハッチ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1987 | 7月12日 | 7 | シルバーストン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1988 | 7月10日 | 8 | シルバーストン | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1989 | 7月16日 | 8 | シルバーストン | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1990 | 7月15日 | 8 | シルバーストン | アラン・プロスト | フェラーリ | 詳細 |
1991 | 7月14日 | 8 | シルバーストン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1992 | 7月12日 | 9 | シルバーストン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1993 | 7月11日 | 9 | シルバーストン | アラン・プロスト | ウィリアムズ | 詳細 |
1994 | 7月10日 | 8 | シルバーストン | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 詳細 |
1995 | 7月16日 | 8 | シルバーストン | ジョニー・ハーバート | ベネトン | 詳細 |
1996 | 7月14日 | 10 | シルバーストン | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ | 詳細 |
1997 | 7月13日 | 9 | シルバーストン | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ | 詳細 |
1998 | 7月12日 | 9 | シルバーストン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
1999 | 7月11日 | 8 | シルバーストン | デビッド・クルサード | マクラーレン | 詳細 |
2000 | 4月23日 | 4 | シルバーストン | デビッド・クルサード | マクラーレン | 詳細 |
2001 | 7月15日 | 11 | シルバーストン | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 詳細 |
2002 | 7月7日 | 10 | シルバーストン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2003 | 7月20日 | 11 | シルバーストン | ルーベンス・バリチェロ | フェラーリ | 詳細 |
2004 | 7月11日 | 11 | シルバーストン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2005 | 7月10日 | 11 | シルバーストン | ファン・パブロ・モントーヤ | マクラーレン | 詳細 |
2006 | 6月11日 | 8 | シルバーストン | フェルナンド・アロンソ | ルノー | 詳細 |
2007 | 7月8日 | 9 | シルバーストン | キミ・ライコネン | フェラーリ | 詳細 |
2008 | 7月6日 | 9 | シルバーストン | ルイス・ハミルトン | マクラーレン | 詳細 |
2009 | 6月21日 | 8 | シルバーストン | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 詳細 |
2010 | 7月11日 | 10 | シルバーストン | マーク・ウェバー | レッドブル | 詳細 |
2011 | 7月10日 | 9 | シルバーストン | フェルナンド・アロンソ | フェラーリ | 詳細 |
2012 | 7月8日 | 9 | シルバーストン | マーク・ウェバー | レッドブル | 詳細 |
2013 | 6月30日 | 8 | シルバーストン | ニコ・ロズベルグ | メルセデス | 詳細 |
2014 | 7月6日 | 9 | シルバーストン | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
冠スポンサー
- イギリス王立自動車クラブ (1950-1970年、1995-1999年)
- JPS (1972-1978年)
- マールボロ (1979-1985年)
- シェル (1986-1989年)
- フォスターズ・ビール (1990-1993年、2000-2006年)
- 日立(1994年)
- サンタンデール (2007年-)
脚注
関連項目
外部リンク
- シルバーストン・サーキット(英語のみ)
- ↑ バーニー・エクレストン 「ドニントンの望みは消えた」 - F1-gate.com・2009年10月29日
- ↑ シルバーストン、F1イギリスGPの開催へ近づく - F1-gate.com・2009年11月25日
- ↑ "特集:1976年イギリスGP". ESPN F1.(2011年12月18日)2013年4月15日閲覧。
- ↑ 決勝序盤、3台の左リヤタイヤが相次いでバースト - オートスポーツweb(2013年6月30日)※2013年7月2日閲覧
- ↑ トッド、ピレリに作業部会への出席を求める - オートスポーツweb(2013年7月1日)※2013年7月2日閲覧
- ↑ ピレリ「原因はタイヤの適切でない使い方」 - オートスポーツweb(2013年7月3日)
- ↑ ピレリ、F1イギリスGPでタイヤ構造を無断変更か - TopNews.jp(2013年7月3日)