振り飛車穴熊
振り飛車穴熊は将棋の戦法の1つ。主に居飛車対振り飛車の将棋で角道を止める振り飛車が穴熊を志向する作戦を指す。また、相振り飛車でも用いられる。
概要と歴史
穴熊囲いは、その原型こそ古くからあったが、バランスが悪く駒組みに手数がかかるとして敬遠されてきた。しかし、昭和に入り居飛車が玉頭位取りを用いるようになると、それまで用いられてきた美濃囲いでは居飛車陣からの圧力に対し玉が近すぎるという欠点があった。そこで、美濃囲いより玉が深くて遠く、位取りの圧力を緩和出来る穴熊が注目されるようになった[1]。
昭和50年代に入ると穴熊の特性を活かした戦術が磨かれ対位取りだけではなく幅広く用いられるようになり、大内延介・西村一義ら穴熊党が活躍したことで人気戦法の地位を確立した[2]。また福崎文吾も振り飛車穴熊を得意とし、谷川浩司をして「感覚を破壊された」とまで言わしめた[3]。しかし、その隆盛と共に居飛車側の対策も進化し、左美濃からの銀冠と居飛車穴熊が有力であることが分かり、いずれも居飛車の勝率が高くなったので衰退した[4]。
2012年7月現在のプロ棋界では広瀬章人が四間飛車穴熊を愛用し、振り飛車穴熊の定跡の発展に貢献している。
対居飛車の振り飛車穴熊
対急戦
居飛車側が振り飛車が完全な穴熊に組みきらないうちに急戦を試みるのも1つの作戦である。振り飛車側としては「低く構えて捌く」というのが大事な指針で、多少の駒損でも大駒が捌ければ玉の堅さ・遠さを活かすことが出来る為[5]、振り飛車穴熊の勝率が良い[6]。左銀を角頭を狙われるまでは2段目に置くのがコツで、4五歩早仕掛けを警戒し▲6五歩と角交換から捌く手を切り札にする[7]。また飛車を袖飛車に振り直し、居飛車の舟囲いの弱点である玉頭の薄さを突くのも場合によっては有力である[8]。近年では急戦策はあまり得策とされておらず、加藤一二三などが指す程度である[9]。
対銀冠
振り飛車穴熊への銀冠は中原誠・森下卓・佐藤秀司らが得意としている。玉頭の厚みと駒の連結の良さで優れた銀冠は飛車交換をするだけのような単純な攻めに強く、振り飛車穴熊の玉頭にも圧力をかけることが出来[10]、△2五歩〜△2四角と活用して振り飛車の攻撃陣を牽制することも出来る。振り飛車側がこれらの抑え込みを破るのは容易でなく居飛車からの攻撃手段も豊富であるが、居飛車が銀冠を築く為に角道さえ止めれば▲6五歩と突くことが出来(角交換から飛車先を破られる筋がない為)▲6六銀~▲5五歩といった攻撃陣を敷くことが出来、手には困らない[11]。しかし、居飛車が角道を止める手を保留した場合にどう手を作るかが課題で、袖飛車への転換[12]や4筋の位を取って左金を攻めに活用するなどの手段がある[13]。金を繰り出す筋を残す為、また△2四角の筋に備える為に左金は▲4六歩~▲4七金と活用しなければならず(▲3八金寄と引き寄せると作戦負け)[14]△2五歩からの玉頭攻めに▲3七金寄を作るのが急所である。また、居飛車が銀冠から穴熊に組み換えるのも有力で[15]、振り飛車は袖飛車で対抗する[16]。
相穴熊
居飛車穴熊は現代では対振り飛車に最も用いられる作戦であり対振り飛車穴熊にも最有力とされ、現代ではプロ間でも振り飛車穴熊対策として最も指されている戦型である。平凡に指し進めては居飛車有利が定説で(飛車先を伸ばしている為居飛車が主導権を握りやすい)振り飛車側は常に工夫が求められる。この戦型では四間飛車か三間飛車・中飛車かの違いが如実に現れる。それは、四間飛車の場合飛車が邪魔して左銀を6八~5七~4六と穴熊に効率良く引きつけることが出来ない為である[17]。その為左銀は腰掛け銀の形を急いで▲4五銀~▲3四銀を見せて居飛車に△4四歩乃至は△4四銀と受けさせて角道を止めさせるのが急所[18]。その後は右四間飛車模様にし、4筋に争点を求める[19]。また、5筋から手を作るのも1つの作戦で、その場合金を4八と4九に並べるのが5筋でのと金攻めに備えた形で広瀬章人が創案したことから広瀬流と呼ばれる[20]。
三間飛車穴熊・中飛車穴熊では左銀を4六に活用したあと袖飛車から攻める筋がある他[21]、後手番なら△6四銀~△4五歩から四間飛車に転じ、千日手含みで指す矢倉流が有力で[22]、矢倉規広により体系化され渡辺明らが用いている。
その他の形から
角交換四間飛車に穴熊を組み合わせた形は通称レグスペと呼ばれ、藤井猛が多用している。また、ゴキゲン中飛車に於いて居飛車が穴熊を目指した場合は相穴熊にするのが主流で、袖飛車を含みに駒組みを進める[23]。
相振り飛車の穴熊
相振り飛車に於いては従来は金無双が主流であったが、美濃囲いや矢倉囲いの登場による囲いの多様化の一環として現れた。金無双から端に速攻を受けた場合は弱いが、矢倉などに対しては持ち前の堅さを活かして存分に暴れることが出来るのが特長。戸辺誠は相振り三間飛車から穴熊に囲い、相手の攻撃陣を責めるB面攻撃を得意としている[24]。
脚注
参考文献
- 小倉久史 『下町流三間飛車の極意』 毎日コミュニケーションズ 2006年
- 『将棋世界2011年4月号』 日本将棋連盟 2011年
- 『将棋世界2012年7月号』 日本将棋連盟 2012年
- 『将棋世界2012年8月号』 日本将棋連盟 2012年
- 先崎学 『ホントに勝てる穴熊』 河出書房新社 2003年
- 遠山雄亮 『遠山流中飛車持久戦ガイド』 毎日コミュニケーションズ 2009年
- 戸辺誠 『戸辺流相振りなんでも三間飛車』 毎日コミュニケーションズ 2009年
- 広瀬章人 『四間飛車穴熊の急所』 浅川書房 2011年
- 広瀬章人 『四間飛車穴熊の急所・2(相穴熊編)』 浅川書房 2012年
- 藤井猛 『現代に生きる大山振り飛車』 日本将棋連盟 2006年
関連項目
テンプレート:Shogi-stub- ↑ 『現代に生きる大山振り飛車』p.134を参照。
- ↑ 『現代に生きる大山振り飛車』p.136を参照。
- ↑ 『将棋世界2012年8月号』p.142を参照。
- ↑ 特に「相穴熊(居飛車対振り飛車穴熊)は居飛車必勝」とされ、勝率も居飛車側が圧倒していた時期が長かった。『現代に生きる大山振り飛車』p.137を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所』p.15を参照。
- ↑ 『現代に生きる大山振り飛車』p.136を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所』p.28を参照。
- ↑ 『ホントに勝てる穴熊』p.140を参照。
- ↑ 最も加藤自身は自信を持って指しているようである。『将棋世界2012年7月号』p.101を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所』p.12を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所』p.126を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所』p.158を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所』p.176を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所』p.123,137を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所・2(相穴熊編)』p.8を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所・2(相穴熊編)』p.10を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所・2(相穴熊編)』p.103を参照
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所・2(相穴熊編)』p.101を参照。
- ↑ 『四間飛車穴熊の急所・2(相穴熊編)』p.101を参照。
- ↑ 『将棋世界2011年4月号』p.138を参照。
- ↑ 『下町流三間飛車の極意』p.126を参照。
- ↑ 『下町流三間飛車の極意』p.135を参照。
- ↑ 『遠山流中飛車持久戦ガイド』p.124を参照。
- ↑ 『戸辺流相振りなんでも三間飛車』を参照