天才クイズ
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『天才クイズ』(てんさいクイズ)は、1967年7月26日から2004年9月25日まで中部日本放送(CBC)で放送された視聴者参加型のクイズ番組。全1930回。敷島製パンの一社提供(後に「Pasco」名義で提供)。CBCホールでの公開収録が行われていた。
目次
概要
「天才クイズ」は37年2か月間続いた長寿番組であり、東海地区在住の小学生たちが参加するCBCテレビのローカル番組として『どんぐり音楽会』とともに親しまれた。
丘灯至夫作詞、中村八大作曲によるテーマ曲も番組開始から終了まで一貫して不変(途中かなりのアレンジが加えられた)で、クイズに参加中の子供が他の参加者の○×帽子の色を気にして周囲を見て安心したり不安になったりする様子を歌ったものであり、親子両世代に亘って幅広い視聴者層に親しまれた。
この番組が打ち立てた37年2か月の放送期間は、2012年5月までテレビのクイズ番組最長記録を保持し続けていた。(現在の最長寿クイズ番組は朝日放送製作・朝日系全国ネット放送の『パネルクイズ アタック25』である。) CBCテレビの放送エリアである愛知県・岐阜県・三重県では、イベントや文化祭などでこの『天才クイズ』を模した○×クイズが頻繁に行われる[1]など、同エリアでは非常に知名度の高い番組であった。
基本放送時間
いずれもJST、CBCテレビでの放送時間。
- 水曜 18:00 - 18:30 (1967年7月 - 1973年9月)
- 土曜 17:30 - 18:00 (1973年10月 - 2004年9月)
- 1980年10月18日からは、信越放送(SBC・長野県)にもネットされた。当初はCBCテレビとの同時ネットだったが( 社史「三十年の歩み」より )、後に遅れネットへと移行した。スポンサーについてはCBCテレビと同じく敷島製パンの一社提供だった。
- 制作クレジットは、慣例に従いローカル番組時の「CBC」表記だったが、SBCへのネットがあった時期のみ「中部日本放送」としていた[2]。
出演者
司会
- 初代 久里千春(1967年7月 - 1973年12月)
- 2代 高松しげお(元漫才師・晴乃タック(晴乃チック・タック)、1974年1月 - 1983年12月)
- 3代 斉藤ゆう子(現・斉藤祐子、1984年1月 - 1994年5月)
- 4代 林家こぶ平(現・林家正蔵、1994年6月 - 2004年9月)
出題者
- 天才博士(声:鎌田吉三郎)
- 博士のキャラクターは放送時期によって異なる。初代は金属製と思しき(モノクロ放送のため色の確認はできなかった)円筒形のパーツを組み合わせたようなレトロ風味の着ぐるみロボット。初代司会の久里千春と共に活躍した。なお、この時期のみ「ロボット博士」と呼ばれていたが、番組を振り返るときなどには「初代天才博士」として扱われる。出題時に「〜である、ピープ〜!」と1オクターブで言うのが特徴。
- 2代目は西洋人のような彫りの深い顔立ちの初老の男性。見た目が怖いとの声もあった。丸眼鏡と白いあごひげ、後述する天才賞の子が被るものと同じ(ただしサイズははるかに大きい)角帽が特徴。歴代博士では彼のみ動き回る着ぐるみではなく、セットの中央に据え置きの操演キャラクターだった。首から上のみを露出し、その下は箱状のセットに隠れている。高松しげお時代から斉藤ゆう子時代の途中まで活躍。
- 3代目は白衣を着た中年博士風のキャラクター。黒髪だが頭頂部は毛が一本のみ残ったハゲ頭、側頭部と後頭部に毛が残っている。早い話がサザエさんの波平頭。大きなダンゴ鼻の下には黒いひげを丸く蓄えている。季節によっては(夏など)、白衣が水色などに変更されることもあった。斉藤ゆう子時代の途中から登場、最終回まで活躍した。斉藤ゆう子時代に、4問目の終了時に、シキシマパンのお知らせで、天才博士本人でのCMもやっていた。
アシスタント
コーナー担当
- その他
番組ルール
番組開始 - 2001年4月
- 男子30人の「ボーイズチーム」と女子30人の「ガールズチーム」に別れて対戦。ただし、解答は全て個人戦。この当時は個人での出場応募も可能であった。
- 問題は全部で10問(8 - 12問の時期もあった)。全て問題文が正しいか間違っているかをYesかNoで解答。司会者の「はい、被りましょう!」の掛け声の後に、Yesの場合は「Yes!」と言いながら○のマークが入った白い帽子を被り、Noの場合は「No!」と言いながら×のマークが入った赤い帽子を被る(この帽子は後で参加記念に貰える)。
- 問題の中には、「街角博士」として、街の労働者がVTRで出題する問題や、3択の選択肢を出した後、「正しいのは1番である?」と強引にYes/Noクイズに置き換えた問題もほぼ毎回必ず出題された。
- 正解者はそのまま起立、次の問題へ進める。不正解者は、(特例を除いて)失格、以降の問題の解答権を失う。
- 林家こぶ平が司会をしていた時期は、前半戦で失格になった人を対象に「運命の選択」として敗者復活戦を実施。こぶ平が振るサイコロが○×どちらの目を出すかや、街頭アンケートに関する2択クイズ等、勘で答える2択問題を1問出題。正解だと思う選択肢のプラカードを持ったアシスタントの元へ寄って解答。正解であれば解答権が復活して後半戦へ進めるが、不正解であれば失格のまま。
- 最初の4問は「前半戦」で、周りと相談しても良い。ただし、5問目以降は「後半戦」となり、周りとの相談は禁止される。
- 賞品…8問目正解(9問目不正解)で「奮闘賞」(天才博士の目覚まし時計、かつては広辞林)、9問目正解(10問目不正解)で「秀才賞」(当初は賞品。後に10,000円分の図書券)となり、全問正解で「天才賞」を獲得する。
- なお、「天才賞」を獲得した出場者はアシスタントによって角帽とマントを着させられ(これらの角帽等は賞品として与えられなかった)、またテレビ上では獲得の瞬間にファンファーレとともに「天才出現!」というテロップが映し出された。
- また、最終的に残った人数が多かった方のチームには「勝組賞」(敷島製パンの製品、末期は天才博士の文具セット)が贈られた。両チーム同数の場合は両チームとも「勝組賞」を獲得。
- 天才賞の賞品は時期によって異なるが、初期にはラジオ、映写機、カメラなどが贈られていた。時期が経つと、自転車、天体望遠鏡、地球儀が贈られるようになった(この3つは最終回まで変更なし)。その他の賞品については時期によって変更されていた。代表的な物にテレビゲーム、ラジカセ、ウォークマン、その他玩具などがある。
- 7問目ぐらいで両チーム60人の解答者が全員失格になるケースも稀にあり、その場合は余った問題を用いて「おまけしましょうクイズ」を実施。解答者60人の解答権を全員復活させた上で残りの問題を行い、最後まで残った者には記念品を進呈した(記念品は番組特製のシャープペン、後にソーラー電卓)。
2001年4月 - 番組終了まで
- 参加チームは、CBCの放送エリアである東海3県内の小学校を対象[3]、同じ小学校の6人一組(性別・学年は問わない)、8チームによる対戦を行う。参加申し込みは主に小学校の先生が取り纏め申し込みを行っている場合が多い。
- クイズは前半3ステージの得点上位2チームがファイナルステージで対決する。
- 前半ステージでは、Yes/No問題以外にも、記述式の問題や近似値問題、早押しクイズ等が出題された。
- ファイナルステージは4問のYes/No問題。Yesの場合は白い帽子をかぶり、Noの場合は赤い帽子をかぶる(この帽子は後で参加記念に貰える)。正解すれば次の問題の解答権が与えられるが、不正解の場合はそこで失格。個人戦で周りとの相談は禁止。
- 全問正解で「天才賞」獲得。また、「天才賞」獲得者が多いチームがチーム戦優勝となる。
- なお、4問終了までに一方のチームが全滅した場合はそこでチーム戦優勝が決まるが、「天才賞」を決定するために最後まで出題する。
- 賞品…チーム戦優勝チームには「天才博士」のトロフィーと文具セットをプレゼント。「天才賞」獲得者にはメダルと賞品獲得。なお、負けたチームでも全問正解なら「天才賞」獲得。
番組終了とその後
- 2001年、大幅なルールの変更が行われた。その時点でCBC側は打ち切りも検討していたが、その時は番組スポンサーの敷島製パンの当時の社長・田中康夫が番組の続投を訴えたことで打ち切りは回避された。
- 番組の終了が決定した際に、CBCは「夏休みや春休みなどで単発で続けたい」と発表していたが、その後も単発での復活特番は放送されていない。その一方で後述にある通り、CBC主催のイベントでの企画の1つとして天才クイズが行われることが多い。
- 2006年8月12日に『民放5局史上最大のコラボレーション!地デジ夏祭り2006全部見せます!』の1コーナーとして、2代目博士がCGで作られたテレビにて復刻。声も鎌田が生であてていた。どちらもCBCテレビの放送エリアである三重県出身の磯野貴理子と小倉久寛が実際に帽子をかぶり、問題に挑戦した。正解した小倉は天才賞を獲得し、天体望遠鏡を獲得した。
- また、愛・地球博記念公園第2期OPEN記念&愛・地球博開幕2周年記念事業の一環として、2007年4月1日にモリコロパークにてCBC主催の「万博天才クイズ」なるイベントが開催され、同年8月18日・19日にオアシス21にて開催された「愛・地球博理念継承二周年記念事業 市民大交流フェスタ2007」の会場でもステージイベントとして再び「万博天才クイズ」が行われた。なおこの「万博天才クイズ」で参加者に渡された天才ハットは赤色ではなく緑色になっていたことが特筆される。
- 現在、神奈川県横浜市の放送ライブラリーにおいて、1986年9月20日(斉藤ゆう子司会時代)に放送された「番組1000回記念親子大会」が公開されている。
- NHKアナウンサー糸井羊司は小学校6年生のときに天才賞を獲得し、いまでもクイズが持ちネタとなっている。