原哲夫
テンプレート:混同 テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 原 哲夫(はら てつお、1961年9月2日 - )は、日本の漫画家。東京都渋谷区生まれで埼玉県越谷市育ち。
代表作に『北斗の拳』など。緻密な絵と、度量の広い「漢(おとこ)」、敵味方を超えた友情、暑苦しいまでの醜悪な顔をした悪党、悪党があげる奇抜な断末魔の悲鳴を描くことで知られる。
お笑い芸人のふかわりょうは従弟にあたる。
目次
経歴
越谷市立栄進中学校卒、私立本郷高校デザイン科卒。小池一夫主催の劇画村塾出身。
子供の頃は『天才バカボン』や『タイガーマスク』を見て育ち、画は『タイガーマスク』の影響を受けたという。
原が劇画調の画風になったきっかけは、『I・餓男』(アイウエオボーイ)(原作・小池一夫I、画・池上遼一)の影響だと原本人は語っている。 中学生時代に友人からI・餓男の単行本を借りて以来池上遼一の信者になり劇画の虜になった。その後高校のクラブで漫画を書き出した頃はひたすら 池上遼一のアクションシーンを研究し、その絵や構図、コマ運びを何度も繰り返し模写したという。特にI・餓男のアメリカ編は徹底的に模写を重ねた。 そういう経緯もあり後に原が書いていく画は当然ながら池上遼一の影響を最も受けていると本人は語っている。小池一夫の劇画村塾に参加したのも I・餓男のファンだったのがその理由だった。2000年頃のインタビューによると2000年時点で原の仕事場にあるI・餓男の単行本は5代目であるという。 「今でも仕事が行き詰まると読み返す、I・餓男は私の原点」と原は語っている。また原は後の池上遼一との対談で『I・餓男』と同時期の 池上遼一の代表作『男組』(原作・雁屋哲)の画にも影響を受けたと池上本人に語っている。
学生時代は松田優作が好きで、学生時代に画風が今と変わらない松田の似顔絵を描いている。北斗の拳の主人公であるケンシロウは、松田優作、ブルース・リー、映画マッドマックス2のメル・ギブソンらがモデルとなっている。
代表作『北斗の拳』は1983年連載開始以降、驚異的な人気を誇り、80年代の『週刊少年ジャンプ』を支えると同時に、魁!!男塾、ろくでなしBLUES等、後の漫画界の作風、タッチに多大な影響を与えた。
その後、隆慶一郎の小説を原作にした『花の慶次 ―雲のかなたに―』がヒットする。原作、史実、作中での時間経過を無視して、主人公・前田慶次(郎)を若者としてデザインし、少年誌を考慮した設定にしている。
長年の仕事のために円錐角膜を患い、視力はかなり悪くなっている。そのため患った片目を閉じて描いているのだが、現在は「根性で描いている」とのこと(絵の線が多いのも何度も真直ぐな線を引こうと描き直しているためとも語っている)。このような事情により、一時期は「蒼天の拳」の終了をもって漫画家を引退すると宣言したこともあったが、実際には「蒼天の拳」の終了後も引き続き「いくさの子 織田三郎信長伝」の執筆を開始し、2013年現在も連載を続けている。
2000年には堀江信彦らと共に『週刊コミックバンチ』(2010年休刊)及び、後継誌の『月刊コミックゼノン』の編集や版権事業を手がける株式会社コアミックスを設立し役員に就いている。2005年より子供向けの絵本、森の戦士ボノロンのプロデュースを行っている。
なお、「原哲夫」は本名である。自身は関東育ちだが、関西では「はらてつお」といえば吉本新喜劇の俳優原哲男が非常に有名であり、関西出身の関係者からは幾度も「なんでそんな筆名にしたんですか?」と聞かれ、閉口したらしい。
作品リスト
漫画
- スーパーチャレンジャー(1982年、週刊少年ジャンプ4月10日増刊号、集英社)- 原のデビュー作品。次原隆二著「少年リーダム~友情・努力・勝利の詩~」(新潮社)単行本第2巻に収録[1][2]
- 鉄のドンキホーテ(1982年 - 1983年、週刊少年ジャンプ、集英社) - 初連載作品のモトクロス漫画。北斗の拳の前身作も収録。
- マッドファイター(1982年、週刊少年ジャンプ増刊8月号、集英社)- 第1巻に収録
- 北斗の拳(1983年 - 1988年、週刊少年ジャンプ、集英社)原作:武論尊
- CYBERブルー(1988年 - 1989年、週刊少年ジャンプ、集英社)原作:bob、脚本:三井隆一
- 花の慶次 ―雲のかなたに―(1990年 - 1993年、週刊少年ジャンプ、集英社)原作:隆慶一郎、脚本:麻生未央
- 影武者徳川家康(1994年 - 1995年、週刊少年ジャンプ、集英社)原作:隆慶一郎、脚本:會川昇
- 猛き龍星(1995年、週刊少年ジャンプ、集英社)
- SAKON(左近) -戦国風雲録-(1997年 - 2000年、月刊少年ジャンプ、集英社)原作:隆慶一郎、脚本:二橋進吾
- 九頭龍(ヒュドラ)(1997年 - 1998年、MANGAオールマン、集英社)
- 公権力横領捜査官 中坊林太郎(1998年 - 2000年、BART3230、集英社)監修:佐高信
- 阿弖流為II世(2000年、月刊コミックGOTTA、小学館)原作:高橋克彦
- 蒼天の拳(2001年 - 2010年、週刊コミックバンチ、新潮社)監修:武論尊
- いくさの子 織田三郎信長伝(2010年 -、月刊コミックゼノン、徳間書店)原作:北原星望
漫画以外の活動
キャラクターデザイン
- マッスルボマー(1993年、カプコン)
- スーパーマッスルボマー(1994年、カプコン)
- 森の戦士ボノロン(2005年6月 - 、ノース・スターズ・ピクチャーズ)(プロデュースも兼務)
- いただきマッスル!(2006年4月 - 、中京テレビ)オープニングの山口智充、レイザーラモンHG、ロンドンブーツ・亮、庄司智春、ワッキーのキャラクターイラスト
その他デザイン
- K-1 ワールドグランプリ2007パンフレット表紙(2007年12月、K-1)パンフレット表紙絵
音楽
- パチンコ「CR花の慶次〜斬」(2009年、ニューギン)
- パチンコ「CR花の慶次〜愛」(2010年、ニューギン)
- 修羅の果てまでも(確変モードBGM)作詞
- 最後の戦士〜DARING WARRIOR〜(プレミアム大当たりBGM)作詞
出演作品
テレビアニメ
関連人物
師匠
アシスタント
同僚・友人
親戚
- 原はふかわが小学生だった当時に逢って以降再会のチャンスに恵まれなかったが、2010年、ROCKETMANが自身のベストアルバム『thank you for the music!』を発表するに辺り、原に裏ジャケットのイラストを依頼したことから再会を果たした[4]。原は『爆笑問題のバク天!』(2004年9月25日放送)で、レギュラー降板がかかったふかわに応援イラストを送ったこともある上[5]、原夫人と娘がふかわと親しいことも明かしている[6]。
脚注
関連項目
- 本宮ひろ志
- 立川志加吾(雷門獅篭) - 『風とマンダラ』で、頻繁に原が登場した
- 有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト
外部リンク
テンプレート:原哲夫- ↑ 「少年リーダム」話中では「スーパーファイター」と名前は変えられている(原の名前も原島哲と変えられている)が、話中でのカットは実際の作品のを使用している。
- ↑ さらに原本人も「少年リーダム」2巻のインタビュー「描線の律儀」にも登場している。
- ↑ 話中でも「(CV 原 哲夫)」と表記されていた。
- ↑ ふかわりょう、原哲夫ジャケでベスト盤 サンケイスポーツ 2010年7月21日閲覧
- ↑ 『爆笑問題のバク天!』公式HP
- ↑ ふかわりょう、原哲夫ジャケでベスト盤 サンケイスポーツ 2010年7月21日閲覧