武蔵野銀行
テンプレート:Infobox テンプレート:基礎情報 銀行 株式会社武蔵野銀行(むさしのぎんこう、The Musashino Bank, Ltd.)は、埼玉県さいたま市大宮区に本店を置く地方銀行で、いわゆる戦後地銀である。
目次
概要
内閣書記官長・貴族院議員を務めた遠藤柳作がデフレ下における資金難の救済を称えて、青木正・上原正吉・横川重次・貫井清憲・馬場元治など埼玉県内外の政治家に呼びかけて発起。旧野村合名出身の熊田克郎を経営陣に迎え、1952年(昭和27年)に開業した。
同県内に埼玉銀行という県内シェアトップの都市銀行が存在したために影が薄かったものの、埼玉銀が協和銀行と合併して本店を東京に移転。あさひ銀行として発足したため、唯一の県内行となった。しかし個人向けであれ企業・官公庁向けであれ積極的な営業は行わず[† 1]、むしろ保証協会付き融資を好む行風であり、埼玉県内の自営業者を除く企業法人においては、武蔵野銀行を単独のメインバンクにしているケースは稀であるとされる[† 2]。
2003年(平成15年)、あさひ銀行から埼玉りそな銀行が分離され、再び地元に大規模な銀行が誕生。設立時の経緯から長らく筆頭株主は大和銀行であったが、この頃三菱東京フィナンシャル・グループに売却された。[1]このため「県民の銀行」をキャッチコピーとして、唯一の地元銀行であることを強くアピールするようになった。
2014年(平成26年)4月14日、同行としては37年ぶりとなる都内への出店として東村山市に久米川支店を開設[2]。都下において、業容の拡大を図るとしている。
コーポレートアイデンティティ
2005年(平成17年)に、20年以上使用されてきたロゴタイプ(和文の『武蔵野銀行』)と緑色のコーポレートカラーをワインレッドへと一新。従来からの行章(△形)を発展させたシンボルマークを新たに導入した。これに伴い、『ぶぎん』の名称とロゴはパンフレットなどではあまり用いられなくなった[† 3]。 また最近では、埼玉県内の地域別にキャッチフレーズをつけている。
沿革
- 1952年(昭和27年) - 埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)に、資本金100,000,000円・店舗数8で設立。
- 1969年(昭和44年) - 東京証券取引所第2部上場。
- 1970年(昭和45年) - 東京証券取引所第1部へ指定換え。
- 2003年(平成15年)1月14日 - 北埼信用組合を合併。
- 2006年(平成18年)1月4日 - 勘定系システムを「じゅうだん会共同版システム」に移行。
- 2007年(平成19年)7月31日 - 勘定系システムのシステム障害が発生。
- 2008年(平成20年)8月4日 - 常陽銀行・関東つくば銀行(現:筑波銀行)・千葉銀行・東京都民銀行・横浜銀行とのATM相互無料・振込手数料優遇提携を開始。
- 2014年(平成26年)4月14日 - 東京都東村山市に久米川支店を開設。
ATM提携について
地元プロスポーツへの貢献
本店を置く大宮の地元サッカークラブである大宮アルディージャの後援企業として、NACK5スタジアム大宮や大宮アルディージャのユニフォーム(パンツ)へ広告を掲示しているほか、2008年(平成20年)より埼玉県営大宮公園野球場で公式戦を開催している埼玉西武ライオンズへは同年に外野フェンス、2011年(平成23年)の公式戦では全試合ホームベース後方に「県民の武蔵野銀行」という広告を、また、2012年(平成24年)からは本拠地である西武ドーム1塁側屋根にも「武蔵野銀行」広告を掲示し、テレビ埼玉の野球中継だけでなくNHKや民放各局のスポーツニュースで映されるなど、地元プロスポーツへの積極的な貢献と広告活動で埼玉の金融機関として地域密着活動を行っている。
関連会社
- ぶぎん総合リース株式会社
- ぶぎん保証株式会社
- むさしのカード株式会社
- ぶぎんビジネスサービス株式会社
- ぶぎんシステムサービス株式会社
- 株式会社ぶぎん地域経済研究所
- 株式会社ぶぎんキャピタル
ギャラリー
- MusashinoBank Warabi-003.jpg
蕨支店
脚注
注釈
- ↑ 埼玉県内の地方自治体で、武蔵野銀行を指定金融機関としている市町村は秩父郡横瀬町のみである。
- ↑ 官公庁においては、大部分の市町村が「指定代理金融機関」にしている。
- ↑ かつては「ビギン・ザ・ブギン」というキャッチフレーズを使っていたこともある。
出典
- ↑ あさひ銀と大和銀の経営統合、中小金融機関に大きな影響も ロイター(2001年9月7日)
- ↑ テンプレート:Cite web