寺田学
テンプレート:日本の国会議員 寺田 学(てらた まなぶ、1976年9月20日 - )は、日本の政治家。
衆議院議員(3期)、内閣総理大臣補佐官(菅内閣・菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)を務めた。
父は参議院議員で元秋田県知事の寺田典城。父型の祖父は元秋田県議会議員の小原徹二、母方の祖父は元秋田県議会議員の寺田栄四郎。
来歴
秋田県横手市生まれ。秋田県立横手高等学校普通科、中央大学経済学部卒業。大学卒業後、三菱商事に入社。
2003年、第43回衆議院議員総選挙に秋田1区から民主党公認で出馬し、保守新党の前職佐藤敬夫、無所属の石川錬治郎らを破り、初当選。2004年、民主党秋田県連代表に就任(~2009年)。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では小泉旋風に乗る自由民主党の二田孝治を約9千票差で下し、再選(二田も比例復活)。この総選挙で民主党は大敗し、代表の岡田克也が辞任。岡田の後継を選出する民主党代表選挙では菅直人の推薦人、選挙対策本部事務局長を務めるも、菅は2票差で前原誠司に敗れた。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、秋田1区で3万票超の大差をつけ、二田に比例復活すら許さず3選。同年11月、鳩山由紀夫内閣の下で設置された行政刷新会議の「事業仕分け」第1弾で、第1ワーキンググループ(総務省・国土交通省関連)の主査(リーダー)を務める。同年11月の民主党秋田県連代表選挙には出馬せず、新代表に就いた参議院議員の松浦大悟の下で県連幹事長に就任。
2010年5月、普天間基地移設問題をめぐり首相の鳩山由紀夫が辞任。後任の菅直人の下で、内閣総理大臣補佐官(国家戦略・行政刷新担当)及び副幹事長に起用。
2011年3月26日、福島第一原子力発電所事故への対応に馬淵澄夫が内閣総理大臣補佐官に起用され、内閣法による補佐官の定員5人を越えたため、内閣総理大臣補佐官を退任。
2012年2月10日、復興庁発足に伴う復興大臣等の人事が行われ、再び内閣総理大臣補佐官(行政改革及び社会保障・税一体改革等担当)に起用された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、秋田1区で自民党新人の富樫博之に敗れ、比例復活もならず落選。
2013年3月15日、秋田市長選挙に出馬する意向を表明。秋田市長選出馬に伴い民主党を離党し無所属で立候補したが[1]、現職の穂積志に敗れ、落選[2]。
政策・主張
- 永住外国人への地方選挙権付与にどちらかと言えば賛成[3]。
- 2005年10月19日、中華全国婦人連合会との会談で、首相の小泉純一郎による靖国神社参拝問題を「日本の男性は保守的なところがまだあり、そういう意味で小泉首相も一員ではないか」と述べ、近隣諸国への配慮ができない象徴ではないかと見解を示した[4]。
- 2006年5月23日、国立国会図書館法の一部を改正する法律案を提出した[5]。
- 2010年5月21日、公益法人などが対象の事業仕分け第2弾後半の作業で、宝くじ関連の公益法人3団体が行っている4事業について、「廃止」と判定した。そのうえで、「総務相は、無駄な広報宣伝事業などの問題が解決するまでは、宝くじ販売を認めるべきではない」と発言し取りまとめた。この発言に対して産経新聞のコラム産経抄は「総務省OBの天下り役員に2千万円前後の給与が払われているのも問題だが大人気ない」としている[6]。また、「地方の自由だろ!」「宝くじを買う楽しみを奪うな!」[7]などの声が上がった。この宝くじ発売中止取りまとめに対して行政刷新大臣の枝野幸男や総務大臣の原口一博が直ちに発売をやめる考えはないと発表したことに対し、寺田は「問題点は明確なので直ちに改革案を出して(もらって)、今までどおり宝くじが皆さんの楽しみのために使われる形にもって行きたい」と語った[8]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[9]。
不祥事
- 2005年の第44回衆議院議員総選挙で、選挙カーへの給油実態のない横手市のガソリン業者に対して、公費としてガソリン代の支払いを行った。このことに関して、総務省は「不適切」との見解を示した[10]。
- 2004年に政治家の年金未納問題が注目された際に国民年金の未納が判明している(中央大学在学中の1999年から2001年まで)[11]。
人物
- 民主党在籍時は菅直人の最側近の一人であり、菅が会長を務める国のかたち研究会に所属していた[12][13][14]。
- 公式ホームページのプロフィール欄で、「尊敬する人物」に吉田茂を挙げていたが、麻生内閣が発足した2008年頃に後藤田正晴に書き換えた(麻生太郎は吉田茂の孫にあたる)。
- 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、政見放送の中のスタジオ外収録映像で「まず党を選んでほしい。そして、その党の候補者として自分がふさわしいかを見てほしい」と述べた。また、選挙カーによる名前の連呼を一切行わずに、選挙区内のほぼ全域で小規模な集会を開催するという独自の手法で選挙戦を戦った。選挙ポスターは顔写真の面積を小さくし、集会のスケジュールを詳しく掲載した。
その他
- 2003年8月、寺田は民主党秋田県連が募集した第43回衆議院議員総選挙の候補者公募に応募し、秋田1区での公認が内定した。しかし、日本労働組合総連合会(連合)秋田がこの決定に疑問を呈し、寺田は県連への不信感を表明。一旦は公認を辞退する構えを見せたが、この騒動の責任を取る形で秋田県連の三役が更迭され、県連は執行部を刷新。同年の総選挙で寺田は民主党の公認を受け、秋田1区で初当選した。
- 2009年4月、父・寺田典城の引退に伴う秋田県知事選挙では、民主党秋田県連は元秋田県小坂町長の川口博を擁立するが、社会民主党や連合がこれに反発[15]。社民党は自民党が擁立した元秋田市長の佐竹敬久を支持し、佐竹が当選した。
- 2009年7月、知事選で同県連が擁立・支持した前小坂町長の川口博を秋田2区の総選挙に擁立するため、民主党秋田県連の総務会長[16]や同県連2区常任幹事13人中12人[17]が集団離党する事態に発展した。
- 2009年7月、秋田県選挙区選出参議院議員で無所属(会派は民主党・新緑風会)の鈴木陽悦が民主党への入党を希望したが、秋田県連代表だった寺田が難色を示し、結局鈴木の入党が8月の第45回衆議院議員総選挙後まで保留された。寺田のこの対応に対し、鈴木がブログで寺田を批判。寺田も自身のブログで[18]鈴木の批判に反論した。
脚注
関連項目
外部リンク
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
原陽子
|style="width:40%; text-align:center"|最年少衆議院議員
2003年 - 2005年
|style="width:30%"|次代:
杉村太蔵
- ↑ テンプレート:Cite news テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
- ↑ 民主党ホームページ:党男女共同参画委員会、中華全国婦人連合会の表敬受け意見交換 [1]
- ↑ 国立国会図書館法の一部を改正する法律案(平成十八年五月二十三日提出)
- ↑ 【産経抄】5月23日
- ↑ 2010/5/21(金)「総務省の流儀」
- ↑ イケメン仕分け人・寺田学議員「宝くじはこれからも楽しんでいただく」
- ↑ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
- ↑ 「公費請求は不適切」と総務省 民主・寺田議員のガソリン代 - 2008/04/01 08:31 【秋田魁新報】[2]
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 中国新聞 (2010/12/30) 「首相の会食、身内ばっかり 「情報不足」に拍車」 [3]
- ↑ 首相夕食「身内」と息抜き 1位は補佐官、次いで夫人(東京新聞 2010年12月8日 朝刊)
- ↑ 読売新聞 2010年12月8日10時02分「情報過疎の一因?首相、面会・会食は側近ばかり」 [4]
- ↑ 社民と連合「佐竹氏支援」、知事選 民主との三者共闘崩壊 2009/03/04 08:30 【秋田魁新報】[5]
- ↑ 民主県連・虻川総務会長が離党 「川口氏擁立したい」 - 2009/07/09 09:38 【秋田魁新報】[6]
- ↑ 民主、川口氏支援へ集団離党 秋田2区、共闘は事実上崩壊 - 秋田のニュース - 都道府県別 - 47NEWS(よんななニュース) [7]
- ↑ manabu.jp「日々徒然日記」