磁石 (お笑いコンビ)
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テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox お笑いコンビ 磁石(じしゃく)はホリプロコム所属のお笑いコンビ。以前はサワズ・カンパニーに所属。
メンバー
佐々木 優介(ささき ゆうすけ、1980年3月31日 - )
- 広島県呉市出身。和庄中学校→武田高等学校卒。実家は巻き寿司専門の寿司屋。
- ツッコミ担当、立ち位置は向かって左。A型。身長184cm、体重73kg。
- 端整な顔立ち、左利きが特徴。口癖は「~だろぉ」。別名「磁石のS」
- 「ササキング」というニックネームがあり、さらにそこから派生して「キング」といわれることもある。芸人仲間からは「さっさん」と呼ばれることもある。
- ツッコミの前に「いや、○○じゃねぇよ」のように、「いや」をつけることが多い。キレた表情で突っ込むこともある。
- 4歳年下の弟がおり、「伝承遊戯」というバンドでドラムを担当している。家族と仲は良く、弟のブログに佐々木が甥っ子(弟の息子)を抱っこした写真が載るほどである。また、母親もTwitterをしており、佐々木自身も彼女のフォロワーの一人である。
- 所持金がいつも少なく、小銭しか持っていないことも多い。所持金500円で後輩の前に登場することが多々あり、「ワンコイン兄さん」という異名の持ち主でもある。
- アメリカ人の真似が上手く(自称)、後述にもあるように漫才のネタにも取り入れられている。他にも水谷豊の歌真似が得意。
- 3歳から中学進学前まで水泳を習っており、中学入学後はバスケットボール部に入部。当時は身長が148cmしかなかったが、その後成長し、現在は184cmとなっている。
- 急性虫垂炎で入院した永沢の見舞いに行った時、名簿の「患者との関係」の欄に「相方」と書いて受付でダダすべりした(佐々木自身は『面白いかな~と思った』と語る)。そして、次に来たちゅうえい(流れ星)はその欄に「ライバル」と書き、取り次ぎの看護婦に「永沢さん、ライバルが来てますけど…」と言われた。
- 高校生の時に同級生と「年中無休(ツッコミ役)」というコンビを組み、学園祭更には呉市内の老人ホームでもコンビでコントを披露したことがある。後述の件は地方紙でも取り上げられた。「年中無休」は学内でも有名になり、学園祭では学校長が聴くほどの人気で会場の教室を埋め尽くしたほどであった。この活動の実績を肩書きに相方と早稲田大学の推薦入試を受けるも揃って不合格。高校卒業後、相方は他大学に進学し進路が別々になったため解散した。
- カバチタレの作者(原作、作画ともに呉市出身)と遠い姻戚関係にある。
- 母親は地方局の元アナウンサーで、ホリプロコムに移籍して単独ライブを行った際、ホリプロコムの社長が打ち上げの席で佐々木の母親を指し、「あの女を紹介しろ」と言ってきた[1]。
- 永沢曰く、ツッコミよりボケの方が得意らしい。「大フィーバー」の頃から、永沢のボケに乗ってボケることも増えた。
- 嵐に憧れており、その気持ちが高じて嵐のメンバーになった夢を見たことがある(その時はコンサートでよそ見している人を前に向かせる役割だった)。夢から目覚めた時は「あぁ自分は嵐じゃない…。磁石だ」とすごく落胆した。
- 自身のトークライブ「フタリシャベリ」の中で、永沢にTwitterを始めさせられた。機械音痴でエアコンのリモコンさえも使いこなせない(永沢談)佐々木だが、現在ではTwitterにて他の芸人と会話したりと、なかなか使いこなしている様子である。初めてのツイートは「金出せじしゃくの佐々木です」だったという。
- 相方の永沢が結成した、芸歴10年前後の吹きだまり芸人を集めたユニット“FKD(吹きだまり)48”の総選挙では相方の永沢、瀧上伸一郎(流れ星)に次ぐ第3位を獲得した。FKD48ではクール担当として活躍していたが、11月のトークライブを以てのんびり担当になった。所属チームはチームK。
- 2011年に一般女性と結婚、2012年に長男が生まれた事が自身の単独ライブ「レインボー」にて発表された。この事はここで発表されるまで永沢さえも知らなかったそうで、永沢はその後ライブ中のネタで相方に「結婚できると思ってんのぉ~?」とボケをかましていたことを気まずく思ったらしい。
- お笑い芸人以外に親交のある人物として、ロックバンド[Champagne]のギタリスト、白井眞輝がいる。先述の弟も含め、三人で仲がいい。[Champagne]がミュージックステーションに初出演した時には、そのことをTwitterで冗談を交えて呟いていた。
- 手品の趣味があり、単独ライブ「プレミア」では天才マジシャン・スーパーササキングに扮して行うコントがあった。
- 2012年4月5日放送の「お笑いジャッジポイント」では井戸田潤(スピードワゴン)のネタキャラであるハンバーグ師匠の弟子・ミートボールボーイに扮し、旗を立てたミートボールを象った帽子(?)をかぶったスタイルでネタの後に「ミートボ――ル !! 」と叫ぶアメリカンジョーク風漫談をやり、最後に 「正直言うと漫才やりたい」とぼやいた。相方の永沢は、自身のブログの記事「答えるラッシュ永沢ファイナルシーズン」でこれを「ハンバーグ師匠による巻き込み事故」と称している。
永沢 たかし(ながさわ たかし、本名:永澤喬之(たかし)、1979年12月28日 - )
- 秋田県秋田市出身。将軍野中学校→秋田県立秋田高等学校卒。
- ボケ担当、立ち位置は向かって右。O型。身長177cm、体重58kg。
- トリッキーな動きと言動、眼鏡が特徴。別名「磁石のN」
- パチンコが趣味で得意。そのため番組や雑誌に出演することもある。
- 再現コントに入る時などに「んだ!んだ!んだ!(標準語で『そうそう、うんうん』に当たる同意する相槌)」と言う。漫才で「やっちまった」という意味で「んだった!んだった!」と言うこともある。
- 髪の色は茶髪。染めてはおらず地毛である(自身のブログの記事『風邪ひく永沢』より)。また散髪は全て自分でやっており、生まれてこの方美容院にも床屋にも行った事がないという。
- 名前を平仮名にしたのは本名の「喬之」を正確に「たかし」と読める人が少なく、よく「たかゆき」と間違われるため。
- 台本(構成などだいたい)を書いたり、台本の管理をしたりしている。
- よく白い靴を履いており、多数の白い靴を持っている。洋服はマルイで買う事が多く、「マルイの物は安心」と言っている。
- 視力はもともと0.02であったが、レーシック手術によって視力は回復した。そのため昔は度の入った眼鏡を使用していたが、今は伊達眼鏡である。「昔はともかく今はおしゃれだ!」とタイムマシーン3号とのライブで自ら言っていたが、その言葉の通りおしゃれであり、眼鏡も10個以上持っている。
- 7歳下の弟がいる。
- 幼少の頃習字を習っていた経験があり、字も秀逸。また、イラストも得意である。
- 「大フィーバー」で披露された「ザ・ナカムラブラザーズ」のネタや「プレミア」で披露された「アライブ」のように、ネタ中で歌を歌う事も多いが、歌唱力はそこまで高い方ではなく(どちらかと言えば佐々木の方がうまい)、なかなか音が合わないことで前述の佐々木の弟をいらつかせたほどである。
- 見た目から文化系に思われがちだが、文武両道で小学生の時は野球部、中学生の時はバスケットボール部、高校生の時はスキー部に所属しており、体育の成績も5や4を取っていた。頭も良く中学生の時は学年トップを取るほどの秀才だったが、生活態度の面でよく怒られていた。
- とはいえ、最初から成績が抜群に良い方ではなく、学年でも真ん中くらいだった。しかし部活が終わった夏(中3)ごろから学年トップになったという。その甲斐あって、秋田県では屈指の進学校の秋田県立秋田高等学校に入学する。
- 前述の通り急性虫垂炎で入院した事がある。出番前に痛み出してのたうち回り、本番15分前まで楽屋で横になっていた。退院後もしばらく痛みが治まらず大変だったという。元から悪玉菌が腸に溜まりやすい体質らしい。
- アルコールにとても弱い。単独DVD「カクヘン」で焼酎の水割りを飲まされるが、通常の1杯を飲むのに苦労した上、1杯しか飲んでいないにもかかわらずその後まっすぐ立つことすらできないほど酔っ払った。この状態で行われた漫才(『酔漫』と称される)はある意味凄まじい内容となっている。その後の「大フィーバー」や「プレミア」でも「酔ってチャレンジ」が企画されたが、「プレミア」では泥酔して嘔吐してしまった。
- 結婚を前提に付き合っていた彼女がいたが、なかなか売れない磁石の先行きが不安、という理由から2007年M-1グランプリ準決勝の直前にフラれたとのこと。準決勝と敗者復活戦でこの話をネタにしていた。
- 自身のブログで芸歴10年前後のライブを中心に活動する芸人を集めたユニットを作る事を呼び掛け、「FKD48」を立ち上げた。その後行われた第1回総選挙では1位になり、センターを獲得した。FKDではリーダー担当兼チームFキャプテンとして活躍中。
- キングオブコメディの「就職祝い」というネタに登場する高橋健一演ずるわがままな後輩は、永沢をモデルにしている[2]。
- 詩作の趣味があり、ブログに詩を載せていた時期があった。第2回(前期)「詩のボクシング」全国大会では初出場にして準優勝を記録。この様子はライブDVD「レインボー」でも見る事ができる。
- 涙もろい所があり、「THE MANZAI 2012」では親交のあるハマカーンが優勝した際感極まってボロ泣きし、しかもその時の立ち位置が同じような眼鏡をかけた神田のすぐ後ろだったため、佐々木から「同じような見た目のが二人して泣いててややこしい」と突っ込まれた。また浜谷の結婚式に出席した際も涙ぐんでいたが、その後前の席にいた小沢一敬(スピードワゴン)のボロ泣きぶりを見て引き気味になっていた[1]。
概要
- 日本映画学校(現・日本映画大学)で知り合い、2000年結成。
- コンビ名は2人のイニシャルが「SASAKI」と「NAGASAWA」である事から来ている。永沢が読むところに「N」、佐々木が読むところに「S」と書かれた台本を見て、永沢が何の気なしに「NとSって磁石みたいだな」といったところ、それを佐々木が気に入り、コンビ名は決定した。
- 佐々木が青、永沢が赤のシャツの上に上着を着たスタイルが定番(以前は『G-shack』のロゴの入った赤と青の長シャツだった)だった(2010年M-1まで)。2011年のTHE MANZAI 2011以降はスーツと白のシャツに佐々木が青、永沢が赤のネクタイになっている。佐々木は無地やチェック、永沢は水玉模様のネクタイが多い。
- 佐々木は映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のオーディションを受けたことがある。
- 初仕事は週刊誌「FLASH」の企画で、風俗店に行き、風俗嬢たちのバストを足して2000cmになるようにする企画だった。
- 初舞台は、人力舎主催の「バカ爆走」の若手勝ち抜き戦コーナー。初舞台を迎える一週間前から永沢が佐々木の家に泊りこみ、毎日50回くらいネタの練習をした。
- 吸っている煙草は佐々木がマールボロ。永沢はマルボロミディアム。
- 2008年4月末に三木プロダクションを退社し、6月中旬ごろにホリプロコムに所属。同年6月19日の「ドライブインナガサワ」にて報告された[2]。
- M-1グランプリにおいて、2003年から2010年まで毎年準決勝に進出するも、決勝進出は叶わなかった。チャド・マレーン(旧ジパング上陸作戦)、とろサーモンと並び敗者復活戦最多出場記録(8回)を持つ。メンバー達は「M-1に踊らされた」と語っている[3]。
- 2010年7月に行われた「磁石漫才ライブワールドツアー最終公演」では15本のネタを一度も締めず90分間やり続けるノンストップ漫才を披露した。
- THE MANZAI 2011において認定漫才師50組に選ばれる。本戦サーキットでは2回の出場で3位と2位と好成績を残し決勝進出を決める。各サーキット会場では上位3組のみ発表されるが、2回の出場とも上位3組に入ったのは磁石を含めパンクブーブーとスリムクラブのみ。決勝ではグループAに入ったものの、ナイツに敗れてグループ2位で敗退した。
- THE MANZAI 2012においても認定漫才師50組に選ばれ、決勝進出。決勝ではグループBで千鳥に敗れたが、審査員のオール巨人にネタを褒められた上で「辞めたらあかん」と言われる。これは、2人を紹介するVTRの中での「(佐々木に)子供が出来たから(漫才を)辞めようと言われたことがあった」という永沢の言葉を受けたもので、後にオール巨人はブログで「磁石君は本当に良い漫才をやってましたし、間違いなくトップ集団で走ってるコンビなのでもったいないし、思わず口から出てしまいました…もっと上手く言えれば良かったんですけど」とその当時の気持ちを表現した。その言葉に、永沢はここでも涙ぐんでいた。
- ネタは永沢・佐々木、二人で作成している。
- 事務所の先輩である小沢一敬(スピードワゴン)は磁石の漫才師としての才能を高く買っており、自分のtwitterでは「再びネタ番組ブームが来たら絶対に出てほしい漫才師」「(THE MANZAI 2012の件を受けて)もう辞めるなんて考えないで」と語っている。
ネタ
- 主に漫才を披露。ネタの始めに佐々木が「僕が広島県出身で」永沢が「僕が秋田県代表(出身)で」と言い始める。また、永沢が「僕がもう27で、彼がもう28になりまして」と、年齢の様に靴のサイズをいうツカミもある。
- 「エンタの神様」出演時は全てコントを披露。現在でも単独ライブでは漫才だけでなく、コントも披露している。
- 言葉の言い回しや意味、考え方の違いを変化させたボケが多い。
- 佐々木がアメリカ人のモノマネを得意としているため、「ホームステイ」や「アメリカ人の留学生」等のネタがある。
- 永沢が変な宗教の教祖「アルゴン様」なる人物に傾倒しているというものもある。佐々木を勧誘するくだりがあるネタもある。なお、アルゴン様のフルネームは「川村アルゴン」。ラフブロで「アルゴンの徒然日記」というブログをやっているという設定。
- 2008年ごろから、連続でボケた後に最終的にまとめてツッコミを入れるものがある。なお、佐々木が一つツッコミを忘れて後から「あーそれ忘れてた!」と気付くものもある。
- 2008年~2010年頃には、永沢が一通りボケた後に、「お前は出来るのか?」と佐々木に振り、佐々木が「お前よりは出来るよ」というくだりが使用されていた。
- 佐々木のツッコミとして、2010年頃からブスを題材にしたものがある。「ブスは待つ」はTHE MANZAI 2012の決勝の舞台でも使われ、オール巨人が「磁石くん、辞めたらあかん。素晴らしいよ。ブスは待つ、心に刻みました」というほどである。その他、「ブスは出す」「ブスは裏切らない」などもある。
- ネタを締めるときに佐々木が「いい加減にしね(「死ね」という意味ではなく、「しろ」という意味の広島の方言)」と言っていたころがある。
- 話が本筋からそれた時に永沢が「Aの話はどこへ行ったんだよ」と言い、佐々木がさらに強く「B(本筋)の話はどこへ行ったんだよ」というくだりが、「プレミア」の頃から使用されている。
賞レース等の戦歴
- 2003年、2005年 お笑いホープ大賞決勝進出。
- 2003年~2010年 M-1グランプリ準決勝進出(2001年、2002年は不参加)。2010年予選順位15位。
- 2011年 THE MANZAI 2011決勝進出。本戦サーキット順位第2位。
- 2012年 THE MANZAI 2012決勝進出。本戦サーキット順位第4位。
テレビ
出演中
- サイトセブンカップ(パチ・スロ サイトセブンTV、2011年4月〜6月)
過去の出演
- 磁石のケータイハンター(2010年1月~3月、tvk、チバテレ等)
- 爆笑オンエアバトル 戦績17勝4敗 最高525KB ゴールドバトラー認定
- 第7回チャンピオン大会 ファイナル5位
- 第8回チャンピオン大会 ファイナル6位
- ラジかるッ - 月曜日〜水曜日 速報ランキング5&5のコーナーを担当。
- お笑い Dynamite! - キャッチコピーは「今宵も時代をブッた斬る!」
- はなまるマーケット - 佐々木のみ。ママダスのコーナーでパネラー出演。2001年4月〜9月
- ゼベック・オンライン - 2004年10月4日
- 24時間テレビ(2005年) - 鹿児島讀賣テレビのチャリティーパーソナリティー。
- E娘! - 2007年1月11日
- エンタの味方! - 2007年8月10日
- 爆笑レッドカーペット - キャッチコピーは「引き寄せろ!」
- 新春ゴールデンピンクカーペット - 2008年1月1日 キャッチコピーは「引き寄せろ!」
- 爆笑ピンクカーペット - 2008年8月31日 キャッチコピーは「今日も笑いを引き寄せろ」
- 新春ゴールデンカーペット - 2011年1月1日 キャッチコピーは「引き寄せろ!」
- ナイナイプラス
- かい快!ふしぎ捜査隊 - 2008年9月17日
- ジャイケルマクソン - 2008年11月26日
- 超常芸人サバ〜イ! - 2008年12月16日
- うまプロ!U-1グランプリ(フジテレビ)
- エンタの神様 - キャッチコピーは「くっつきと反発の二重ガウス」
- キャラキング
- ファミレストーク王決定戦
- カンニングのDAI安吉日!
- カフェ・ド・トリコ
- 爆笑一番 - 2010年5月20日・27日
- cuTe365(2010年9月7日~2011年1月25日、アクトビラ) - 毎週火曜日配信の「磁石の江戸むらさき」に出演。
- PON! - 2011年2月1日
- 笑う新選組(テレ朝チャンネル)- #9
- 『ぷっ』すま(2012年2月3日)
- 刑事吉永誠一・涙の事件簿12(2013年10月2日、牧野春樹役) - 永沢のみ。
DVD
- カクヘン(2006年発売 発売元:ポニーキャニオン)
- 大フィーバー(2009年発売 発売元:ホリプロ)
- デジタルコメディラボ カフェ・ド・トリコ(2010年発売 発売元:バップ)
- 磁石のケータイハンター〜世界一簡単な記憶クイズ〜 Vol.1 - 4(2010年 発売元:竹書房)
- 磁石漫才ライブワールドツアー日本最終公演(2011年発売 発売元:ホリプロ)
- 磁石単独ライブ「プレミア」(2012年発売 発売元:ホリプロ)
- 磁石単独ライブ「レインボー」(2012年発売 発売元:ホリプロ)
ドラマCD
PV
- 高橋直純「羅針盤」
脚注・出典
外部リンク
テンプレート:Owarai-stub テンプレート:ホリプロ テンプレート:Navboxes テンプレート:爆笑オンエアバトルゴールドバトラー
テンプレート:Navboxes- ↑ ジャイケルマクソンより
- ↑ キングオブコメディのライブDVD「葉桜」副音声より
- ↑ 「お笑いナタリー」内インタビュー