イスラム教徒ミンダナオ自治地域
テンプレート:Infobox settlement イスラム教徒ミンダナオ自治地域(テンプレート:Lang-en, テンプレート:Lang-tl)は、フィリピンのミンダナオ島西部にあるムスリム(イスラム教徒)の自治区域。旧西ミンダナオ地方(Western Mindanao, Region IX)のバシラン島と旧中部ミンダナオ地方(Central Mindanao, Region XII)の一部から1990年11月6日に設立された地方である。中心都市はコタバト市(Cotabato City)であるが、この都市自体はソクサージェン地方の一部である。
この地方は、フィリピンの地方の中では唯一、独自の「政府」を持っている。またキリスト教国のフィリピンの中では独特の歴史・文化を持っているが、経済的には最も貧しく、治安も安定していない[1]。
ミンダナオ島やスールー諸島のムスリム諸民族(ミンダナオ島のマギンダナオ人やマラナオ人、スールー諸島のタウスグ人など)はモロ(モロ人)と総称され、その地はテンプレート:仮リンク(Bangsamoro、モロランド)と呼ばれている。
州
地域の歴史と概要
テンプレート:Seealso フィリピンの歴史において、ミンダナオ島、特に西部地区は他の地域とは異なった国家を長年にわたり構えており、独自の文化とアイデンティティを育んできた。スペイン人によるフィリピンの植民地化は1565年にセブ島より始まっているが、ミンダナオ島西部はそれに先立つ15世紀以来イスラム教の盛んな地方となっていた。
1380年、スールー諸島の西端にあるタウィタウィ島にアラブ人のイスラム教伝道師が到来し、以来先住民のイスラム教への改宗が進んだ。1457年にはスールー王国が成立、その後ミンダナオ島本土にマギンダナオ王国やブアヤン王国が誕生し、フィリピン北部や中部の部族にもイスラム教は広がったが、16世紀後半以降ミンダナオ島以外はスペインに征服された。
フィリピンの大部分がスペインの植民地だった時代もミンダナオ島西部のスルタンたちは独立を保ち、繰り返されるスペイン人の侵入を防ぎ、ミンダナオ島北岸にスペイン人が築いた植民都市に対する反撃や征服を行ったが、19世紀後半に至りスペインの支配下に置かれ、最後に残ったスールー王国もスペインによる主権を認めた。しかしこの後もスペイン人による統治は完全なものではなく、米西戦争の結果スペインがフィリピンを放棄するまで、植民地支配の及ぶ範囲は軍隊の駐屯地やサンボアンガやコタバトといった都市部に限られた。米比戦争の時期はモロの反乱が起きたが、最終的に1910年代にアメリカ軍に制圧され、次第にフィリピン他地域同様の統治が行われるようになった。またアメリカ植民地政府やフィリピン・コモンウェルスの下で、ミンダナオ島全体にルソン島やヴィサヤ諸島のキリスト教徒が入植し、ムスリムはミンダナオでも少数派となっていった。
第二次世界大戦後フィリピンが独立すると、フィリピン政府は国民を統合し単一国家を作ることを目指したが、慣習的なムスリム法のもとで暮らしてきたこの地のモロ人たちはこれを同化政策と見て反発した。1950年代後半からフィリピン政府はムスリムの地域共同体との折衝を図る組織や委員会を設立し、一夫多妻や離婚を禁ずるフィリピンの法律がモロ人には適用されない合意がなされたがこれは表面的なものであった。イスラム教徒とキリスト教徒との軋轢は続き、1970年代からはフィリピンからの分離独立を求めるモロ民族解放戦線(MNLF)とフィリピン国軍との間の武力衝突が続発した。
1986年のエドゥサ革命で、ミンダナオへのキリスト教徒の移民を推進しMNLFとの内戦を行ったマルコス政権が倒れた後、フィリピン政府はムスリム共同体との話し合いやMNLFとの和平協議を進め、1989年に「自治基本法」(Organic Act、Republic Act No. 6734)が成立しミンダナオにムスリム自治区を設ける憲法上の根拠ができた。政治的対立や混乱の中、ミンダナオ島西部・南部一帯の州と市で、新設される「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」(ARMM)への加入に賛成するかどうかの住民投票が行われた(バシラン州、コタバト州、ダバオ・デル・スル州、ラナオ・デル・ノルテ州、ラナオ・デル・スル州、マギンダナオ州、パラワン州、南コタバト州、スルタン・クダラット州、スールー州、タウィタウィ州、サンボアンガ・デル・ノルテ州、サンボアンガ・デル・スル州の13州、コタバト、ダピタン、ディポログ、ゼネラル・サントス、イリガン、マラウィ、パガディアン、プエルト・プリンセサ、サンボアンガの9市)。
しかしARMMへの加入に賛成多数だったのはラナオ・デル・スル州、マギンダナオ州、スールー州、タウィタウィ州の4州だけであった。不完全な自治にすぎないというMNLFによる反発の中、ARMMはこの4州だけで1990年11月6日に発足した。式典は自治地域の首都とされたコタバト市で行われた。
2001年、以前の住民投票でARMM入りを否決した州や市へARMMを拡大するための新法が成立したが、マラウィ市とバシラン州(イサベラ市を除く)だけがARMM入りを希望した。また2006年11月、マギンダナオ州北部からシャリフ・カブンスアン州が分離し発足したが、2008年に最高裁によりARMMには州や市を新設する権限がないとされ州創設は無効となった[2]。
関連項目
- ヌル・ミスアリ: 自治地域を基盤とするモロ民族解放戦線出身の政治家
- テンプレート:仮リンク
- バンサモロ共和国
- フィリピンのイスラム教