アンケ・フーバー
テンプレート:テニス選手 アンケ・フーバー(Anke Huber, 1974年12月4日 - )は、ドイツ・ブルッフザール出身の元女子プロテニス選手。1996年全豪オープンテニスの女子シングルス準優勝者。長い間世界ランキング1位の座に君臨したシュテフィ・グラフとともに、ドイツ・テニス界を支えてきた選手である。シングルス自己最高ランキングは4位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルス12勝、ダブルス1勝を挙げた。グラウンド・ストロークの強打を最大の武器にした。
来歴
1989年1月に14歳でプロ入り。1990年にプロ初優勝を果たし、この年から女子テニス国別対抗戦「フェデレーションカップ」(当時の名称)の西ドイツ代表選手に選ばれた。(注:ドイツ再統一は1990年10月3日に実施されたため、フーバーのテニス経歴はほとんど「ドイツ」国籍による。)1991年の全豪オープンで世界の舞台に頭角を現す。強烈なグラウンド・ストロークから、最初は“グラフ2世”と呼ばれた。1992年のフェデレーションカップで、フーバーはグラフとともにドイツ・チームを5年ぶり2度目の優勝に導いた。1993年に全仏オープンで初の準決勝に進出するが、グラフに 1-6, 1-6 で完敗した。
1995年11月の女子テニスツアー年間最終戦「チェイス選手権」(当時の名称)で準優勝。その時の準々決勝で日本の伊達公子に逆転勝ちしたフーバーは、女子テニストーナメント唯一の5セット・マッチで戦われる決勝戦で、5歳年上の先輩グラフとフルセット(セットカウント 2-3, スコア:1-6, 6-2, 1-6, 6-4, 3-6)を戦った。(この5セット・マッチ決勝戦は、1998年を最後に廃止された。)フーバーはグラフには通算10戦全敗で一度も勝利を挙げることは出来なかった。
1996年の全豪オープンで初の4大大会決勝進出を果たしたが、1993年の刺傷事件から復帰してきた第1シードのモニカ・セレシュに 4-6, 1-6 のストレートで敗れ、フーバーは準優勝者になった。1998年全豪オープンでベスト4、1999年全米オープンと2000年全米オープンでベスト8に進出している。
フーバーはオリンピックのドイツ代表選手としても、1992年バルセロナ五輪と1996年アトランタ五輪の2度出場記録がある。フェドカップ(1995年から現在の名称に変更)のドイツ代表選手としても、1990年から現役引退する2001年までその位置にとどまった。彼女は「シングルス通算勝利数」(24勝9敗)でドイツ・チームの歴代1位記録保持者である。
1999年8月に先輩のグラフが現役を引退してからは、フーバーが“孤軍奮闘”状態でドイツ・テニス界を支えた。2001年11月、地元ドイツ・ミュンヘンの「オリンピアホール」で開かれたWTAツアー選手権を最後に現役を引退する。最後の試合の相手はベルギーのジュスティーヌ・エナンで、1回戦で 1-6, 2-6 の完敗に終わった。地元での最後の試合であったが、会場のオリンピア・ホールに集まった観客は半分ほどであり、ドイツにおけるテニス人気の衰退を印象づけた場面だった。フーバーの引退後ドイツの女子テニス界は長く低迷したが、2010年代からアンドレア・ペトコビッチ、ザビーネ・リシキ、アンゲリク・ケルバーなどが活躍している。
フーバーは2005年4月に長男、2006年10月に長女を出産している。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 23回 (12勝11敗)
大会グレード |
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グランドスラム (0–1) |
ツアー選手権 (0–1) |
ティア I (1–1) |
ティア II (4–6) |
ティア III (4–1) |
ティア IV & V (3–1) |
ダブルス: 4回 (1勝3敗)
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1993年10月18日 | テンプレート:Flagicon ブライトン | カーペット (室内) | テンプレート:Flagicon ラリサ・ネーランド | テンプレート:Flagicon ローラ・ゴラルサ テンプレート:Flagicon ナタリア・メドベデワ |
3–6, 6–1, 4–6 |
優勝 | 1. | 1997年5月4日 | テンプレート:Flagicon ハンブルク | クレー | テンプレート:Flagicon マリー・ピエルス | テンプレート:Flagicon ルクサンドラ・ドラゴミル テンプレート:Flagicon イバ・マヨリ |
2–6, 7–6(1), 6–2 |
準優勝 | 2. | 1999年1月11日 | テンプレート:Flagicon シドニー | ハード | テンプレート:Flagicon メアリー・ジョー・フェルナンデス | テンプレート:Flagicon エレーナ・リホフツェワ テンプレート:Flagicon 杉山愛 |
3–6, 6–2, 0–6 |
準優勝 | 3. | 1999年10月18日 | テンプレート:Flagicon モスクワ | カーペット (室内) | テンプレート:Flagicon ジュリー・アラール=デキュジス | テンプレート:Flagicon リサ・レイモンド テンプレート:Flagicon レネ・スタブス |
1–6, 0–6 |
4大大会シングルス成績
大会 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 通算成績 |
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全豪オープン | 3R | QF | QF | 4R | 3R | 4R | F | 4R | SF | 2R | 1R | A | 33–11 |
全仏オープン | A | 3R | 2R | SF | 4R | 4R | 4R | 1R | A | A | 4R | 2R | 21–9 |
ウィンブルドン | 2R | 4R | 3R | 4R | 2R | 4R | 3R | 3R | A | 1R | 4R | 4R | 23–11 |
全米オープン | 1R | 2R | 1R | 3R | 2R | 4R | 1R | 3R | 1R | QF | QF | 3R | 19–12 |
外部リンク