パラシュート

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ファイル:USMC Paratrooper.jpg
パラシュートで降下するアメリカの空挺歩兵
ファイル:Static jump.jpg
パラシュート降下の瞬間
ファイル:Type60 parachute.JPG
陸上自衛隊60式空挺傘手前の主傘を背負い、奥の予備傘を身体前部に装着する。
ファイル:NASA Space Shuttle Discovery STS-92.jpg
ドラッグシュートを用いたスペースシャトルの着陸
ファイル:Conical Parachute, 1470s, British Museum Add. MSS 34,113, fol. 200v.jpg
イタリアの無名人士による最古のパラシュート図版(1470年)

パラシュートテンプレート:Lang-fr-short)は、のような形状で空気を受けて速度を制御するもの。この言葉はイタリア語の「守る」 (parare) とフランス語の「落ちる」 (chute) を組み合わせた造語である。落下傘(らっかさん)という和訳語も存在する。

解説

パラシュートは、飛行する航空機からの脱出や地上・海上施設への降下、スカイダイビングの最終行程などに使用される。初期のパラシュートは製で、これは湿ると重くなる上に、開かない事故がよく起こった。現在はナイロンなどの化学繊維製である。

また、パラシュートの古典的なマッシュルーム型は、その形状からキャノピーが潰れにくく安定している代わりに、コントロール性は劣る(特に着地時の衝撃が建物の2階からパラシュートなしで土の地面に飛び降りたときとほぼ同じ衝撃が来るため、受身を取るような着地をしないと怪我をしてしまう)。エアスポーツで定番となったラムエアータイプのパラシュートは、断面が翼のようになっており、滑空性能やコントロール性に優れるが、前述のマッシュルーム型と比較すると、キャノピーが潰れやすいという特性がある。

ドラッグレーススペースシャトル戦闘機の減速などにも同様の形状のものが用いられているが、これらは減速のみに用いるため、ドラッグシュート(Drag chute、制動傘)と呼ばれる。

ドローグシュート(Drogue chute)という小型の傘は、メインパラシュート(主傘)の展開前の姿勢制御(姿勢が安定していないとメインパラシュートの索が絡まって巧く展開しないため)と、予備減速(高速時にいきなりメインパラシュートを開くと裂けて破損するため)と、メインパラシュートを収納部から引き出すために使われる。

なおパラシュート降下は、そのための訓練を積んだ者でないと実行は困難である。日本では航空法第90条で法的にも禁止されている。民間旅客機においてパラシュートを装備しないのは、そのためである。そういう事情を知らない素人が、航空機事故が発生した時に、旅客機には乗客分のパラシュートを常備すべきと主張する例が見られるが、法改正や、航空会社が実行する動きは全くない。

歴史

パラシュートと類似した道具については中世から、いくつかの記録が残っている。852年アンダルシアのアルメン・フィルマン (en:Armen Firmanアッバース・イブン・フィルナスも参照) がスペインコルドバから、木枠で補強した外套を使って飛び降り、軽傷だけで無事着地したという。1178年にあるムスリムコンスタンティノポリスの塔から同じように飛び降りたとしているが、重傷を負い、そのケガが元で亡くなっている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ1485年ごろにミラノで書き留めたパラシュートのスケッチが残っており、パラシュートを発明したとする説が多い。しかし、歴史家リン・タウンゼンド・ホワイト・ジュニア (en) によると1470年ごろにイタリアで無名の人物によって書かれたと推定される書類に2つのパラシュートの図面が残されており、そのうちの1つはダ・ヴィンチのそれに類似している。1617年ヴェネツィアクロアチア人発明家、ファウスト・ヴランチッチ(ファウスト・ヴェランツィオ、en)が、ダ・ヴィンチのパラシュートを作成し、実験を行っている。

その後、必要性がなかったため長らく忘れ去られていたが、1783年フランス人ルノルマンがパラシュートを再発明し、彼の手によってパラシュートという名前が提案され、定着することになる。2年後の1785年ブランシャールがパラシュートを使えば、熱気球から安全に飛び降りられることを実験で証明した。実験は犬を使って行われたが1793年にブランシャール本人が搭乗していた熱気球が破裂した際に、実際に自分で試すことになり、無事脱出に成功している。

しかしながら、この頃のパラシュートは木枠の上にリネンを張ったものが使われており、重くかさばり、実用性に乏しいものであった。また気球も墜落の際に重航空機のように急落下する例は少なく、徐々に高度を落としていく場合がほとんどであり、パラシュートが必要な機会は少なかった。

1790年代にブランシャールはより軽く強靭な絹布で試作を始めた。1797年ガルヌランが新しい絹製のパラシュートで降下を行っている。また、ガルヌランは、パラシュートに排気弁を取り付け安定した降下を行えるよう再設計している。1911年グレープ・コテルニコフが背負い型のパラシュートを発明した。ヘルマン・ラテマン (de) とケーテ・パオルス (de) は気球からのジャンプをおこなった。

この実験に触発されたのが、ベンジャミン・フランクリンである。彼は、パラシュートの軍事利用を思いつき、「1万人の兵士が空から降下してきたら、相当な驚異になるはずだ。」と提言した。

1912年3月1日アメリカ陸軍大尉、アルバート・ベリーがミズーリ州上空で初めて飛行機からのパラシュートを使用しての降下を行っている。1913年スロヴァキア人のステファン・バニッチ (en) が初めて近代的なパラシュートの特許を取得している。

1922年10月20日アメリカ陸軍航空隊のパイロット、ハロルド・ロス・ハリス中尉のローニング戦闘機オハイオ州上空で補助翼の急激な操作により空中分解を起こした。高度 800 m で空中に投げだされた中尉はアービング式手動開傘式パラシュートで無事に生還し、これがアメリカ初のパラシュートによる非常脱出、世界初の重航空機からのパラシュート脱出となった。当時、各国のパイロット達はパラシュートの携行を嫌っていたが、この事故をきっかけに認識が変わり、翌年にはアメリカ陸軍航空隊において飛行機に搭乗する際のパラシュートの携行が義務付けられた。なお、日本でのパラシュートでの降下第一号は、空中分解事故で1928年6月に三菱IMF2試作機から脱出した中尾純利

関連項目

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