わいわいスポーツ塾
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『わいわいスポーツ塾』(わいわいスポーツじゅく)は、1987年10月5日から1992年9月21日までTBS系列局で放送されていたスポーツを題材にしたクイズ番組である。
司会者は自らもプロ野球選手を経験した板東英二(番組では「塾長」とされていた)とTBSアナウンサー長峰由紀。雪印グループの雪印乳業(現・雪印メグミルク)ほか(雪印食品・雪印ローリー・雪印種苗)の単独提供番組で司会者席には雪印のロゴが表示されていた。スポーツ局(後にTBSスポーツ→現在TBSテレビに移管)も製作に関与した番組だった。
番組概要
- 様々なスポーツの話題を取り上げ、競技のルールやその地域で行われる独特のイベントなどからクイズを出題し、塾生(解答者)がそれを答えるという形態の番組だった。
- 番組初期は問題は4問・全て書き問題で、答えはフリップボードに書いて解答。1問正解につき、チアガールの格好をした「ブタちゃん人形」が置かれ、これを3個以上獲得でトップ賞に相当する「首席」となり、賞品が贈られる。逆に2個以下だと首席無しとなった。また、レギュラー解答者に絶対にクイズに強いという解答者が少なく、初期の頃は首席無しも月に1回程度は出ていた。
- 番組後期は解答をライトペンを使って書き、後ろのテレビモニターに出す形式であり、解答はブルーバックで出され、正解・不正解は赤い○と×で出された。クイズも正解で100点の通常問題に加えて「タイムトライアル」と称した早書き早押し問題(通常の早押しではなく、解答を書くのに掛かった時間で得点を決める方式。制限時間は10秒、解答を書いた後にボタンを押して得点を決定する。正解すると残り時間×10点の得点が加算、最高点は1秒以内に解答を書く100点。高得点を得ようと早く書くため、筆跡が大きく崩れてしまう場合があり、板東が解答をチェックする)や、レギュラーはトップ賞でメダルを1枚獲得して5枚貯めると、ゲストは一定の得点を獲得するとバルセロナ旅行をプレゼントする企画も行われた。全員不正解のときの掛け声は「この問題はアウトでーす」と言って全員不正解のBGMが流れた。
- バルセロナオリンピック大会期間中はTBSのスタジオとバルセロナにあるIBC(国際放送センター)・TBSスタジオの2元生放送を実施した。
- スタジオのセットは当時の『世界・ふしぎ発見!』のセットにそっくりのものだった(初期のものは『世界まるごとHOWマッチ』)。
- 視聴率は比較的高く、最高で25%を超えることもあった。(番組最高視聴率は1990年1月22日放送の26.6%)
- 5年も続いた人気番組だったが、30分前の番組である『クイズ100人に聞きました』と同様に当時の磯崎洋三社長の「つるの一声」で打ち切りとなり、『ムーブ』というバラエティ番組を開始したため発展的に番組は終了。最終回は「さよなら卒業大試験!!」と題し1時間の拡大版で放送した。
レギュラー解答者
- 竜雷太(1枠・番組では「塾頭」とされていた、一時期あおい輝彦がで1枠ピンチヒッター解答者として出演した)
- 佐野量子(後に島崎和歌子、秋野暢子)(2枠)
- 本木雅弘(後に石黒賢、野々村真)(4枠)
- 鮎川いずみ(後に田中美佐子、高樹沙耶)(5枠)
- 3枠はゲスト解答者枠であり、現役または引退したスポーツ選手が出演した。(後期はスポーツ選手以外のタレントも出演した)
エピソード
- 番組開始当初、司会の板東は解答者に対して、「書きなさい!」「(解答を)出しなさい!」と言っていた。これは当時の人気クイズ番組『クイズ面白ゼミナール』(NHK)の鈴木健二(当時、NHKアナウンサー)を真似たもので、先生の立場を利用して命令調で進行していたが、視聴者から「生意気だ」と多数のクレームがついたため、数回で「書いてください!」との言い方に変更された。
- 武豊・佐野量子夫妻が知り合うきっかけになった番組としても有名である。なお、競馬騎手は武の出演前にも当時現役だった田原成貴が出演していた。
- 1989年1月9日の放送では、昭和天皇崩御の2日後のため、事前に録画したオープニングで板東が「あけましておめでとうございます」と言っている部分の音声がカットされた。