ドーハ

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ドーハ英語Dohaアラビア語الدوحة al-Dawha)は、カタール首都

カタール半島東海岸のペルシア湾に面した港町で、カタール最大の都市。中東有数の世界都市である。人口は400,051人(2005年)で、カタールの人口の80%がドーハ都市圏に住んでいる。

歴史

町は1825年に「アル・ビーダ (Al-Bida)」という名で設立された。後のダーハの市名は、アラビア語で「大きな木」の意味で、カタール半島の東海岸の漁村(今日のドーハの元になった)にあった大木に由来する。1825年アブダビに支援されたバーレーンとの戦争で、新しい町は大きな損害を受けた。その翌年、オスマン帝国サーニー・ビン・ムハンマドをシェイク(シャイフ)に任命、後にカタールの首長(ハキム)になる。1882年には市の南西部に砦が建設され、その翌年にはオスマン帝国との武力衝突に勝利した。

1916年にはイギリスのカタール保護領の首都となった。1917年アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーによって市の中心部に要塞が築かれた。20世紀初頭まで真珠と漁業が主な産業であったが、1930年代日本で真珠の養殖が開発されると、カタールの真珠産業は壊滅、不況で飢餓まで起こった。

1949年より石油の輸出を行うようになり、1971年には独立に伴い、カタールの首都となった。

1996年には衛星テレビアルジャジーラが放送を開始した。2001年には世界貿易機関 (WTO) の第4回閣僚会議が行われ、ドーハ宣言が採択された(ドーハラウンド)。2006年にはアジア競技大会が過去最大の規模で開催された。

人口構成

外国人が大多数で、特にインドパキスタンバングラデシュフィリピンからの労働者が多い。レバント諸国や北アフリカからも多い。現在ではカタールの市民権を有さないものでもドーハに不動産を購入できるようになった。そのため、人口が急増中で、毎月、1万を優に越える人口増加が起きており、住宅不足が深刻な問題になっている。ドーハ都市圏が数年以内に100万人を越えるのは時間の問題である。

気候

砂漠気候に属し、6月から8月の平均最高気温は40°Cを越える。 テンプレート:Infobox Weather

経済

カタール経済の中心であるドーハの主な産業は石油産業と天然ガス産業である。カタール最大の石油「カタール石油 (Qatar Petrolium)」、ガス会社「ラスガス (RasGas)」など、多くの会社がドーハに本社を持つ。カタール政府は石油ガス依存からの脱却を目指し、産業の多角化を奨励している。その結果、首長ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー本人による都市近代化事業が進んでいる。

ドーハはアラブ首長国連邦ドバイのように観光産業が主眼ではなく、文化・教育・放送面に力を入れている。

再開発

市内各地で大型開発が行われている。主なものは、

  • ドバイ・タワーズ・ドーハ:437mの超高層ビル。2013年完成予定。
  • アスパイア・タワー:318mのホテルやスポーツ施設を中心とするビル
  • ザ・パール:ドーハのウエスト・ベイ・ラグーンの350m沖合いの巨大人工島施設。マリーナや15,000人が居住する島となる。2010年完成。
  • ルセール:ルセール (Lusail) はドーハの中心部から15km北、ウエスト・ベイ・ラグーンに隣接の新都心で、20万人が生活する住宅やマリーナ、高級ショッピング街ほかゴルフコースやテーマパークもある。2010年に町開きする。

教育

ドーハには1973年創立のカタール大学 (University of Qatar) がある。エデュケーション・シティーという地域には、カタール大学を含む多くの大学がキャンパスを持つ。ジョージタウン大学カーネギーメロン大学等のアメリカの6つの有名大学もここにキャンパスを持つ。また研究機関も集積している。

またドーハには海外駐在員の子女の教育のためのインターナショナル・スクールも多い。

教育はカタール政府が大変力を入れている分野で、エデュケーション・シティーを運営するカタール財団が設立されている。

スポーツ

交通

メディア

カタールの衛星テレビアルジャジーラの本社がある。

関連項目

外部リンク

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