アメリカ国防総省

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アメリカ合衆国国防総省(アメリカがっしゅうこくこくぼうそうしょう、テンプレート:Lang-en)は、アメリカ合衆国国防軍事を統合する官庁である。アメリカ軍の七武官組織のうち、沿岸警備隊アメリカ公衆衛生局士官部隊合衆国海洋大気局士官部隊を除く陸軍海軍空軍海兵隊四軍を傘下に収める。陸海空軍の各省の統括組織であるため、日本では「国防“総省”」と訳されることが多いが、単に「国防省」とされることもある。2014年現在、同国の官庁の中で最大の規模を誇っている。

本庁舎は、五角形の形をしていることからペンタゴンと呼ばれている。アメリカ合衆国大統領の官邸組織がホワイトハウスと呼ばれるように、ペンタゴンという名称自体が国防総省を指す呼称となっている。

歴史

国防活動の調整の提案は、1944年に下院に最初に提出された。陸軍、海軍および統合参謀本部による計画は1945年に提出され、1945年12月19日、トルーマン大統領による下院への特別教書で国防に関する統合部門の設立が提案された。提案は下院に1946年4月に上申されたが、権力の集中に対する反対により、海軍事務委員会での公聴会によって遅れた。トルーマンは結局1947年2月に下院に対して新たな提案を行い、それは数か月にわたって討議、修正された。

1947年7月26日に、トルーマンは国防法案に署名した。同法案によって1947年9月18日に国家軍政省 (National Military Establishment) が発足し、初代国防長官にはジェームズ・フォレスタルが就任した。同省は略号の「NME」が enemy (敵)の発音に似ていたため、1949年8月10日国防総省 (Department of Defense) に改名された。国防長官には陸海空三軍に対する強大な権力が与えられた。

国防総省はワシントンD.C.の外郭部、ポトマック川を越えたバージニア州アーリントン郡に所在するペンタゴンを本拠とする。1789年に設立されたアメリカ合衆国旧陸軍省と、1780年設立の海事部が1798年に変わったアメリカ合衆国海軍省、および新設されたアメリカ合衆国空軍省を傘下に設立された。よって現在、「省」の内部に「省」を有する、アメリカで唯一の組織である。

アメリカ同時多発テロ

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件において、ハイジャックされたアーリントンワシントン・ダレス国際空港)発ロサンゼルス行きアメリカン航空77便(ボーイング757)が9時38分に国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。

乗客・乗員は全員死亡。離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したために機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。激突の瞬間の映像は、ペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録された。また、付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって激突の瞬間が目撃された。

なお、執務中で危うく難を逃れたドナルド・ラムズフェルド国防長官は建物の外へ出ると、血を流して倒れていた女性職員を抱えて避難し、救急車が来るまで手当てをしていたという。

これに関して「衝突したのは航空機ではない」といったアメリカ同時多発テロ事件陰謀説がある。

組織

国家通信システム (NCS) は、2003年に、国土安全保障省へ移管。

技術開発

情報通信分野では、内局にあった高等研究計画局(ARPA)(現国防高等研究計画局(DARPA))はインターネットの原型であるARPANETを開発し、現在、インターネットの基礎プロトコルであるTCP/IPを開発した。また現在、多くのオペレーティングシステムのマイクロカーネルとして利用されているMachを開発した。 さらに知られている技術では、GPS(全地球測位システム)を開発した。最初は軍事用として利用されていたが、現在は民間用に開放されている。

関連項目

出典

アメリカ政府の分野別支出、軍事の分野別支出、政府総支出・軍事総支出・GDPに対する比率の出典
アメリカの軍事関連の総支出・分野別支出のより詳細な内訳の出典
アメリカの軍隊、国防総省、軍需産業の雇用者数と総雇用者数・総人口に対する比率の出典

外部リンク

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