浄土ヶ浜
浄土ヶ浜(じょうどがはま)は、岩手県宮古市にある海岸。国の名勝に指定されている。三陸復興国立公園に属し、三陸海岸を代表する景勝地の1つである。
概要
約5200万年前の古第三紀(地質時代上、白亜紀の次に位置する)に形成された火山岩からなる白い岩塊と同色の小石によって、外海と隔てられた波穏やかで清明な入り江が形成される。また岩上には、岩手県の「県の木」であるナンブアカマツをはじめとする常緑樹の群生が見られ、これらによってあたかも日本庭園のような美しい景観が醸し出されている。
また、入り江を形成する岩塊の裏側(外海側)には、太平洋の荒波の浸食を受けた、入り江側とは対照的な男性的ともいうべき景観が見られ、これらは、「剣の山(針の山とも)」「賽の河原」「血の池」等、同じ東北地方に位置する恐山の地名呼称と共通する名称で呼ばれている。
海岸名の由来は、天和年間(1681年 - 1684年)に、曹洞宗に属する宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたとする説が、同海岸周辺を遊覧する観光船の案内放送等によって一般に広く知られている[1]。寛政9年(1797年)に盛岡藩主の南部利敬が領内巡視をした際、横山八幡宮・黒森神社と共に当地を訪れており、当時から風光明媚な場所として知られていた。また「浄土ヶ浜」の地名は当時の藩の記録にも見られる。
入り江を利用した海水浴場は環境省による「快水浴場百選」に選定されているほか、日本の水浴場88選、かおり風景100選、日本の渚百選、日本の白砂青松100選にも指定されている。
浄土ヶ浜を含む臼木山は、1908年に国有林から鍬ヶ崎町有林になり、その後の合併により現在は市の所有になっている。
宮沢賢治は1917年7月にここに訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌をよんでいる。
脚注
関連項目
外部リンク
- 宮古市の浄土ヶ浜案内 (2011年3月の大震災以降の状況など)
- 国指定文化財等データベース