アメリ・モレスモ
テンプレート:テニス選手 アメリ・モレスモ(Amélie Mauresmo, 1979年7月5日 - )は、フランス・サン=ジェルマン=アン=レー出身の女子プロテニス選手。2006年の全豪オープンとウィンブルドンで優勝し、4大大会女子シングルス2勝を挙げた選手である。WTAツアーでシングルス25勝、ダブルス3勝を挙げた。パワーテニスの代表的な選手のひとりとして知られ、独特な片手打ちバックハンド・ストロークを最大の武器にした。
目次
来歴
モレスモは4歳の時、1983年の全仏オープンでヤニック・ノアが地元選手として優勝した試合をテレビで見たことがきっかけでテニスを始めた。そのノアに見いだされてテニスの技量を伸ばし、1996年に全仏オープンとウィンブルドンのジュニア女子シングルス部門で連続優勝を飾る。地元大会の全仏オープンには、1995年にランキング700位台であったが予選の主催者推薦で出場して勝ち上がり、本大会にも出場していた。1998年から世界の舞台で頭角を現し始める。
1999年の全豪オープンで、モレスモは世界ランキング29位のノーシードから決勝戦まで勝ち進み、大会3連覇を目指したマルチナ・ヒンギス(スイス)に 2-6, 3-6 で敗れて準優勝となった。決勝戦の直前に、ヒンギスがモレスモの私生活を中傷して「半分、男よ」とコメントしたことから、モレスモがレズビアンであることが発覚してしまう。全豪準優勝後の彼女は、長い間好不調の波の大きい選手だったが、2002年頃から世界ランキングトップ10に定着した。
2004年のアテネ五輪で女子シングルスの銀メダルを獲得。決勝ではベルギー代表のジュスティーヌ・エナン=アーデンに 3-6, 3-6 で敗れた。この後、モレスモは2004年9月13日付で、フランス人の女子テニス選手として初めての世界ランキング1位を記録した。2005年は年間最終戦の「WTAツアー選手権」決勝で同じフランスのマリー・ピエルスを 5-7, 7-6, 6-4 で破り、フランス人の女子テニス選手として初めての優勝を飾った。
2006年の全豪オープンで、アメリ・モレスモは第3シードとして7年ぶり2度目の決勝進出を果たす。決勝戦の途中でジュスティーヌ・エナン=アーデンが棄権したため(スコア:モレスモの 6-1, 2-0 で棄権)、モレスモはついに宿願の4大大会初優勝を飾った。フランス人の女子テニス選手による4大大会シングルス優勝は、2000年全仏オープンを制したマリー・ピエルス以来になる。ピエルスは1995年全豪オープンの優勝者でもあり、フランス人女性の全豪オープン制覇は11年ぶりとなった。同年のウィンブルドンで再びエナン=アーデンと決勝対決し、全仏オープン優勝者のエナンを 2-6, 6-3, 6-4 の逆転で破って初優勝。モレスモ自身にとっては4大大会の年間2冠獲得達成と同時に、フランス人の女子テニス選手として1925年のスザンヌ・ランラン(1899年 - 1938年、ウィンブルドン選手権に1920年から1925年まで6連覇を達成)以来、実に81年ぶりの優勝となった。この偉業により、モレスモは2007年にフランスのシラク大統領からレジオンドヌール勲章を授与された。
2007年から、モレスモのテニス成績は下降線をたどり始めた。同年の全豪オープン4回戦と全仏オープン3回戦でルーシー・サファロバ(チェコ)に2連敗を喫した後は、4大大会シングルスでベスト8以上に勝ち残れなくなった。最後のシングルス優勝は、2009年2月のパリ・インドア大会であった。2009年全米オープン2回戦でアレクサンドラ・ウォズニアク(カナダ)に 4-6, 0-6 で敗れた試合が、現役最後のトーナメント出場になった。3か月後の2009年12月3日、モレスモは30歳で競技生活からの引退を表明した[1]。
モレスモはダブルスでも、2005年ウィンブルドンの女子ダブルスでスベトラーナ・クズネツォワ(ロシア)と組んだ準優勝がある。クズネツォワとは2006年6月中旬のイーストボーン大会と2009年3月末のソニー・エリクソン・オープンのダブルスで優勝した。
アメリ・モレスモは女子テニス国別対抗戦・フェドカップのフランス代表選手としても、1998年から現役引退の2009年まで代表を務め、シングルスでチーム歴代1位記録となる「30勝9敗」の成績を挙げた。彼女自身は、2003年にフランス・チームのフェド杯優勝に貢献した。
2013年からフェドカップのフランス代表監督に就任している。2014年6月には男子のアンディ・マリーのコーチも務めた[2]。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 48回 (25勝23敗)
大会グレード |
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グランドスラム (2–1) |
ツアー選手権 (1–2) |
オリンピック (0-1) |
ティア I (6–5) |
ティア II (14–12) |
ティア III (0–2) |
ティア IV & V (1–0) |
プレミア (1–0) |
インターナショナル (0–0) |
ダブルス: 4回 (3勝1敗)
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2000年10月22日 | テンプレート:Flagicon リンツ | カーペット (室内) | テンプレート:Flagicon チャンダ・ルビン | テンプレート:Flagicon 杉山愛 テンプレート:Flagicon ナタリー・トージア |
6–4, 6–4 |
準優勝 | 1. | 2005年7月3日 | テンプレート:Flagicon ウィンブルドン | 芝 | テンプレート:Flagicon スベトラーナ・クズネツォワ | テンプレート:Flagicon カーラ・ブラック テンプレート:Flagicon リーゼル・フーバー |
2–6, 1–6 |
優勝 | 2. | 2006年6月16日 | テンプレート:Flagicon イーストボーン | 芝 | テンプレート:Flagicon スベトラーナ・クズネツォワ | テンプレート:Flagicon リーゼル・フーバー テンプレート:Flagicon マルチナ・ナブラチロワ |
6–2, 6–4 |
優勝 | 3. | 2009年4月5日 | テンプレート:Flagicon マイアミ | ハード | テンプレート:Flagicon スベトラーナ・クズネツォワ | テンプレート:Flagicon クベタ・ペシュケ テンプレート:Flagicon リサ・レイモンド |
4–6, 6–3, [10–3] |
4大大会優勝
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2006年 | 全豪オープン | テンプレート:Flagicon ジュスティーヌ・エナン=アーデン | 6-1, 2-0 | エナン=アーデンの途中棄権 |
2006年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon ジュスティーヌ・エナン=アーデン | 2-6, 6-3, 6-4 | フランス人女子選手81年ぶりの優勝 |
4大大会シングルス成績
大会 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | LQ | LQ | 3R | F | 2R | 4R | QF | A | QF | QF | W | 4R | 3R | 3R | 38–9 |
全仏オープン | 1R | 2R | 2R | 1R | 2R | 4R | 1R | 4R | QF | QF | 3R | 4R | 3R | 2R | 1R | 25–15 |
ウィンブルドン | A | A | LQ | 2R | A | 1R | 3R | SF | A | SF | SF | W | 4R | 3R | 4R | 33–9 |
全米オープン | A | A | A | 3R | 4R | A | QF | SF | QF | QF | QF | SF | A | 4R | 2R | 35–10 |
※: 2004年全豪の不戦敗は通算成績に含まない
脚注
外部リンク
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