北青山
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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 北青山(きたあおやま)は東京都港区の地名。現行行政町名で北青山一丁目から北青山三丁目までが設置されている。赤坂地区総合支所管内に属する。
地理
港区の最西端に位置する。山の手地域である。北から順に北青山一丁目・北青山二丁目・北青山三丁目となっている。東西に長い区域で、青山地域のうち国道246号(青山通り)以西が北青山に該当する。
歴史
江戸の街外れとして大名の下屋敷、庶民の町屋、雑木林などが広がる地域であった。
地名の由来
徳川家康の重臣であった青山家の広大な下屋敷にちなみ、この付近一帯の町名に青山を冠した(赤坂青山○○町)ことが地名の起こりである。
沿革
- 1878年(明治11年)11月2日 - 大区小区制廃止により、東京府赤坂区の一部となる。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 市制施行により、東京府東京市赤坂区の一部となる。
- 1918年(大正7年)8月 - 女子学習院(後の学習院女子大学)が置かれる。
- 1938年(昭和13年)11月18日 - 東京高速鉄道(後の東京メトロ銀座線)の青山六丁目駅(後の表参道駅)、外苑前駅および青山一丁目駅が開業する。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により、東京都赤坂区の一部となる。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 東京都港区の一部となる。
- 4月 - 秩父宮ラグビー場が女子学習院跡地に開場する。
- 1953年(昭和28年) - 日本初のスーパーマーケット紀ノ国屋が開店する。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 港区立青山中学校が、陸軍大学校跡地へ移転する。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 住居表示を施行し、一丁目から三丁目を新設[1]。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(特記なければ各町名ともその全域) |
---|---|---|
北青山一丁目 | 1966年10月1日 | 赤坂青山六軒町、赤坂青山三筋町一丁目、赤坂青山三筋町二丁目、赤坂青山北町一丁目、赤坂青山北町二丁目(一部) |
北青山二丁目 | 赤坂青山北町二丁目(一部)、赤坂青山北町三丁目、赤坂青山北町四丁目、原宿一丁目 | |
北青山三丁目 | 赤坂青山北町五丁目、赤坂青山北町六丁目 |
交通
鉄道
路線バス
道路
- 国道246号(青山通り)
- 東京都道319号環状三号線(外苑東通り)
- 東京都道412号霞ヶ関渋谷線(骨董通り)
- 東京都道413号赤坂杉並線(表参道通り)
- 東京都道414号四谷角筈線
- 東京都道418号北品川四谷線(外苑西通り)
施設
脚注
関連項目
テンプレート:東京都港区の町名- ↑ 1967年(昭和42年)1月19日、自治省告示第13号「住居表示が実施された件」