アルベルト・ジラルディーノ
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アルベルト・ジラルディーノ(Alberto Gilardino, 1982年7月5日 - )は、イタリア・ピエモンテ州ビエッラ出身の同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード。中国サッカー・スーパーリーグ・広州恒大所属。愛称は「ジラ」。
略歴
6歳で生まれ故郷のクラブ・コッサテーゼの下部組織に入団。その後ビエッレーゼの下部組織を経て、1997年にピアチェンツァに入団。2000年1月6日に17歳でトップチームデビュー。2000年3月25日、ACヴェネツィア戦でプロ初ゴールを記録した。
2000年7月1日にピアチェンツァとの共同保有の条件でエラス・ヴェローナへ移籍。2002-2003シーズンにはパルマFCへ移籍。当初は出番が少なかったが、2002-2003シーズン終了後にアドリアーノ、アドリアン・ムトゥらが移籍した事で、出場機会が増えた。2003-2004シーズンには定位置を確保し23得点を記録、アンドリー・シェフチェンコ(ACミラン・当時)に次ぐ得点ランキング2位(イタリア人では1位)という結果で終え、その知名度が一気に高まる。2004年のUEFA U-21欧州選手権ではダニエレ・デ・ロッシらとともに出場して優勝し、大会最優秀選手に輝いた。2004年8月30日にはイタリア代表に初選出され、9月4日のノルウェー戦(パレルモ)で代表デビューを飾った。同年10月13日、ベラルーシ戦で代表初ゴールを記録した。
2004年のアテネオリンピックでは4得点を挙げ、U-23イタリア代表の銅メダル獲得に貢献した。この大会でイタリア代表はグループステージで日本代表と戦ったことから、日本におけるジラルディーノの存在が知れ渡ることになった。大会直前に、中村俊輔(当時セリエA・レッジーナ・カルチョ所属)が「イタリアのオリンピック代表チームで一番注意しなくてはいけないのはジラルディーノ」と断言したことも、その名前が日本に浸透する一因となった。
2005年7月17日、ACミラン移籍。移籍当初はここでも歴戦の猛者たちを押しのけ先発メンバーの座を奪取していた。しかし、自身の伸び悩みや、ロナウドの加入・フィリッポ・インザーギの復活・アレシャンドレ・パトの台頭によって徐々に出場機会が減り、2008年欧州選手権のイタリア代表メンバーからも外れた。
2008年5月28日に、出場機会を求めてパルマ時代の恩師チェーザレ・プランデッリ監督が指揮するACFフィオレンティーナに移籍が決定した。
移籍後初のシーズンとなった2008-2009シーズンでは、相次ぐ主力の離脱に苦しむチームの中にありながらもリーグ戦19ゴールとチームを牽引し、CL出場権獲得に大きく貢献した。また、この活躍やイタリア代表の監督にマルチェロ・リッピが再就任したこともあり、イタリア代表にも復帰した。
2008年10月18日に行われたセリエA第7節レッジーナ・カルチョ戦に於いて途中交代ながら2ゴールを決め、セリエA通算100ゴールを達成した。
2009年10月10日のW杯予選・アイルランド戦において試合終了間際の同点ゴールでチームのW杯出場を決めると、続く10月14日のキプロス戦では2点リードされた状態から3ゴールを決め逆転に貢献。代表では自身初のハットトリックを達成した。
2012年1月3日、ジェノアCFCに移籍。しかし、14試合で4ゴールとお世辞にも結果を残したとは言えず、結局最後まで残留争いに巻き込まれ17位に終わった。2012年8月31日、マルコ・ボリエッロの加入に伴いマルコ・ディ・ヴァイオの後釜としてボローニャFCにレンタル移籍。
2014年7月、広州恒大に移籍決定。背番号は38番。
エピソード
- ヴェローナへ移籍した当時はまだ高校の最終学年であったが、サッカーと学業を両立させ、生物と科学の学位免状を取得している。
- 18歳の時に友人2人とドライブ中に交通事故を起こし女性を怪我させたが、ジラルディーノ本人が見舞いに通い続け、2人は大の親友になったという。
- ACミランではアンドレア・ピルロやアレッサンドロ・ネスタと仲が良く、一緒にプレイステーションで遊んでいた。
- ジラルディーノが生まれた1982年7月5日は、W杯スペイン大会でイタリア代表が優勝候補のブラジル代表に勝利した日という運命的な日でもある。この試合でハットトリックを達成したパオロ・ロッシの異名に準えて、ジラルディーノを「神の子の系譜」と評する声もあった。
- イタリアのブランド "イタリアンダンディ ITALIANDANDY" のブランドキャラクター兼デザインディレクターを務めている。
- 2008年、長女が誕生。
所属クラブ
- 1999-2000 テンプレート:Flagicon ピアチェンツァ・カルチョ
- 2000-2002 テンプレート:Flagicon エラス・ヴェローナ
- 2002-2005 テンプレート:Flagicon パルマFC
- 2005-2008 テンプレート:Flagicon ACミラン
- 2008-2012.1 テンプレート:Flagicon フィオレンティーナ
- 2012.1-2014 テンプレート:Flagicon ジェノアCFC
- →2012.8-2013.7 テンプレート:Flagicon ボローニャFC (loan)
- 2014- テンプレート:Flagicon 広州恒大
個人成績
クラブでの成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1999-00||rowspan="2"|ピアチェンツァ||||セリエA||17||3|||||||| |- |2000-01||||セリエB||0||0|||||||| |- |2000-01||rowspan="2"|エラス・ヴェローナ||30||rowspan="14"|セリエA||22||3|||||||| |- |2001-02||9||17||2|||||||| |- |2002-03||rowspan="3"|パルマ||18||24||4|||||||| |- |2003-04||rowspan="9"|11||34||23|||||||| |- |2004-05||38||23|||||||| |- |2005-06||rowspan="3"|ミラン||34||17|||||||| |- |2006-07||30||12|||||||| |- |2007-08||30||7|||||||| |- |2008-09||rowspan="4"|フィオレンティーナ||35||19|||||||| |- |2009-10||36||15|||||||| |- |2010-11||35||12|||||||| |- |2011-12||12||2|||||||| |- |2011-12||ジェノア||82||14||4|||||||| |- |2012-13||ボローニャ||10||36||13|||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始404||159|||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行0||0|||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終404||159|||||||| |}
代表での得点
タイトル
クラブ
- テンプレート:Flagicon ACミラン
- UEFAチャンピオンズリーグ 2006-2007
- UEFAスーパーカップ 2007
- FIFAクラブワールドカップ 2007
代表
- FIFAワールドカップ 2006
- UEFA U-21欧州選手権 2004
個人
- セリエA最優秀サッカー選手賞 2005
- イタリア人サッカー選手賞 2005
- セリエA若手サッカー選手賞 2004