ふとん太鼓
ふとん太鼓(ふとんだいこ)とは大阪府河内・泉州地方や、兵庫県播磨・淡路その周辺で担がれる大型の太鼓台のことである。
重さは1.0t~2.0tあり、約50~70人ほどで毎年各神社の祭礼で派手な演出と共にいきおいよく担がれている。
現在では少なくなったが戦前は一カ所の神社で約10台以上、宮入されていた所(開口神社、菅原神社)もある。
目次
形式と特徴
- 共通
- 内部は中央に太鼓があり、「乗り子」と呼ばれる少年4~8名が乗り込む。激しい動きでも転落しないように乗り子を縛り付ける地区もある。乗り子は舞台化粧並の厚化粧で、豪華な衣装を着る場合が多い。撥の形は野球のバットを短くしたような太くて短いものを使う場合が多い。
- 大阪型
- 布団の角度が小さく彫り物中心のふとん太鼓。土呂板や欄干、雲板にも彫刻が入る。その中でも雄太鼓と呼ばれるものもあり、飾りが少なくシンプルなのが特徴的である。
- 淡路型
- 大きな特徴としては五段のふとんの下に薄い板を数枚重ねたようなタガヤが施されている。
- 淡路島内においての淡路型
- 淡路島内では、ふとんだんじり又はかき(ぎ)だんじりと呼ばれる。島内に現存する本体の全数を把握する者はいないが、約200台はあるとされている。移動のため、祭礼の時には底部に車輪が取り付けられる。
- 淡路島南部では主に車輪を使い境内をシーソーのように揺らしたり、回転する動作だけをする地区が多い。
回転や曳航中の取り回しがしやすいよう、舵(梃子)を取り付けているところもある。 神社への奉納において、浄瑠璃と一対とする考えが多く。若者は祭礼前に練習を繰り返し、だんじり唄(浄瑠璃くずし)を披露するところが多い。
- 淡路島北部では、宮入の際に車輪を外しだんじりを担ぎ練りながら宮入をする地域が多い。担ぎ練ることの勇壮さに重点が置かれ競いあう。神社の奉納においては祇園囃子が唄われる部落もある。
- 堺型
- ふとん太鼓全体の彫り物が、神話、人情もの、風景、花鳥物が多く土呂板や欄干にも彫刻が入る。ふとんの厚みが下から上に順に厚くなっていて布団の角度が小さく蒲団〆が金綱では無く羅紗などの帯びであること。もっとも大きな特徴は、ふとんの下にふとん台と小屋根がついていることと柱が地についている所まですべて一本の木で作ってある通し柱(四本柱)。
- 貝塚型
- 結び・トンボの代わりに「魔羅」と呼ばれるものが立っている。下地車に見られるような緻密な彫刻が施されており、柱が上下にスライド出来、「せり上げ」と呼ばれる。
東大阪市のふとん太鼓
- 出雲井・鳥居 大太鼓1 小太鼓1
- 額田 大太鼓1 中太鼓1 小太鼓1
- 宝箱 大太鼓1 小太鼓1
- 豊浦 大太鼓1 小太鼓1 豆太鼓1 地車1
- 喜里川 大太鼓1 小太鼓1
- 五条 大太鼓1 小太鼓1
- 客坊 大太鼓1 小太鼓1
- 河内 大太鼓1 小太鼓1
- 四条 大太鼓1 小太鼓4 地車1
- 横小路
- 乾
- 巽
- 本町
- 橋詰
- 櫻井
- 上六万寺
- 下六万寺
- 本郷
- 市場
- 新家
- 艮
- 下島
石切劔箭神社 (夏季:7月2,3,4日、秋季:10月第3土・日)
- 植附
- 辻子
- 芝
- 日下
※夏季に参加する太鼓台は、秋季には参加しない。
大津神社 (10月第2土・日)
- 古水走
- 町水走
御劔神社 夏季大祭 (7月第3土・日)
- 本部 御神輿1 小神輿1 小太鼓1
- 北之町 大太鼓1
- 西之町 大太鼓1
- 新町 大太鼓1
- 中南之町 大太鼓1 小太鼓1
八尾市のふとん太鼓
玉祖神社 (7月「海の日」直前の土・日)
- 神立
- 水越
- 楽音寺
- 大竹
- 千塚
- 服部川
- 大窪
- 郡川
- 山畑
- 黒谷
万願寺(住吉神社・八幡神社・御野縣主神社) (7月最終の土・日)
- 堂垣内(住吉神社)
- 御領(八幡神社)
- 式部(御野縣主神社)
- 新家
恩智神社 (夏祭り:8月1日、秋祭り:11月26日)
八阪神社 (7月最終の土・日)
- 西山本(貝塚型)
神劔神社 (7月最終の土・日)
弓削神社 (7月最終の土・日)
三十八神社(八尾市福万寺町) (10月第三週土曜日・日曜日)
藤井寺市のふとん太鼓
辛国神社・八幡神社・産土神社 (10月「体育の日」直前の土・日)
- 南岡(辛国神社)
- 津堂(八幡神社)
- 小山(堺型)(産土神社)
- 北岡
大阪市のふとん太鼓
- 巽神社 (夏季:7月14,15日、秋季:10月14,15日)
- 大地
- 高崎神社(7月中旬頃の土日)
- 南加賀屋
- 杭全神社 (7月11日~14日)
- 毎年地車を宮入りさせる町が順番(9年に1度)でふとん太鼓の運行を担当。ふとん太鼓は、11日と14日のみ。乗り子は、ここでは「敲き児」(たたきこ)と呼ばれ、3~12歳位の少年が厚化粧して豪華な衣装、四角い布が垂れた頭巾を被って登場。
- 田蓑神社(7月31日~8月1日)
堺市のふとん太鼓
開口神社八朔祭 (9月12日より一つ前の 金・土・日曜日)
- 芦原濱
- 大南戸川隅田
- 新在家濱
- 大甲濱
菅原神社八朔祭 (9月13日,14日,15日)
- 海船濱
- 北戸川
船待神社秋季例大祭 (9月第3金・土・日曜日)
- 出島
- 西湊
- 東湊
方違神社秋季例大祭 (9月第3土・日・月曜日)
- 榎
百舌鳥八幡宮月見祭 (旧暦の8月15日に近い 土・日曜日) ふとん太鼓の担ぎ手、観客数は百舌鳥八幡宮月見祭が最も多いと言われる。
- 赤畑町
- 梅町
- 梅北町
- 土塔町
- 中百舌鳥町
- 陵南町
- 西之町
- 土師町
- 本町
※百舌鳥のふとん太鼓は各町、親太鼓と子供太鼓を所有している。
※叩き手は小学校5・6年生8名が務める。
石津太神社秋祭り (10月の「体育の日」直前の金・土・日曜日)
- 石津川向
- 石津東
- 石津若中
- 北若仲
- 十三町会
- 西地蔵会
石津神社秋祭り (10月第1土・日曜日)
- 浜石
- 緑ヶ丘
華表神社秋祭り (10月4,5日)
- 奥本
歴史
堺市(旧市)のふとん太鼓は古くは江戸時代中期には住吉大社祭礼に担ぎ出されていたとされ、『三村宮祭礼絵馬』にも太鼓台のような練り物が描かれている。
しかしこのころは堺市内では明治の中ごろまでは祭礼時には各氏子がだんじりや鉾を曳行し、神事として太鼓台がありました。
ところが明治二十九年の旧暦の8月1日の祭礼の際、堺市中之町西の紀州街道(だんじりが1台通れるほどの狭い道)において湊組の船地車と北の鍛治屋町の地車が鉢合わせとなり、双方道を譲らず争論となり死傷者が出る事故が発生。
これは「堺の地車騒動」とされ、これ以後の堺市(現在の旧堺市街地域)での練物曳行は一切禁止となった。
その後、日本が日露戦争に勝利したことを祝して練り物の曳行が許可されたが、各氏子が地車を処分売却していたこと、それまでは堺に多くいた地車の職人が堺の地を離れていたり職を変えていたこと、地車の危険性などの理由から淡路よりふとん太鼓を買い付ける地域が多くふとん太鼓だけが残っていった。
大正時代には開口神社では13台、菅原神社では14台ものふとん太鼓が奉納され、堺のふとん太鼓の黄金期を迎え、各町個性を主張しようと、白色ではない房、刺繍の施された布団ラシャ(布団の布地)、色違いの結び(新在家濱は現在でも青色を採用)など各氏子趣向凝らした太鼓台も登場した。
しかし昭和へ入ると人手不足や諸事情等で太鼓台を手放す氏子が表れ始めその後には堺大空襲によって多くのふとん太鼓が焼失した。
戦後は物資不足等の影響で飾り付けは基本的なスタイルに戻ったが近年、戦前のような豪華なものに戻ってきている。
貝塚市のふとん太鼓
感田神社夏祭り (7月「海の日」直前の土・日)
- 大北町
- 中北町
- 南町
- 西町
- 近木町
- 中町
- 堀之町
泉佐野市のふとん太鼓
春日神社夏祭り [7月海の日の前日と当日(7月第3日曜日・月曜日)]
- 春日町
- 新町
- 野出町
※各町、大太鼓と小太鼓を所有
茨木市のふとん太鼓
新屋坐天照御魂神社秋祭り [10月第2日曜日] 福井太鼓保存会
- 東福井
- 西福井
- 中河原地区
- 豊原地区
- 山西地区
その他、ふとん太鼓がある所
- 伊川谷惣社秋祭り(兵庫県神戸市西区)(ふとん太鼓)
- 赤羽神社秋祭り(兵庫県神戸市西区)(太鼓だんじり)
- 意賀美神社秋祭り(大阪府枚方市)(ふとん神輿と呼ばれる)
- 布団太鼓台祭(京都府木津川市)
- 宮前ふとん太鼓巡行(兵庫県伊丹市)
- 公智神社秋祭り(兵庫県西宮市)
- 三田の秋祭り(兵庫県三田市)(蒲団神輿と呼ばれる)
- 淡路だんじり祭り(兵庫県南あわじ市)(ふとん壇尻と呼ばれる)
- 舞子六神社 秋大祭(兵庫県神戸市垂水区)
- 鹿島神社秋祭り(和歌山県日高郡みなべ町)
- 奈良市内の各地秋祭り(奈良県奈良市)
- 小泉神社秋祭り(奈良県大和郡山市)(布団神輿と呼ばれる)[1]
- 能地春祭り(広島県三原市幸崎町)
- 土庄八幡神社秋祭り(香川県小豆島)
- 若倭姫神社夏祭り(大阪府柏原市山ノ井町)(大正時代に作られた蒲団太鼓)
- 若倭彦神社夏祭り(大阪府柏原市平野)
- 八幡神社御例祭秋祭り(兵庫県丹波市柏原町)(子供神輿の為、車輪が付いている)
- 播州稲美天満神社秋祭り(兵庫県加古郡稲美町)