敦賀郡
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郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の敦賀市にあたる。
歴史
律令時代より江戸時代まで越前国の一部として敦賀郡をなすが、越前では唯一、峻厳な木ノ芽峠の南側に位置するため、若狭や近江と風土の共通点が多い。江戸時代は若狭・小浜藩の一部、またはその支藩・鞠山藩の支配下にあった。
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 旗本領(酒井氏) | 10村 | 新保村、葉原村、越坂村、谷口村、井川村、中村、吉河村、鳩原村、古田苅村、鋳物師村 |
藩領 | 若狭小浜藩 | 1町 29村 9浦 |
敦賀町[2]、○泉村、○津内村、舞崎村、余座村、樫曲村、刀根村、新道村、疋田村、麻生口村、奥麻生村、山中村、駄口村、追分村、市橋村、小河口村、道ノ口村、坂ノ下村、長沢村、堂村、金山村、野神村、小津内村、河原村、新津内村、今屋敷村、新田村、徳市村、櫛川村、二村浦、名子浦、縄間浦、沓ノ浦、手ノ浦、色ヶ浜浦、浦底浦、松中村、立石浦[2]、白木浦[2] |
越前鞠山藩[3] | 13村 10浦 |
木崎村、大蔵村、谷村、高野村、小河村、奥野村、曽々木村、○原村、和久野村、池河内村、獺河内村、田尻村、田結浦、赤崎浦、江良浦、五幡浦、挙野浦、阿曽浦、杉津浦、横浜浦、大比田浦、元比田浦、菅谷村 | |
安房勝山藩 | 9村 | 野坂村、長谷村、砂流村、御名村、山村、公文名村、櫛林村、莇生野村、沓見村 | |
小浜藩・安房勝山藩 | 1村 | 山泉村 | |
幕府領・藩領 | 旗本領(酒井氏)・小浜藩 | 1村 | 今浜村 |
その他 | 幸若氏知行 | 1村 | 田島村 |
常宮神社除地 | 1浦 | 常宮浦 |
- 明治2年
- 明治3年
- 明治4年
- 明治7年(1874年)(1町56村20浦)
- 泉村が敦賀町の一部(月見町)となる。
- 河原村・新津内村・今屋敷村・新田村が敦賀町の一部(稲荷町)となる。
- 徳市村・田島村が敦賀町の一部(八幡町)となる。
- 明治8年(1875年)8月21日 - 滋賀県の管轄となる。
- 明治11年(1878年) - 鋳物師村・松中村・今浜村が合併して松島村となる。(1町54村20浦)
- 明治12年(1879年)5月16日 - 郡区町村編制法の滋賀県での施行により、行政区画としての敦賀郡が発足。郡役所を敦賀町に設置。
- 明治13年(1880年) - 刀根村の一部(枝郷杉箸村)が分立して杉箸村となる。(1町55村20浦)
- 明治14年(1881年)(1町57村20浦)
- 明治18年(1885年) - 菅谷村の所属郡が南条郡に変更。(1町56村20浦)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。全域が現・敦賀市。(1町6村)
- 敦賀町 ← 敦賀町[4]、泉村、津内村、三島村
- 東浦村 ← 田結浦、赤崎浦、江良浦、五幡浦、挙野浦、阿曽浦、杉津浦、横浜浦、大比田浦、元比田浦
- 東郷村 ← 谷村、高野村、中村、舞崎村、余座村、井川村、大蔵村、谷口村、樫曲村、池河内村、獺河内村、越坂村、田尻村、葉原村、新保村
- 愛発村 ← 市橋村、疋田村、追分村、駄口村、山中村、奥野村、曽々木村、新道村、麻生口村、奥麻生村、刀根村、杉箸村
- 中郷村 ← 長沢村、古田苅村、堂村、山泉村、道ノ口村、坂ノ下村、吉河村、鳩原村、小河口村、小河村
- 粟野村 ← 野神村、市野々村[5]、櫛林村、莇生野村、金山村、関村[5]、野坂村、長谷村、山村、御名村、砂流村、公文名村、和久野村
- 松原村 ← 沓見村、木崎村、櫛川村、松島村、原村、二村浦、名子浦、縄間浦、常宮浦、沓浦、手ノ浦、色ヶ浜浦、浦底浦、立石浦、白木浦
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和12年(1937年)4月1日 - 敦賀町・松原村が合併して敦賀市が発足し、郡より離脱。(5村)
- 昭和30年(1955年)1月15日 - 愛発村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村が敦賀市に編入。同日敦賀郡消滅。
変遷表
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 18 福井県
- 旧高旧領取調帳データベース