FNS番組対抗NG大賞

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FNS番組対抗NG大賞(エフエヌエスばんぐみたいこうエヌジーたいしょう)は、1986年から断続的に放送していたフジテレビ系列のNG場面を集めた番組の総称。

サブ司会は各フジテレビ系列の女性アナウンサー

経緯

1986年11月25日の『おはよう!ナイスデイ』放送中に臨時ニュースが入り、司会の桑原征平(当時・関西テレビアナウンサー)が、報道センターの露木茂(当時・フジテレビアナウンサー)に「フジテレビの報道デスクさん。」と呼びかけた。映像が報道センターに切り替わると、スタッフと談笑し大笑いしている露木の姿が映し出された。すぐさまスタジオの映像に戻され、桑原らが必死のフォローを行った後再び露木に呼びかけると、何事もなかったように露木がニュースを伝えるという出来事があった。

その後、「これを別の形で放送できないものか」と考えられたのが、この番組である。

それまで、NGはプロとしての恥であり、給与査定や人事、出演オファーなどに関わるものであったが、当番組以降、NGを視聴者のためのサービスとして提供するようになり、出演者もNG発生後に様々なフォローをすることで場の雰囲気を和ませるようになっていった。
また、それまで業界用語であった「NG」(失敗などを意味する「NO GOOD」の略)という言葉を一般的に広める功績を残した。

なお、日本のテレビで初めて放送されたNG集は、1979年に『番組対抗かくし芸大会』に出演した『西遊記』チームの出し物だと考えられる。ドラマ翔んだカップル』(1980年10月〜1981年4月)では、番組の最後に、当時は全くの業界用語であったNGという言葉をそのまま使い”NG集”として毎週2〜3個のNGを放送していた。また、NG専門番組としては『世界のドッキリNG大全集』(1985年3月〜1989年6月)が嚆矢であり、フジテレビにおいては、『オールスター ザ・NG大賞!今でも恥ずかしいザンゲ録』(1985年7月)、『所さんのオールスターNG大賞・あのはずかしい大失敗初公開』(1986年6月)を経て、『FNS番組対抗NG大賞』(1986年10月〜)に発展した。

概要

改編期にあたる毎年4月、10月に、過去半年間に放送された番組(ドラマ、バラエティ、報道、情報、FNSネット局放送)から面白度、ハプニング度の高いNGシーンや舞台裏、生放送でのハプニングシーンなどを集め、その中から大賞を決めた。
また、年末に1年間のNG総集編を放送していた。

OKとNGの両シーンを比較しながら放送する手法や、テロップにエフェクトをつけて感情を表す演出、そして『プロ野球ニュース』や『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』で実績を持つみのもんたによる軽妙なナレーションが売りとなっていた。FNSネット局からのNGシーンでは放送開始・終了時の局名告知の映像や素材送りのカウント映像が紹介する前の冒頭に必ず流れていた。

FNS番組対抗名珍場面傑作NG大賞

1986年~1988年にかけて5回(他に総集編1回)放送。

第1回(1986年10月14日放送)のグランプリは「くいしん坊!万才

司会
審査員

 他  

ナレーション
スタッフ

FNS番組対抗NG名珍場面大賞

1989年から1999年にかけて放送。
春と秋の改編期に放送されたものでは、半年間のNGシーンから大賞を決め、出演者またはネット局アナウンサーにトロフィーと賞金を授与、"ビクトリーロード"と呼ばれる特別に装飾された階段を上り特別席に座らせた。

1999年12月26日(この回は新作のNGはなく、過去13年間の傑作NG集だった)に本番組は終了したが、2000年12月28日に一度だけ今までのNGからの傑作集として復活した。

また、その他にも2001年10月9日の『めざましテレビスペシャル』の中でも本番組が一度だけ復活した。

司会
審査員

 他

ナレーション
  • みのもんた
スタッフ
  • 編成:清水賢治金田耕司
  • プロデューサー:近藤孝子(共同テレビ)
  • アシスタントプロデューサー:寺田久美子
  • ディレクター:星克明、橘内一夫、馬場敦之
  • 技術協力:バスク
  • 美術協力:フジアール
  • スタッフ協力:ベイシス
  • 制作協力:共同テレビ

がんばった大賞

テンプレート:Main 2003年秋から放送。2年ぶりに復活。

司会

テンプレート:JIS2004

スタッフ
  • プロデューサー : 坪田譲治(フジテレビバラエティ制作センター)、近藤孝子(共同テレビ)
  • 制作協力 : 共同テレビ

テンプレート:前後番組