ヘレン・クラーク
ヘレン・クラーク Helen Elizabeth Clark | |||
ファイル:Helen Clark UNDP 2010.jpg |
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任期 | 1999年12月5日 – 2008年11月19日 | ||
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出生 | テンプレート:生年月日と年齢 テンプレート:Flagicon ニュージーランド、ハミルトン | ||
政党 | ニュージーランド労働党 | 配偶者 | ピーター・ディヴィス |
ヘレン・クラーク(Helen Elizabeth Clark、ONZ、1950年2月26日 - )は、ニュージーランドの政治家。第37代ニュージーランド首相。国際連合開発計画(UNDP)総裁。
経歴
1950年オークランド郊外のワイカト郡ハミルトン生まれ。父は農夫、母は学校教師。オークランド大学で政治学を学び修士号を取得。1973年から1981年までオークランド大学助手、講師を務めた。この間、1971年にニュージーランド労働党に入党している。1977年に当時大学院生だったピーター・デイヴィス(社会学者、現・オークランド大学社会学部教授)と出会い5年間同棲した後、1981年に結婚した(デイヴィスとは夫婦別姓。敬称はMissまたはMs[1])。2010年2月にオークランド大学より名誉法学博士号の学位を授与された。
1981年の総選挙に労働党から出馬し初当選。住宅大臣兼環境保全大臣(1987年 - 1989年)、副首相兼保健大臣(1989年 - 1990年)、労働大臣を歴任し、野党・労働党党首(1993年 - 1999年)として活躍した。1999年11月の総選挙で労働党は勝利しニュージーランド国民党より政権を奪回。第37代ニュージーランド首相に就任し、3期連続して政権運営を担当した。選挙により選ばれた初の女性首相であり、ニュージーランドの女性首相としてはニュージーランド国民党のジェニー・シップリー(在任1997年 - 1999年)に継いで二人目である。
2008年11月の総選挙でニュージーランド労働党は議席を減らし、ライバルのニュージーランド国民党に政権の座を明け渡すことになった。これを受けてクラークは党首を辞任することを表明。新党首にはフィル・ゴフが就任。党首辞任後はニュージーランド労働党外務報道官に就任した。
2009年3月、潘基文国際連合事務総長(当時)は国際連合開発計画総裁にクラークを指名。192か国加盟の国際連合総会承認を経て、同年4月17日に国際連合開発計画(UNDP)初の女性総裁に就任。事実上、国際連合のNo.3職に就任した。
来日
首相就任後、2001年4月、2005年6月、2008年5月に来日している。UNDP総裁として2009年11月、2010年11月、2013年5月~6月に来日している。
政治活動・政策
- 2007年からは、アメリカ合衆国との自由貿易協定締結を政権の最重要政策とした[2]。
- 緑の党 が閣外協力していることもあり、環境保護政策を重視している。
- 中華人民共和国との経済的な関係を重視している。
- 日本との人的、経済的関係を重視しているが、日本による南極近郊での捕鯨には反対している。
脚注
- ↑ ニュージーランドは、伝統的には夫婦同姓が主流ではあるが、法律的に、別姓や結合性を選択することが可能である。
- ↑ 2007年3月22日、アメリカ ワシントンD.C.で、ブッシュ大統領と首脳会談を行ったが、安全保障において、クラーク首相が「ニュージーランドはいかなる事情があっても核兵器及び原子力技術を保有しない」と述べたため、ブッシュ大統領が「ニュージーランドとアメリカとの自由貿易協定」について難色を示した。
関連項目
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