アシガバート
テンプレート:世界の市 アシガバート(トルクメン語:Aşgabat、ペルシア語:عشق آباد, Ešq-âbâd、ロシア語:Ашхабад, Ashkhabad、英語:AshgabatまたはAshkhabad)は、トルクメニスタンの首都。1919年から1927年の間はポルトラツク(Полторацк, Poltoratsk)という名であった。
コペトダグ山脈とカラクム砂漠の間にあり、主要産業はガラス製造、ぶどう酒醸造、綿織物業など。現在の人口は695,300人(2001年)。周囲をアハル州に囲まれているが、アシガバート市単独で州と同格の地位にあり、行政上はいかなる州にも属さない。
市の名前
アシガバートの名前の由来を遡ればペルシア語に行き着く。ペルシア語のAshkはアルサケス朝を意味し、ペルシア語の接尾辞ābādは「都市」を意味することから、「アルサケスの町」となる。
また、アラビア語系の語彙でAshqが「愛」を意味することから、市名は「愛の町」という意味であると解する説もある。
日本語でのカタカナ表記は、アシガバード、アシガバット、アシハバード、アシハバットなどがある。
歴史
かつてはワインで知られたコンジカラ (Konjikala) という町があったが、紀元前2世紀の大地震で廃墟となっていた。アルサケス朝パルティアのミトラダテス1世によってニサが作られシルクロードの交易で栄えたが、13世紀にモンゴルの襲来で破壊された後、小さな村のままであった。
1818年、ロシア人がアシハバードという町を作った。1869年に要塞が造られると、商人や職人が集い発展が始まる。テンプレート:仮リンク(テンプレート:Lang-en、アハル・テケ・トルクメン人)とロシア帝国との2度の戦争(1879年のテンプレート:仮リンク、1880年から1881年にテンプレート:仮リンク)がアシガバート近郊のGeok Tepe要塞で勃発し、1881年にテンプレート:仮リンク(Treaty of Akhal)でガージャール朝イランは、この地をロシアに割譲する。ロシアは英国との外交戦争から、戦略的に重要なこの町を開発、西洋風な町並みが作られ、ザカスピ州の行政の中心地となる。
1917年、赤軍が、アシハバートを掌握、翌年、イギリス軍と白軍の連合軍に奪われるが、1919年に奪回し、市名をポルトラツクとする。トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の主要な都市の1つとなる。 1925年、トルクメン・ソビエト社会主義共和国が誕生すると、その首都となる。1927年にアシハバードの名に戻る。 1948年10月6日に大地震(1948 Ashgabat earthquake)に見舞われる。この震災で市の人口の3分の2を失う。
1991年、独立とともにアシガバートの名となる。
気候
ケッペンの気候区分では、砂漠気候である。夏は日中の気温が40度を超え非常に暑くなり、7月の平均気温は31.2℃となるが降水はほとんどない。冬は寒く、1月の平均気温は2.5℃。年平均気温は16.6℃である。最高気温極値は1995年6月の46.7℃、最低気温極値は1969年1月の-24.1℃である。 テンプレート:-テンプレート:Infobox Weather
交通
空港
- アシガバート空港(サパルムラト・トルクメンバシュ空港)が市の北西10kmにある。
鉄道
- カスピ海横断鉄道の中心駅の1つである。
観光
- 近郊にあるテンプレート:仮リンクは、紀元前3000年記から紀元前1600年までバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)の遺跡である。
- テンプレート:仮リンクがアシガバートから100kmのイラン国境近くにある(BMAC)。
- 古代のパルティアの都、ニサ遺跡(世界遺産)がアシガバートの南西15kmの荒野にある。
- ニュートラリティ・アーチ(中立のアーチ)は、トルクメニスタンの永世中立を記念した高さ75mのアーチであるが、頂上に立つ初代大統領サパルムラト・ニヤゾフの金メッキの像で有名である。像は24時間360度回転しており、昼間は常に陽が差すようにしている。
- 教育機関では、トルクメン総合大学、トルクメン=トルコ国際大学などの高等教育機関がある。