SBD (航空機)
テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox 航空機 SBDは、ダグラス社が第二次世界大戦前に開発した、アメリカ海軍の艦上偵察爆撃機(艦上爆撃機)。名前のSBは偵察爆撃機(Scout Bomber)を意味し、Dはダグラス社を意味する。
第二次世界大戦の殊勲機として、急降下爆撃機や偵察機として第二次世界大戦のほぼ全期間において運用された。アメリカ海軍だけでなく陸軍や海兵隊でも運用された他、少数がイギリス海軍に供与されている。
第二次世界大戦の太平洋戦線においては、緒戦期のアメリカ海軍の苦しい時期、ミッドウェー海戦を契機とする戦局の逆転、そして勝利への階段を一気に駆け上り始めるまでを見届けた歴史の立会者であった。
愛称
愛称は形容詞で「恐れを知らない、勇敢な、不敵な、がまん強い、不曉不屈の」などを意味するドーントレス(Dauntless, ド にアクセント)。イギリスに同名の軍艦(D級軽巡洋艦ドーントレス)がある。
第二次世界大戦の緒戦期、特に太平洋戦線での日本軍優勢の時期において、アメリカ海軍航空母艦搭載の艦上爆撃機隊の主力として、十分な数の航空母艦が揃わない[1]アメリカ海軍太平洋艦隊の最も苦しい時期を支え、本機に搭乗したパイロットによる不曉不屈の戦いぶりは、その名に違わないものであった。
開発・配備
当初基本設計はノースロップ社でXBT-2の名称で行われていたが、ダグラス社が設計を引き継ぐこととなり、XSBD-1と名称が変更された。エド・ハイネマン率いる設計チームは当初から引き込み脚を採用するなど、当時の急降下爆撃機としては画期的なスペックであった。
機体形状はレシプロ単発軍用機として一般的なものであり、低翼配置の主翼と尾輪式の降着装置を持つ。フラップは穴空き式であり、ダイブブレーキを兼ねるようになっていた。
1939年4月より初期型の海兵隊用SBD-1が57機、海軍用SBD-2が87機量産された。部隊配備は1940年に海兵隊から開始されている。しかし、欧州を席巻したドイツ空軍の急降下爆撃機Ju 87 スツーカに衝撃を受けた軍は性能が不十分であると判断し、エンジン・防弾性能・機銃攻撃力などに大幅な改良を加えた中期型のSBD-3を584機生産した。このSBD-3は同時期に使用された九九式艦上爆撃機と比較して速度、航続距離、操縦性、搭載量などはるかに凌ぐ性能であった。
新型艦上爆撃機SB2C ヘルダイバーが登場したが、SB2Cは海軍側の無茶な要求によって若干安定性と操縦性に難がある機体となった。そのため、引渡し後の部隊配備は遅々として進まなかった。一方でドーントレスは電波航法装置や空中レーダーを装備した、後期型のSBD-4が780機生産され、その後もSBD-5、SBD-6と改良が加えられた。
母艦搭載の必要がない海兵隊は終戦間際まで本機を運用し、SBD-6のほとんどは海兵隊向けであった。その後、SB2Cの高性能化で母艦部隊は機種交換が進められ、ようやくSB2Cに道を譲り、終戦間際に生産が始まったA-1 スカイレイダー汎用攻撃機の登場でドーントレスはその姿を消す。しかし、SBDは太平洋戦争中の全期間、現役状態であったと言える。
なお、陸軍でもスツーカの活躍に衝撃を受けてSBDの空母用装備を取り外したものが、A-24 バンシー(Banshee)として採用されている。総計953機のA-24が生産され、海軍でSBDが引退した後も使用され続けた。A-24は1948年の空軍独立時にも在籍しており、それらは攻撃機カテゴリ(A)の廃止と共に戦闘機カテゴリ(F)に移ってF-24と改称している。
戦歴
太平洋戦争において最初にSBDを実戦使用したのは、海軍ではなく陸軍であった。フィリピン・オーストラリア・ニューギニアの航空基地に配備された陸軍向けのA-24が、南進する日本軍と戦闘を繰り広げた。
海軍ではSBD-3が珊瑚海海戦で実戦デビューし、コンビを組むはずの雷撃機TBD デバステイターの性能が貧弱で日本艦隊に有効な打撃を与えられない中、軽空母祥鳳を撃沈し、空母翔鶴を中破させた。
ミッドウェー海戦においては、TBD(及びこれが初陣のTBF)が戦果を挙げられずに日本機動部隊の直掩戦闘機に低空でバタバタと撃墜され、全滅に近い損害を受ける中、クラレンス・マクラスキー及びマックス・レズリーの率いる本機で構成された部隊が、高空から防空の隙を突いて同海戦に参加した日本機動部隊の4空母のうち赤城、加賀、蒼龍を同時に攻撃して撃沈し、残った飛龍も別に出撃した本機の部隊が撃沈して日本機動部隊主力の撃滅に貢献した。
ソロモン諸島での海戦以降は、TBDに代わって配備が始まった画期的な新型雷撃機TBF アベンジャーと共に活躍した。TBFの不具合が解消されるまで、SBDは艦艇攻撃の主役を担い、多数の日本軍艦艇を撃沈した。
また、SBDは良好な運動性と強力な前方機銃を活かし、状況によっては日本軍の戦闘機に立ち向かっていくこともあった。
なお、日本海軍のエースパイロットとして世界的に有名な坂井三郎は、ガダルカナル島上空で、編隊で飛行する本機を後部銃座の無いF4Fと誤認して不用意に接近したことから、後上方旋回機銃の集中銃火を浴びて頭部に片目をほぼ失明する重傷を負い、戦線離脱を余儀なくされた。彼は後年、最初の著作の中でこれをTBFと記述(後に訂正)している。
他国での運用
アメリカ以外の国では、ニュージーランド空軍が3形式68機、自由フランス空軍とフランス海軍が少数機、イギリス海軍が1形式9機、メキシコ空軍が1形式を少数機使用した。この内、メキシコ空軍は1959年まで本機を使用し、最後の本機使用国となった。
性能諸元
- 出典:[2] [3] [4]
- 要目 : SBD-5
- 乗員:2名
- 全長:10.08m(33ft 1in)
- 全幅:12.65メートル(41ft 6in)
- 全高:4.14メートル(13ft 7in)
- 翼面積:30.19m²(325ft²)
- 自重:2,905kg(6,404lb)
- 全備重量:4,843kg(10,676lb)
- 最大離陸重量:4,853kg(10,700 lb)
- 動力:ライト R-1820-60 サイクロン 星型エンジン × 1基
- 出力:1,200hp(895 kW)
- 速力:410.38km(255mph)
- 航続距離:1243.8km(773 mi)
- 上昇限度:7,780m(25,530ft)
- 固定武装:前方固定 12.7mm機銃2挺、後上方旋回 7.62mm連装機銃1基
- 爆弾:545kg
型式一覧
- XBT-1
- ノースロップ社の試作艦上爆撃機。
- BT-1
- アメリカ海軍向け生産型
- XBT-2
- BT-1のエンジンと機体構造を改良したSBDの原型機。ノースロップ社がダグラス社エル・セガンド事業部になったため、XSBD-1の呼称に変更。
- SBD-1
- アメリカ海兵隊用生産型。機首に7.7mm機銃2丁、後席に7.7mm旋回機銃1-2挺装備。
- SBD-1P
- 偵察機型。
- SBD-2
- SBD-1のアメリカ海軍用生産型。燃料搭載量が増加している。
- SBD-2P
- 偵察機型。
- SBD-3
- 機首の機銃を12.7mm2挺へ、防弾タンクと防弾鋼板を装備。エンジンをライトR-1820-52(1,000hp)へ変更。
- SBD-3A
- アメリカ陸軍用のA-24の海軍呼称。
- SBD-3P
- 偵察機型。
- SBD-4
- 電気系統を6vから12vへ変更。
- SBD-4A
- アメリカ陸軍用のA-24Aの海軍呼称。
- SBD-4P
- 偵察機型。
- SBD-5
- エンジンをライトR-1820-60(1,200hp)へ変更。
- SBD-5A
- アメリカ陸軍用のA-24Bの海軍呼称。
- SBD-6
- エンジンをライトR-1820-66(1,350hp)へ変更。
- A-24
- アメリカ陸軍用のSBD-3型。
- A-24A
- アメリカ陸軍用のSBD-4型。
- A-24B
- アメリカ陸軍用のSBD-5型。
脚注
- ↑ アメリカ海軍太平洋艦隊に十分な数の航空母艦が揃うのは、エセックス級航空母艦が建造され始めてからである。
- ↑ Barrett Tillman. The Dauntless Dive Bomber of World War II. Naval Institute Press, Annapolis, MD, 1976 (softcover 2006.)
- ↑ The Boeing Company History / Products / Douglas SBD Dauntless Dive Bomber
- ↑ 「図面でみる第2次大戦世界の攻撃・偵察機」、酣燈社、1966年