五戸町
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五戸町(ごのへまち)は、青森県の三戸郡の町。2004年(平成16年)7月1日、倉石村を編入し新しい五戸町となった。
目次
地理
三戸郡北部の内陸部に位置する。町内は坂が多い。総面積の半分以上を森林が占める。
土地利用
五戸町は都市計画区域に指定されている。 五戸町の総面積17,782haの内訳は以下の通り。 都市計画区域:8,220ha(そのうち用途地域は325.7ha) 農用地:4,630ha 森林:9,278ha 原野:679ha 河川・水面・水路:228ha 道路:691ha 宅地:638ha その他:1,638ha
気候
青森県農林総合研究センターリンゴ試験場 県南果樹研究センターの資料(平成11年から平成15年までのデータ)から五戸町の気候について述べる。
- 年間平均気温 9.6度(平成11年から平成15年までの平均)
- 最高気温 35.0度(平成11年)
- 最低気温 -12.4度(平成12年)
- 降水量は 1165mm(平成11年から平成15年までの平均)
- 日照時間 1556時間(平成11年から平成15年までの平均)
- 最深積雪 90cm(平成15年)
隣接している自治体
人口
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により近世以来の五戸村が単独で自治体として発足。
- 1915年(大正4年)11月1日 - 五戸村が町制を施行し五戸町となる。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 五戸町、浅田村、川内村が合併し五戸町となる。
- 2004年(平成16年)7月1日 - 合併により倉石村を編入。
- 2008年(平成20年)
行政
産業
金融機関
郵便
姉妹都市・提携都市
国外
- テンプレート:Flagicon フィリピン共和国ヌエバ・ビスカヤ州バヨンボン町 - 1983年(昭和58年)12月22日提携 戦没者慰霊訪問、教育・文化・スポーツの交流
- テンプレート:Flagicon 大韓民国忠清北道沃川郡(おくちょん) - 1997年(平成9年)8月28日提携 農業技術研修・教育・文化・スポーツの交流
学校
小学校
- 五戸町立蛯川小学校
- 五戸町立上市川小学校
- 五戸町立切谷内小学校
- 五戸町立五戸小学校
- 五戸町立豊間内小学校
- 五戸町立南小学校
- 五戸町立石沢小学校
- 五戸町立中市小学校
- 五戸町立又重小学校
中学校
- 五戸町立川内中学校
- 五戸町立五戸中学校
- 五戸町立倉石中学校
高等学校
専門学校
交通
路線バス
ほかに、民間団体「五戸循環バス運営委員会」が南部バスに運行委託をしている無料コミュニティバス「五戸ちんちんバス」もあり、病院や薬局など、五戸町中心商店街を運行している。
鉄道
東北新幹線(JR東日本)が八戸駅 - 七戸十和田駅間で約 800m ではあるが当町を通過している。ただし、殆どがトンネル区間である。
かつては八戸駅と五戸駅の間を南部鉄道が運行していたが、1968年の十勝沖地震の影響で廃止された。
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 江渡家住宅〔荒町〕国の重要文化財[1]
- 寶福寺 〔浅水字浅水〕本堂(県重宝)
- 小渡平公園
- ひばり野公園
- わむら(上村)のカシワの木 〔倉石中市字中市〕県天然記念物、推定樹齢650 - 750年。[2]
- 旧圓子家住宅 〔倉石中市字中市〕県重宝[3]。
- 五戸町消防団第一分団屯所 〔野月〕県重宝、大正11年。[4]
- えんぶり
- 五戸まつり
- 南部駒踊り
出身有名人
- 木村秀政(博士。航空機設計者)
- 三浦方義(元プロ野球選手)
- 9代式守勘太夫(大相撲行司)
- 手倉森誠(2016リオデジャネイロ五輪U-23日本代表監督)
- 手倉森浩(前モンテディオ山形ヘッドコーチ)
- 下平隆宏(元サッカー日本代表)
- 古川毅(京都サンガF.C.のU-18コーチ)